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第68話

 明星千里あけぼしせんり

 迷宮情報調査室の現役職員であり、戦闘要員としては織羽おりはの先任だ。


 戦闘要員といっても、役割は織羽おりはと少し異なる。

 織羽おりはや隆臣のように敵と直接相対するわけではなく、専用の銃を用いての長距離狙撃が彼女の役割だ。といっても、いわゆる後方火力支援というわけではない。無論、チームで動く際には支援に徹することもあるが、そうした枠に収まらないとでも言うべきだろうか。彼女の狙撃能力は他に類を見ない程に凄まじく、それ単体で必殺の武器となり得るのだ。謂わば織羽おりはと対を成す、迷宮情報調査室にとっての『二本目の槍』とでも言うべき存在。それが明星千里という女性であった。


 『天眼』と呼ばれる千里の技能スキルは、狙撃手として必要とされる、およそ全ての能力を備えている。その技能の名が示す通り、彼女には目に見えないモノが見えるのだ。空気の流れ、密度、気温の変化、果ては目標物までの詳細な距離まで。本来は膨大な経験が必要であろうそれらの情報が、彼女には視覚情報として認識出来る。更には、探索者としての優れた身体能力も保有している。そこに専用の武器と弾が加わることで、彼女の狙撃は極限の精密性を誇ることとなった。


 ほんの僅かなズレが命取りとなる長距離狙撃に於いて、しかし技能に目覚めてからこれまで、彼女はただの一度も的を外したことがない。曰く『五千メートルまでなら必中、それ以上は試したことがない』とのことである。口ぶりから察するに、どうやらまだ余裕がありそうである。なお余談ではあるが、公的な狙撃の最長記録は四千メートル弱である。使用武器の違いなども勿論あるが、如何に千里の能力が馬鹿げているかが分かる発言といえるだろう。とはいえ狙撃手としては唯一にして最大の、とある致命的な欠陥も抱えていたりはするのだが。


 そんな千里だが、普段は気の良いお姉さんといった性格をしている。

 そうした愉快な性質上、織羽おりはなどは随分と可愛がられたものだ。そう、今がまさにそうであるように。


「あはははは! 本当にすっごい可愛く仕上がってるじゃない! ちらっと話には聞いてたのに、誰だか全然分かんなかったよ!? むしろずっとそれで居てほしいかな!」


 まるでヘッドロックでもするかのように、織羽おりはの頭を抱えたまま大笑いする千里せんり。担いだケースの角と乳が、織羽おりはの側頭部へと襲いかかる。


「ちょっと! 痛い痛い! っていうか、なんでソレ持ち歩いてるんですか!」


「んー? そりゃあ私の相棒だもん。旅行中もずっと一緒だったよ?」


「えぇ……職質待ったなしでしょ」


 千里の抱えているケースの中身。

 それは彼女の専用武器、つまりは狙撃銃である。当然ながら、職務質問を受ければ一撃だ。


「確か留置所には3回くらい入ったかな? で、毎回ひそかさんに連絡して、上から話通してもらってさ。凄いもんで、4回目からは顔パスになったよね」


「最悪だよ」


「はっはっは! 久しぶりに会ったっていうのに、相変わらず口悪いなぁキミは!」


 その口ぶりからは、再会への喜びが感じられた。

 千里せんりは今年で二十六になる。少数精鋭かつ所属メンバーの平均年齢が低い調査室に於いては、これでも上から三番目だ。加えて創設メンバーの一人でもあるため、そこそこ加入の早かった織羽おりはよりも更に古参である。そうした理由から、今ではすっかり『調査室のお姉さん』的なポジションに収まっている。なお、一時はひそかとポジション争いをしていたが、性格面で千里せんりに軍配が上がった。それ以来、ひそかはお母さんポジションへと追いやられることとなった。当初は『まだそんな歳じゃない』などと抵抗していたひそかだが、歳を重ねるにつれて何も言わなくなったという。閑話休題。


「で……結局、どうしてココに?」


 再会の挨拶もそこそこに、投げっぱなしとなっていた疑問を再び織羽おりはが問う。

 弟成分をしっかりと補給できたおかげか、千里せんりは満足そうに頷いていた。


「そりゃあ仕事だよ。ん……久しぶりだし、ちょっとそのあたりのすり合わせ、しよっか?」


 定期報告は欠かさず行っているものの、自身の任務に必要な事以外はさっぱり聞いていない織羽おりは。そしてつい最近戻ってきたという千里せんりもまた、別行動をとっている織羽おりはの近況については、殆ど知らされていないらしい。それぞれの任務に必要な情報こそ持ってはいるが、しかし認識に齟齬がある状態では話がしづらい。故に二人は、自分たちの持っている情報のすり合わせを行うことにした。これまでのこと、現在のこと、そしてこれからのことを。


 千里せんりの話に曰く、『探協総会』には迷宮情報調査室も駆り出されることになっているらしい。

 さもありなん。総会はダンジョン絡みの案件で、かつ各国の重要人物が集う一大イベントなのだ。表向きの警備は治安維持部隊ガーデンによって行われるが、しかし本命を担うべきはやはり、彼らを置いて他にないだろう。なにしろ治安維持部隊ガーデンと迷宮情報調査室では戦力の質が違う。そこらの探索者崩れを取り締まるだけならばともかく、クロアのようなレベルの者が相手では。


 故に千里せんりがここにいるのは、当然といえば当然の話であった。

 つまりは織羽おりは同様、現場の下見にやってきたというわけだ。


「例の九奈白さんとこのお嬢様、二回も襲われたんだって?」


「そうですね。最初は『大げさなんじゃ?』と思ってたんですけど……思ってたよりもガチでした」


「そりゃそうだよ。九奈白家を強請ゆすれるってことは、少なくとも日本のダンジョン産資源は握ったようなものだからね」


 正直なところ、織羽おりはは九奈白の影響力をナメていた。いいところのお嬢様を一人攫ったところで、別に何も変わらないのではと。しかし千里せんりの口ぶりから察するに、どうやらズレているのは織羽おりはの方であったらしい。もちろん二度の襲撃を退けた今となっては、織羽おりはも認識を改めている。


「二度も失敗してるし、総会までもう日がない。となると、いよいよ強硬策に出てもおかしくないよね?」


「確かに……千里せんりさんの予想は?」


「さぁ? 月次つきなみなトコだと、総会自体をぶっ壊す……とかかな? 中止か延期にさえすれば、また時間が稼げるでしょ?」


 極論過ぎるのではと織羽おりはが思う一方で、しかしあり得ないともまた言い切れなかった。

 思い通りにならないのであれば、いっそテーブルごとひっくり返す。野蛮な連中のやりそうなことである。


「でもまぁ、キミは相変わらずお姫様の護衛だよ。当日はこっちも色々と動く予定だから、もしかしたら連携取ることもあるかもね?」


 織羽おりはは継続して凪の護衛を。

 千里せんり達はテロの警戒を。


 役割こそ違えど、最終的な方向性は同じと言える。

 織羽おりはとしても、勝手知ったる同僚と連携が取れるのなら、まさに願ったりといったところだ。なにしろ、当日はここに千里せんりがいると分かったのだ。それだけでも、織羽おりはの精神的負担はぐっと軽減される。そう思えてしまう程度には、織羽おりは千里せんりの腕に信頼を置いていた。


「さーて! それじゃあお姉さんは先に戻ろうかな? キミはどうする? 一緒に降りる?」


「ん……いえ、もう少ししてから降りようかと。一緒にいるところをお嬢様に見られると、下手に勘ぐられそうな気がするので」


「あははは! ちゃんとメイドやってんだねぇ。まぁでも、その方が良いかも。今日は室長も来てるしね」


「げえ」


 つい口を衝いて出る嫌そうな声。どうやら隆臣も来ているらしい。

 凪に勘ぐられるとかどうとかより、メイド姿を隆臣に見られるほうが余程面倒だった。




      * * *




 千里せんりが去ってから暫く。


 同僚達と鉢合わせたくない織羽おりはは、時間つぶしも兼ねて無人の庭園をぐるぐると回っていた。

 そうして粗方の下見を終えた後、外周の手すりに頬杖をつきながら、ただなんとなく地上を見下ろす。そこでは準備関係者スタッフらしき人間がちらほらと、あっちへこっちへと忙しなく動き回っていた。資材を運ぶ者、テントを設営する者、それらを指揮する者。上から見ただけでわかるほどの、見事なチームワークであった。


(みなさん、暑い中ご苦労さまです――――ん?)


 織羽おりはが心の中で応援を送った、その時だった。

 ふと、スタッフの中のひとりと目が合ったような、そんな気がした。それは眼下でスタッフ達の指揮を執っている、いわゆる現場監督的ポジションの男だった。この暑い中だというのに、汗のひとつも見せずにキリキリと指示を飛ばしている。とはいえ、汗をかいていないのは織羽おりはも同じなのだが。そうして織羽おりはがそちらへと意識を向けた時には、既に男は劇場棟内へと引っ込んでしまっていた。


(……気のせいか)


 距離と高さを考えれば、そう簡単に目が合うはずもない。

 そうして織羽おりははすぐに忘れ、空中庭園展望台を後にした。



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