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第61話

「しゅばばっ」


 今日も今日とて、織羽おりはは館内の掃除に勤しんでいた。

 無駄に洗練された無駄のない無駄な動きで、塵のひとつも許さぬ程に。織羽おりはが通った後の廊下には、目を疑うような輝きだけが残されていた。そんなメイドの勤勉ぶりを、じっと眺める視線がひとつ。この館の主である九奈白凪が、腕を組んだまま廊下に立っていた。


「精が出るわね」


「おや、お嬢様。何か御用でしょうか?」


 館内にいる時、凪は基本的に自室へとこもりがちだ。趣味の読書をしたり、或いは会社の書類仕事をしたりといった具合に。

 確かに近頃は、随分と友好的な態度をとるようになった凪ではある。だがこうして、休みの日にわざわざ声をかけてくるのは珍しい。


「別に、ただ通りがかっただけよ。息抜きにお茶を淹れようと思ってね」


「でしたら呼んで下されば……呼び出し用のベルがあるでしょう?」


「こんなことでわざわざ手間をかけるのもね。自分で出来ることくらいは自分でしたいの」


「ご立派だとは思いますが、館内だけにしてくださいね。周囲の目もありますので、外では私を使って下さい」


 掃除の手を止め、困った顔でそう告げる織羽おりは

 もはや師の教えとやらが、ほとんど洗脳の域にまで達している。これが仮初の立場であることを忘れてしまったかのような、清々しいまでのメイドぶりであった。


「では部屋でお待ち下さい。私がご用意致します」


「……そ。それじゃあ折角だしお願いするわ」


 そう言うと凪は踵を返し、優雅な足取りで自室へと戻っていった。

 先の言葉通り、凪は誰かにお茶の用意を頼むつもりなどなかった。しかしこうして見つかった以上、メイドの仕事を奪ってまで自分でやろうとも思えない。もしこれがまだ他人を信用していなかった頃の凪であれば、頑なに固辞していたかもしれない。これは織羽おりはが、九奈白凪という少女に与えた変化のひとつだ。そして近頃の凪は、そんな自身の変化を楽しめるようになっていた。もちろん、素直に態度で表すようなことはまだ出来ないが。なんとも面倒なお姫様であった。


 そうして五分も経たない内に紅茶と茶菓子の準備を終えた織羽おりはが、凪の私室を訪ねる。

 織羽おりはが押してきたワゴンの上には、パティシエ顔負けの見事なホールケーキが鎮座していた。


「なんだか大層なモノを持ってきたわね……」


「実は今朝、丁度ケーキを焼いたところでして」


「……そういえば、私の誕生日にも凄いのを作ってたわね……ホントに何でも出来るのね、貴女」


「うへへ。褒めても何も出ませんよ?」


 お褒めの言葉にわざとらしく照れて見せながら、織羽おりはがてきぱきと作業を進める。


「貴女の分も淹れなさい」


「よろしいので?」


「言ったでしょ。ただの息抜きなんだから付き合いなさい」


「では、お言葉に甘えまして」


 カップとポットに湯を注ぎ、温めてから湯を捨てる。

 電気ケトルを使用したりはするものの、流石にそのまま淹れ始めるような妥協はしないらしい。


「……はやらないのかしら?」


「アレ?」


「ほら、よく言うじゃない。『私に一杯、貴女に一杯、ポットに一杯』みたいなやつよ」


「ああ! それは昔の英国の淹れ方ですね。現代の茶葉や日本の水には合いません。渋くなっちゃいますから」


 などと楽しそうに解説する織羽おりは

 こうしているのを見ると忘れそうになるが、織羽おりはは本職のメイドではなく、怪しい機関に所属する怪しい元探索者である。


「ミルクティーにするなら丁度良いんですけど。お嬢様はストレート派ですよね? ケーキはこのくらいで良いですか? でっかいイチゴ付きですよ」


「なんだか無性に腹が立つわね……」


「あはははは」




       * * *




 空いた食器を片付けつつ、織羽おりはは凪へと問いかけた。


「そういえばお嬢様。夏季休暇はどうされるおつもりですか? やっぱり別荘とかで夏をエンジョイしたりするんですか? パリピみたいに」


 夏休みを目前に控えた今、凪のこれからの予定を把握しておきたかった。知ったところでどうという訳でもないのだが、しかし護衛という任務上、予定を知っていた方が色々と対処しやすいのだ。場合によっては先回りも必要となる。


「……貴女は私を何だと思っているのかしら。別に普段と変わらないわよ。会社のこともあるし、それに何より――――」


「何より?」


「探協総会があるでしょう? 九奈白の娘として、無関係ではいられないわ」


 凪はそう言うと、心底憂鬱そうに溜息を零した。

 探協総会は三年に一度開催され、その度に世界中から注目を集めている。まして今年は開催地がここ九奈白市ということあり、国内の注目度も凄まじい。となれば当然、九奈白家の一人娘である凪にとっても避けては通れないイベントなのだ。


 無論、九奈白を代表して総会に出席するわけではない。

 だが世界的にも有名な探索者用品店を経営しており、九奈白の娘として以外の立場も併せ持つのが凪だ。凪との面会を求める者も多いため、顔を出さないわけにはいかない、というわけだ。


「お金持ちも色々大変なんですねぇ」


 特に興味を示すこともなく、ただ淡々と感想を述べる織羽おりは

 まるで金持ち同士の腹の探り合いになど興味はない、とでも言わんばかりである。


 ちなみにだが、単純な資産面でいえば織羽おりはも相当なモノだ。さもありなん、織羽おりはは馬鹿みたいに希少なダンジョン資源を、探協に報告することなくこっそりと所持しているのだから。無論本来であれば違法行為だが、織羽おりはには迷宮情報調査室というバックがついている。それはつまり、ほとんど国からお目溢しを頂戴しているようなものだ。代わりにある程度の資源提供は行っているため、横流しさえしなければ問題になることはない。


「他人事みたいに……わかってるとは思うけれど、貴女にも付き合ってもらうつもりだから」


「あ、それはもちろん。なにせ私は、お嬢様のメイドですからね!」


 腰に手をあて、ドヤ顔で虚乳を張る織羽おりは

 凪が総会に顔を出すというのであれば、ついて行かないという選択肢はない。仮に『ついてくるな』と言われても勝手に追いかけるだろう。九分九厘、まず間違いなくトラブルは起きるのだから。先の誘拐事件を鑑みれば当然だ。如何に織羽おりはが護衛として有能だとしても、現場に居なければどうしようもないのだから。


(……丁度、荒事に強い要員が補充されたことだし。会場はどうせ馬鹿みたいに広いだろうし、そうなると僕一人じゃ流石にカバーしきれない。出来ればにはあまり関わりたくはないけど……背に腹は代えられないからね)


 そうして思い浮かべるのは、例のエキセントリックサイコ少女の顔だ。

 何を考えているのかまるで分からない、いわば変人系の手合ではある。しかし腕は相当に立つ。こと荒事に関していえば、間違いなく頼りになる存在だろう。


 織羽おりはは意外にも、クロアが裏切るなどとは微塵も考えていなかった。

 根拠があるわけではない。ほとんどただの勘だ。恐らく、この感覚は常人には理解出来ないであろう。だが不思議と、間違いなくと言い切れる。クロアの何を知っているというわけでもないというのに、織羽おりはには確信があった。そしてそれは隆臣も同じだろう。ひそかには無くて、織羽おりはや隆臣が持っている何か。その曖昧極まりない感覚だけが、『問題ない』と告げていた。


(ま、最悪また取り押さえればいいしね)


 そうして考えを纏めた次の瞬間、織羽おりはは驚愕することになる。


「それはそうと――――あの天久クロアという転校生。少しでいいから、一応気にかけておいて頂戴」


(――――っ!? 考えを読まれた!? やっぱりエスパー系令嬢なの!?)


 織羽おりはの脳が高速で回転を始める。

 よもやそんな特殊能力を持っているハズもないが、しかし可能性はゼロではない。なにしろ、今のこの世界には『戦技』と呼ばれる怪しい特殊能力が存在するのだから。ダンジョン探索や魔物との戦いによって目覚めると言われている力だが、凪は先日ダンジョン実習に参加している。この天才少女の事だ、何かの拍子に『戦技』に目覚めたという可能性も一概には否定できない。そしてもし、凪が『思考を読む』ような戦技に目覚めたのだとしたら。


 クロアの前歴や所属も、織羽おりはの所属も。

 隠しておきたい全てがバレてしまう。それはつまり任務の失敗を意味する。


「ど、どういう意味でしょうか?」


 どうにか動揺を押し殺し、出来る限りの平静で以て織羽おりはが尋ねる。

 しかし当たり前というべきか、そんな織羽おりはの考えは杞憂であった。


「うちの学園には転入制度がない筈なの。それに私も、転入については何も聞いてなかったわ。それで昨日、お父様に連絡したのよ。どういうことなの、ってね」


(おや……?)


「彼女、お父様の知り合いの養子なんですって。一般家庭の出身だから、出来るだけ面倒を見てやって欲しいと頼まれたのよ」


 どうやら織羽おりはの思考を読んだわけではないらしい。

 だが凪が語った『父の友人の養子』という言葉に、織羽おりはは危うく吹き出すところであった。


 成程確かに、ベタではあるがわかりやすいだろう。

 しかしその『知人』とやらをよく知っている織羽おりはにとっては、想像するだけで噴飯ものだ。ただの設定とはいえ、あのヒゲゴリラが人の親などと。


「そ、そういうことでしたか……ンフッ……畏まりました。私の方でも、可能な限りお手伝いさせていただきます」


「お願いするわね――――何故笑っているの?」


 不思議そうに小首を傾げ、織羽おりはの顔を覗き込む凪。

 しかし織羽おりははごくな真顔でこう答えた。


「いえ。私は笑ってなどおりません」


「……」


「……ンフッ」


「ほら」


「いいえ、気のせいです。では、私はこれで失礼致しまぷすっ」


 真顔を保ちつつも、しかしどうしても鼻から息が漏れるのを抑えきれなかった。

 そうして織羽おりはは凪の追求を逃れるため、そそくさとワゴンを押し退室してゆく。情報調査室への定期報告時に、暫くはこのネタをこすってやろうと考えながら。


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