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第62話

 初夏の日差しがじっとりと纏わりつく中。

 織羽おりはは汗ひとつ流すことなく、綺麗な顔のままで歩いていた。


 探索者ゆえ寒暖差に強いというのもあるが、なにより着用しているメイド服が高性能なおかげだった。見た目では分からないが、このメイド服には様々な機能が搭載されている。そのうちのひとつに『着用者の体温を調整する』というものがあるのだ。とはいえ、空調服のように内部で風を起こしたりしているわけではなく、ダンジョン資源由来の怪しい技術によるものである。初めは着るのも億劫だったメイド服だというのに、今では制作者であるひそかに感謝していた。


「ふんふーん」


 そうして目的地に到着した織羽おりはが、ごきげんな様子でドアを開ける。

 室内で織羽おりはを待ち受けていたのは、大量の装備類――――ではなかった。


「……え?」


 大きなソファとおしゃれなローテーブル。かわいらしいピンクのラグに、同じくピンクの遮光カーテン。そして大小さまざまな姿のぬいぐるみ達が、織羽おりはを出迎えていた。一言で言えば『ファンシーな少女の部屋』といったところだろうか。よく見れば服や下着類もそこらに散らばっており、溢れんばかりの生活感がひしひしと伝わってくる。整備を待っている筈の武器防具類の姿など、影も形もなかった。


「なん……だと……?」


 流石の織羽おりはもこれには動揺を隠せない。

 まさか部屋を間違えてしまったのかと考え、すぐに外へ出て部屋番号を確認する。やはり間違いなく、迷宮情報調査室所有のセーフハウスであった。というよりも、織羽おりはは部屋の鍵を開けて入ったのだ。間違えている筈もない。


 またぞろ星輝姫てぃあらの仕業かとも考えたが、しかし考えてみればそれはあり得ない。

 確かに彼女は、先日遊びに来た際にベッドやソファを購入していた。連れ回された織羽おりはもよく覚えている。だがその時に購入した家具は、こんなデザインではなかった筈だ。遅れて届いたのだとしても、そもそもモノが違うのだからおかしな話である。では果たして、は一体どういうことなのか。


 押し寄せる様々な疑問、しかし答えが出せるはずもなく。

 そうしてただ立ち尽くす織羽おりはの耳へと、俄に水の音が飛び込んできた。次いで何者かによる、機嫌の良さそうな鼻歌も。


「~~~♪」


 ――――否、先程からずっと聞こえてはいた。

 だが困惑する織羽おりはの脳には、それが今の今まで認識出来ていなかっただけのことだ。身動きが取れぬまま、ただ立ち尽くして水音を聞く織羽おりは。五分ほどもそうしていただろうか。『きゅっ』という小気味の良い音と共に、聞こえ続けていた水音が止んだ。それが何を意味するのか、織羽おりはは薄々感づいていた。このままココで突っ立っているのはマズい、ということも。


 鍛え抜かれた危機察知能力を全開に、まるで鉛のように固まった足をどうにか動かそうとする。

 だがしかし、既に遅かった。織羽おりはの真横にあったドアが、勢いよく開け放たれる。


「あーさっぱりし……あれ?」


 スレンダーな身体からほかほかと立ち上る湯気、ほんのりとシャンプーの香り。一糸纏わぬ姿のクロアが、そこにいた。

 ほとんど金縛り状態となった織羽おりはには、震える声で一言を絞り出すのが精々であった。


「……ど、どうも」


「うそ、メイドちゃん!? もしかしてボクに会いに!? やった、丁度シャワー浴びたトコだよ♡」


「何が丁度なのかは知りませんが、違います」


「照れることないのに♡」


 なんのことはない。

 装備品置き場として使われていたセーフルームが、いつの間にやら、クロアの滞在先として使われていただけである。要はファンシーな少女の部屋などではなく、ファンキーな少女の部屋だったというわけだ。『それなら隣の部屋でもいいだろう』だとか『先に教えておいて欲しかった』だとか、言いたいことは山ほどあるが、しかし今は何よりも――――


「……とりあえず、服を着て下さい」


「ヤダ♡」


 余程織羽おりはの訪問――そんなつもりは微塵もなかったが――が嬉しいのだろう。

 クロアは織羽おりはの懇願を速やかに却下し、跳ねるようにリビングへと向かう。裸のまま。


「っぜぇ……」


 ケツに蹴りでもくれてやろうか。

 そんな風に考えながら、織羽おりははそっと目を閉じた。




       * * *




「というか、こんなのんびりしていて良いんですか?」


 出されたお茶を口にしつつ、織羽おりはが問いかける。

 なお、クロアに服を着せるのは既に諦めている。


「え? なにがぁ?」


「いえ、ですから……例えば口封じに刺客が送られてくるとか、そういうのはないんですか? 寝返ったのはバレているのでしょう?」


 如何に悪名高い犯罪組織といえど、構成員が無限に生えてくる訳ではあるまい。クロア程の実力者であれば尚更だ。このレベルで末端の使い捨て要員とは考えにくい。であればこそ、このままクロアを野放しになどしないだろう。組織の内情や重要情報の流出などを防ごうとするはずだ。いわゆる裏の犯罪組織に、一般的な守秘義務とやらがあるのかは分からないが。


「あははは! そうそう! 実は既に何人か返り討ちにしてるんだよねぇ」


「何わろてんねん」


「あ、心配してくれてるのぉ? ウフフ……大丈夫、面倒なだけで実害はないよ。ボクは『黒霧ヘイズ』の中でも上から五番には入ってたからねぇ。ボクを処分出来るヤツなんて、それこそ片手で数えられる程度にしか居ないの。ま、そいつらが出てきても負けないけどぉ」


「さいですか」


 ひらひらと手を振り、まるで興味がなさそうな様子のクロア。

 織羽おりはの見立てによれば、クロアの実力は恐らく一桁か、それに準ずるレベルであった。といっても、織羽おりはの知っている一桁など隆臣しか居ない。比較対象が他に居ないため、正確には分からないが――――少なくとも、隆臣とクロアが戦えばいい勝負になる気がする。否、ギリギリ隆臣のほうが上だろうか。成程確かに、クロアの口を封じるのは簡単ではなさそうだった。


「それに、ボクの知ってる情報はとっくに全部喋っちゃったからねぇ。もう今更だし、向こうもそれは分かってるんじゃないかなぁ?」


「圧倒的な口の軽さですね。本当に大丈夫なんでしょうか、この人」


「ウフフ。安心して、ボクはキミを裏切らないから」


「あっ、ちょっとカッコいいですねそれ。全裸じゃなければの話ですが」


 溜息をひとつ吐き出し、やれやれとばかりに肩を竦める織羽おりは

 一度裏切った者は何度でも裏切る。それはほとんど常識に近い話だ。だが、一度剣を交えたからだろうか。或いは、部屋を埋め尽くすメイド型ぬいぐるみの圧力がそう思わせるのか。『裏切らない』というクロアの言葉が、不思議と織羽おりはには信じられた。


「ところでさ……ボクからもひとつ、いいかな?」


「私に答えられる範囲でよければ」


 何がそんなに気に入ったのやら、織羽おりはは自分が懐かれているらしいことを自覚している。

 故にどうせ好きな食べ物やら何やらと、またぞろ下らない質問が飛んでくるものだと考えていた。へらへらと楽しそうにしているクロアを見れば、それが容易に想像が出来る。しかし織羽おりはの許諾を得た直後、クロアの瞳はすっと細められていた。


「キミは――――」


 織羽おりはの瞳が僅かに揺れる。

 と、 心臓が跳ねる音がした。

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