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第63話

 九奈白市内、行政区画に建てられたいかめしく大きな建物。

 汚れひとつない真っ白な外壁と、正面入口には筋骨隆々の大男が二体。そんな治安維持部隊ガーデン本部の一室で、ひどく情けない悲鳴が上がっていた。


 「ピヨちゃんせんぱぁ~い……もう十時過ぎてんすよぉ……いい加減なんか食べいきましょうよぉー……はらへったし、つかれたし、ねむぃ」


 きっちりと着こなされている筈の治安維持部隊ガーデンの制服は、しかし現在はすっかりとれてしまっている。既に長時間着用されていることの証左だった。更には頭の後ろで小さく纏められた髪も、どこか元気がなさそうに揺れるばかり。眠そうな目の下にうっすらとクマを作りながら、犬吠埼一千華いぬぼうさきいちかは机に突っ伏した。


 その類稀なる格闘センスを買われ、一千華いちか治安維持部隊ガーデンに入隊してから早三年。

 時には同僚や先輩に助けられながら、時には自らも活躍して。そうして彼女は治安維持部隊ガーデンの激務を乗り越えてきた。そのおかげか、まだまだヒヨッコの彼女ではあるが、組織内での評価は高かった。期待のホープなどと呼ばれ、一千華いちか自身もまんざらではなかった。人の期待に応えるのは好きだったし、二年目に入った頃からは、任務にやり甲斐のようなものも感じていた。ちなみに、彼女は白凪学園のOGだったりする。


 そんな彼女でも、ここ数ヶ月の忙しさは流石に辛いものがあった。

 毎日とまでは言わないが、しかし残業は日常茶飯事。そして今現在も、当然のように徹夜明けだ。そんなブラック企業顔負けの激務に、いよいよ弱音が出そうになっていた。というよりも、既に半分くらいは口から出ていた。


 「ああ……もうそんな時間か……すまない、あとちょっとだけ待ってくれ」


 同じくれた制服を纏う男――日和見ひよりみ花鶏あとりが、一千華いちかのヘタりきった声に応えた。

 男前と称してなんら問題のないその整った顔には、一千華いちかと同様、やはり濃い疲れの色を貼り付けている。彼は一千華いちかの八年ほど先輩であり、歳は今年で二十八になる。現役探索者であり、治安維持部隊ガーデン内でも数が少ない技能スキル所持者の一人だ。


 隊のエースと、将来を嘱望された新人。

 花鶏あとり一千華いちかは、治安維持部隊ガーデン内でも有数の実働コンビであった。ちなみに『ピヨちゃん』とは一千華いちかが付けた花鶏あとりのあだ名である。といっても、そう呼ぶのは彼のバディである一千華いちかだけであったが。


「ピヨちゃん、さっきも同じこと言ってましたよねぇ……?」


「ぬぐ……」


「そんな必死にやったって、どうせ夜には新しい仕事がどっさり追加されるんすよ? 今のうちにご飯食べて軽く寝ておかないと、保たないですって。それにほら、ココ間違ってるし。ね? パイセンもそろそろ限界なんですってば」


「ふー……確かに、一千華いちか君の言う通りだな……」


 大きく息を吐きだし、目元をぐりぐりと揉みほぐす花鶏あとり

 一千華いちかの説得が功を奏したのか、先程までの切羽詰まった表情はすっかりと霧散していた。


「よし、じゃあここまでにしようか。付き合わせてしまって申し訳ない……本当はやめ時がわからなくてね……止めてくれて助かった」


「やったー! やっと開放されたー! そうと決まればメシ行きましょ、メシ!」


「そうだね。こんな時間まで手伝ってもらったし、今日は俺が奢るよ。じゃあ……二階の食堂でいいかい?」


「良いワケないでしょ馬鹿かよ。そのツラでモテないのはそういうとこなんすよ」


 花鶏あとりが繰り出した爽やか――疲れは隠しきれていなかったが――な微笑みは、しかし一千華いちかによってばっさりと切り捨てられる。花鶏あとりのことを恋愛対象として見ているわけではないし、デートがしたいというわけでもない。だが、それにしたって食堂はないだろう、と。


 花鶏あとりとて、別にケチっているというわけではない。

 ただシンプルに、それ以外の選択肢が思い浮かばなかっただけである。そうところがモテないと言われているワケだが。


「くっ、辛辣だな……なら一千華いちか君が選んでよ」


「よっし! んじゃあ外に出ましょう! お腹すいてるんで、ガッツリ濃いのが食べたいです! 肉だな!」


 そんな情けない先輩兼相棒を引き連れ、一千華いちかは意気揚々と治安維持部隊ガーデン本部を飛び出した。

 正面入口を警備する二体の大男に挨拶をして、数時間ぶりの陽を浴びる。じっとりと照りつける初夏の日差しが、疲れた身体に少々重かった。


 本来であれば車で移動するところだが、疲れと眠気を考慮し、徒歩で商業区へと向かう。

 治安維持部隊ガーデン本部からはそれほど距離もないため、朝の散歩には丁度よかった。


「しっかし、ここ最近の忙しさはどうなってんですかね? 毎日のように事件が起こってますよね? いい加減、マジで勘弁して欲しいです……」


 既に賑わいを見せている大通りを歩きながら、半ば愚痴を溢すように話題を提供する。治安維持部隊ガーデン員としてはまだまだ新人の一千華いちかではあるが、花鶏あとりとは入隊以来ずっとバディを組んでいるのだ。こうした世間話を気兼ねなく行える程度には、二人は親密な関係を築けている。


「総会が近いからだろうね。本当に忙しくなるのは、まだまだこれからだと思う」


「うげぇ……世間じゃお祭りみたいに騒いでますけど、ぶっちゃけ私ら治安維持部隊ガーデンの人間からしたら、堪ったもんじゃないですよね」


「それだけ重要なイベントだからね。せめて市民には被害が出ないようにしなきゃ。そのためなら残業くらい、僕はいくらでもしてみせるよ」


 そう言って花鶏あとりは笑って見せる。

 相当に疲労が溜まっているだろうに、そんなことは気にもならないと言わんばかりであった。それ自体は立派な志だと一千華いちかにも同意出来たし、自分もそう在るつもりでいる。だが連日発生している事件のことを思えば、どうしても疑問は拭えなかった。それらの事件は毎現場、兎にも角にも異常なのだ。


「いや、そりゃあまぁ、私も頑張るつもりですけど……っていうか、私らが現着した頃にはもう終わってる……みたいな事件も結構ありましたよね? この間の港湾地区なんて酷かったじゃないですか。現場はあんな悲惨な状況なのに、周囲はもぬけの殻って……一体どうなってんです?」


「確かに……まるで竜巻でも通り過ぎたのかってくらい倉庫はバラバラ。明らかな戦闘痕が残っているのに、被害者にしろ加害者にしろ、そのすらも見当たらない……血の一滴でさえも。不自然を通り越して、いっそ不気味なくらいだよ」


 総会が近づいてきた近頃、大小さまざまな事件が各地で発生していた。

 通報の数も増加しているし、各地の詰め所からも不審者捕縛の報せが届いている。といってもそれは、取るに足りない小さな事件が殆どであった。探索者同士のいざこざであったり、酔っぱらいが暴れていたり。わざわざ治安維持部隊ガーデンが出張るような事件か、と言いたくなるようなものだ。しかしそれら小さな事件に紛れるように、不可解な現場がいくつかあった。何を隠そう、彼らが連日残業を強いられているのは、そうした不可解な現場の調査に時間を割かれているからであった。


 というのは、ある意味最も危険なことと言える。

 原因も、犯人も、理由も。それら全てが分からなければ、対処の仕様がないのだ。


 花鶏あとりが肩を竦めながら、しかし後輩を諭すように言う。


「ま、地道にやるしかないさ」


「そりゃそーなんすけど……あーもう! 仕事の話はやめやめ! 今は忘れましょう! 折角他人のお金でご飯食べるのに、これじゃ不味くなっちゃいますよ!」


「君から始めた話なんだけどね……」


 頭をぶんぶんと振り、食事を前に吹っ切れた様子の一千華いちか

 普段通りに戻った後輩の姿に、現金なものだと呆れる反面、花鶏あとりは少し安心していた。戦闘にしろ事務仕事にしろ、この切り替えの早さとポジティブな性格には、これまで何度も助けられてきたのだから。そう思っていたのだが――――


「あっ、ちょ! 先輩あそこ見て下さい! めっちゃ美人のメイドさんがいますよ!」


「えっ、どこどこ? うわ、ホントだ。スタイルもいいなぁ」


「ピヨちゃん先輩、意外と結構スケベですよね……あ、隣の子も別ベクトルでかわいいです! 朝からいいもん見たぁー……私達があの人達の生活を守ってるんだって考えると、俄然やる気出てきました! っていうか、メイドとぴえん系ってどういう組み合わせなんですかね!? うははは! 怪しいから職務質問します?」


「別に怪しくはないでしょ……っていうか職権乱用だよ……あと、もう昼前だよ……」


 治安維持部隊ガーデンの制服を着ていることを忘れているのだろうか。

 徹夜テンションで騒ぐ後輩は、やはり少々面倒くさかった。



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