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第66話

 嵐士あらしは膝の上で手を組み、興味深そうに織羽おりはを見つめていた。


織羽おりはと申します」


「ああ、やはり君が……では礼を言わなければならんな。凪を護ってくれてありがとう」


 そう言って軽く頭を下げる嵐士あらし。これは酷く珍しい光景だった。

 彼は他人に弱みを見せることを是としない。元より態度を表に出すのが苦手な男ではあるが、それ以上に立場的なしがらみがそうさせる。故にこうして、素直に謝辞を述べることは殆どしないのだ。彼が素直な顔を見せるのは、凪の知る限りでは妻――――凪の母親に対してだけである。そんな男がこうして頭を下げているということは、心からの感謝の表れだといえるだろう。


 しかし、そんなことよりも。


(……やっぱり、お父様も織羽おりはの顔を知らなかった)


 もちろん大企業のような雇用形態であれば、そういったこともあり得るだろう。会社のトップが末端の顔など知っておく必要はない。

 確かに凪は身辺警護界隈のセオリーなど知らないが、だが果たして、互いに面識がない状態での護衛契約などあり得るのだろうか。少なくともメイドの雇用という面で見れば、必ず面接は行われる。亜音あのん椿姫つばきはもちろんのこと、花緒里かおりでさえもそうであったように。


 ちらりと織羽おりはの様子を窺ってみれば、なにやら凛々しい顔で、色々と謙遜をしているところであった。

 完璧メイドの織羽おりはしては珍しく、どうやらこの小さな綻びには気づいてはいないらしい。


(はぁ……余計な詮索しないと言っておきながら、いざ新しい情報が出ればこの体たらく……我ながら姑息なことね)


 なんだかんだと言いながら、もっと知りたいと思ってしまっている。そんな自分が恥ずかしかった。

 そうして凪はかぶりを振り、脳裏に纏わりついた疑問を振り払う。


「お父様。私の顔を見に来たというのなら、もう用件は済みましたよね?」


「露骨に追い出そうとするな。少しくらい居てもいいだろう?」


「お父様がここに居ると、メイド達が緊張するんです」


 『さっさと帰れ』と告げる凪、無駄に粘る嵐士。

 そんな二人の争いに口を挟める者など、ここには居なかった。如何に白凪館がアットホームな職場といっても、流石に限度がある。あの花緒里かおりですらも、ただ黙って微笑むに留めているのだから。亜音あのんは厨房に引っ込んで出てこないし、椿姫つばきは庭に転がったまま。そして織羽おりはは退屈そうに余所見をしている。嫌われているというわけではないが、何しろ九奈白嵐士だ。彼が居るだけで、誰もが下手に動けないのだ。


「む……なに、ここは周囲の目もない。楽にしてくれたまえ」


「成程。楽しい席に堂々と顔を出し、あまつさえ部下に対して『今日は無礼講だ』などと言ってしまうタイプでしたか」


「む……? 何かマズいのか?」


「そう言われて楽しめる部下など、この世には存在しませんよ。本当に楽しんでもらいたいと思うのなら、そうした席には顔を出さないことをお勧めします。黙ってお金だけを払えばそれでよろしい。実際、私はそうしています」


 学生の身でありながら、父親に対して理想の上司論を語る凪。

 なにしろ既にいくつかの会社を経営している彼女だ。その言葉には確かな説得力があった。この歳でそんなことを考えているという時点で、既にちょっとした笑い話ではあるのだが。ちなみに凪がそうした会に顔を出さないのには別の大きな理由がある。単純に人付き合いが苦手なためだ。むしろ部下達は凪にも参加して欲しいと思っていたりするのだが、そんな願いがコミュニケーション弱者の拗らせ令嬢に届くはずもない。


 何にせよ、凪はさっさと嵐士を追い出したかった。

 先ほど、今日はゆっくり過ごすと決めたばかりなのだ。邪険にするつもりはないが、しかし凪もまた、嵐士が居てはリラックス出来ないのだ。そもそもあと数日もすれば、探協総会の打ち合わせやらで顔を合わせることになるのだ。もちろんプライベートな場というわけにはいかないだろうが、凪にとってはそれで十分だった。


花緒里かおり、雑賀さんに迎えの連絡を」


「よろしいのですか?」


「ええ。忙しいお父様をこれ以上拘束するわけにはいかないもの」


 そう指示を出した後、凪がソファから徐ろに立ち上がる。いわば強制見送りの体勢である。

 随分とまぁ雑な応対ではあるが、しかし嵐士の予定が詰まっているのも確かなので、渋々ながら彼も退出の準備を始めた。


 嵐士が乗ってきた車は、どうやら近辺をぐるぐると回っていたらしく、連絡を入れた五分後には門前に到着していた。

 そうして玄関ホールまで見送りに出た凪が、どこか物足りなそうに肩を落とす嵐士へと声を掛ける。


「お父様」


「む……なんだね?」


「……プレゼント、ありがとう。使わせてもらっているわ」


「!!」


 それは凪の誕生日に送られてきた、馬鹿みたいなデカさのプレゼントに対するお礼だった。

 繰り返しになるが、彼女は父親が嫌いなわけではない。度を越した愛が煩わしいだけで、プレゼントを貰えば嬉しいし、その気持ちは有り難く思っているのだ。ちなみにだが、嵐士からのプレゼントは天蓋付きの高級ベッド(組み立て済み)であった。こちらはどこぞの馬鹿のプレゼントとは異なり、ちゃんと凪の寝室に設置されている。超高級品というだけあってか、少々派手な見た目を除けば素晴らしい一品であった。


「――――そうか。他に欲しいものがあればいつでも言いなさい。すぐに届けさせよう」


「いえ結構です。そういうところですよ」


「む……?」


 顔に出ない分、肩を忙しなく上げたり下げたり。

 『目は口ほどに』などと言うが、嵐士の場合は肩に出るらしい。


「では、またな。身体には気をつけろ」


「ええ、お父様も」


 短い別れの挨拶と共に、玄関を潜る嵐士。なお、扉の開閉は織羽おりはが行っている。

 そんな扉脇の織羽おりはへと、すれ違いざまに嵐士が一言。それは小さく、二人にしか聞こえないような声量であった。


「あの子を頼む。もし私の協力が必要な時は、隆臣に言うといい」


「……お任せ下さい」


「君も気を付けて、な」


 それだけ言い残し、嵐士は白凪館を去っていった。

 気絶していた時間も含め、滞在時間は一時間程度。名は体を表すとでもいうべきか、まさに嵐のような訪問であった。


(ん……あれ? 下の名前で呼び捨て……? もしかしてゴリラと知り合いなの? ほーん、聞いてないぞ……?)


 織羽おりはと凪、二人に小さな疑問を残して。


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