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第69話

 展望台から降りた織羽おりはを待っていたのは、サングラスをかけた厳ついオッサンであった。


「げっ」


 スーツ姿に無精髭、顔の傷とサングラス。その風貌はどう見ても一般人ではない。こんな厳つい大男が壁を背に待ち伏せていたとあっては、織羽おりはでなくとも嫌な気分になる筈だ。少なくとも、これが国内最高位の探索者だとは誰も思わないだろう。そんな如何にもヤの付く自営業っぽいオッサン――――天久隆臣は、織羽おりはの姿を見るなり堪えきれずに吹き出した。


「おう、ちゃんと仕事して……ぶふっ! だはははは!」


「何でまだ居るのさ……」


 織羽おりははゴリラとの遭遇を厭うたからこそ、展望台でダラダラと時間稼ぎをしたのだ。

 それが結局遭遇することになったのだから、嫌そうな声のひとつも出るというものである。


「あ? そりゃあお前、俺が嵐士の護衛になったからだよ。つっても、総会の間だけな」


「いや知らんし。そうじゃなくて……折角時間ズラしたのに、何でまだ帰ってないんだよって事」


「いやなに、お前に連絡事項があってな。あとは渡しておく資料も。郵送してもよかったんだが……まぁついでだ、ついで」


 どうやら隆臣は、織羽おりはが降りてくるのをわざわざ待っていたらしい。一体いつから待っていたのかは分からないが、要するに織羽おりはの時間稼ぎは最初から無駄だった、ということになる。では一組織の長にそんな暇があるのかと言えば、残念ながらある。何故なら面倒な事務仕事全般は、その大半をひそかが処理しているからだ。つまり隆臣は、現場に出ていない時に限って言えば、それなりに暇だったりするのだ。


 何気ない会話の中で、ふと織羽おりはは違和感を感じた。

 隆臣はつい今しがた、九奈白当主のことを馴れ馴れしくも名前で呼んでいた。そこに先日の九奈白嵐士の態度を合わせれば、二人が知り合いであることは自明の理である。


「……っていうか、やっぱ知り合いだったんだ?」


「嵐士のことか? あー、言ってなかったっけか……? まぁなんだ、ちょっとした昔なじみだよ。っつーか、そうでもなけりゃお前を貸したりしねーよ」


「そうであっても貸すなよ。公私混同はんたーい」


「いいじゃねぇか。お前も案外楽しくやってんだろ?」


 にやりと笑みを深くした隆臣は、とてもシラを切っているようには見えなかった。

 隠していたというわけではなく、おそらくは本当に忘れていたか、伝えるほどの事ではないと考えたのだろう。実際、二人が知り合いだったからといって何があるわけでもない。迷宮情報調査室まで回ってきた依頼にしては、少し理由が弱い。そう思っていた織羽おりはの疑問が氷解しただけのことである。隆臣が微妙に言葉を濁したあたり、あるいは別の理由――――例えば嵐士に対して、何かのようなものがあったのかもしれない。ただ、どちらにしても織羽おりはは今回の依頼を受けていただろう。加えて隆臣の言う通り、織羽おりはは今の生活をそれなりに楽しんでいる。つまりはどうでもよい話ということだ。


 そうして一頻り笑った後、隆臣がを投げて寄越す。

 織羽おりはがぺらりと紙をめくってみれば、そこには怪しい犯罪者達の情報が記載されていた。


「これは?」


「例の組織――――『黒霧ヘイズ』っつーんだけどよ。それの要注意リストだ」


 どうみても隠し撮りっぽい不鮮明な顔写真に、プロフィールや容疑といった穴だらけの情報がずらりと並ぶ。どこぞの刑事ドラマにでも出てきそうな、ひどくありきたりなファイルであった。だが言うまでもなく、これは立派な機密情報である。今どき紙で、などと思わなくもないが、口には出さない。言ったところで『お前それ星輝姫てぃあらの前でも同じこと言えんの?』という、お決まりのカウンターを貰うだけである。


「明星と話したなら分かってるだろうが……2回も失敗した奴さんには後が無い。十中八九妨害はあるぜ。まぁ一応、お前も目ぇ通しとけ」


「っていってもなぁ……肝心な事は何も分からないんだけど? 酷いのだと、顔と性別くらいしか載ってないのあるじゃん」


 所有している技能スキルまで書かれているものもあれば、その殆どが空欄となっているものまで。記載されている情報量には大きなバラつきがあった。だが逆を言えば、迷宮情報調査室の力を以てしてもこれが限界であるということ。敵組織の強大さがよく分かるというものである。


「文句を言うな。それでも充実した方なんだよ。クロアからの情報提供がなけりゃあ、もっとガバガバだった」


「おやおや。天下の六位様が、随分と情けのないことで」


「オイオイ。言うじゃねぇか、変態女装野郎の一位様がよ」


 目くそ鼻くそを笑う、とでも言うべきだろうか。

 情報面ではあまり役に立っていない織羽おりはと、女装をさせた張本人の隆臣。容赦なくブーメランを投げあう二人を止める者は、残念ながらこの場にはいなかった。


「お? やんのか?」


「あ? なんだぁテメェタコ、コラ?」


 田舎のヤンキーよろしく、激しいメンチの切り合いを行う。

 しかし、今にも取っ組み合いが始まるかと思われたまさにその時、二人の頭部へと衝撃が走った。頭を押さえる二人のちょうど中間には、千里せんりが呆れた顔で立っていた。恐らくはそれで殴ったのであろう、彼女の両手は手刀の形になっている。一体いつからそこにいたのか、相変わらずの隠密技術であった。


「はいはい、やめなさーい」


 言葉と視線、そして謎の圧を巧みに操る、そんなひそかの仲裁とはまた違う。

 有り体に言えば、千里せんりの仲裁は痛いのだ。高位の探索者である織羽おりはと隆臣をして、若干涙目になる程度には。ネチネチと陰湿に詰め寄られる方がお好みか、あるいは後腐れがない代わりに強烈なダメージを負うか。どちらが良いかと言われれば、中々に難しいところである。


「ほら室長、用件は済んだんでしょ? もう帰るよ」


「は、はい……」


「オリも。そろそろ護衛対象者プリンシパルと合流しなきゃマズいんじゃないの?」


「は、はい……」


 時刻はすでに昼前であり、織羽おりはは凪と合流しなければならない。つい先程、花緒里かおりから『午前の打ち合わせが終わりました』と連絡があったからだ。隆臣は隆臣で、各地を忙しく飛び回る嵐士について回らければならない。千里せんりの言う通り、無駄に遊んでいるような時間はなかった。


 なお『Principalプリンシパル』とは、いわゆる業界用語のようなものである。一般的には『重要な』という意味の英語であるが、ボディーガード界隈では護衛・警護対象者の事をそう呼ぶのだ。他にも『Protecteeプロテクティー』などと呼ぶ場合があるが、基本的には同じ意味合いである。また、護衛対象プリンシパルをクライアントと混同して呼ぶ場合もあるが、厳密に言えばプリンシパルと依頼人クライアントは別物だ。依頼人とは読んで字の如く、料金を支払い護衛を依頼した人物のことを指す。そしてプリンシパルとは、実際に護衛を受ける人物の事を指す。織羽おりはのケースで言えば、凪が『護衛対象者プリンシパル』で、嵐士が『依頼人クライアント』ということになる。


 また通常、公的な護衛には義務が伴う。『守る義務』と『守られる義務』だ。

 その点、迷宮情報調査室は公的機関ではあるものの、護衛専門の組織ではない。あくまでダンジョン関連任務の一環として、必要であれば護衛も行うといった程度の位置づけだ。更に凪の護衛任務は、からの指示というわけではない。故に扱いとしては民間企業による護衛サービス業務に近く、そうした強制力はなかったりする。つまり凪が『守られたくない』と思えば、護衛そのものを拒否することが出来るということだ。初期の凪ならばともかく、近ごろの様子を見れば、まずそんなことにはならないであろうが。なおゴリラによる嵐士の護衛は、諸々の情勢を鑑みたからの命令、つまりは公的な方の護衛だったりする。閑話休題。


 そうしてお姉さんせんりからシンプルに怒られた二人は、すごすごと歩き出す。まるで子どものように、互いに舌打ちをしながら。


「もぅ……それじゃあオリ、私達は行くから。何かあったらいつでも連絡してね? 今まで休んでた分、お姉さんがキミを助けてあげよう!」


「わーい」


 お茶目なウィンクをひとつ飛ばし、ついでに態度の悪いゴリラのケツを蹴り上げながら、そうして千里せんりは去っていった。

 これまで数ヶ月、慣れない環境で殆ど孤軍奮闘状態にあった織羽おりは。なんだかんだと楽しんでいる反面、やはり正体バレなどの気苦労は多いのだ。しかし久しぶりとなる身内との再会に、織羽おりはの表情はすっかり緩んでいた。特に千里せんりの存在は大きい。彼女が戻ったとあれば、対応出来る局面がぐっと広がるであろうから。


 (っと……マズいマズい。メイドたるもの、いかなる時も主人を待たせるべからず!)


 もちろん、急いでいるからといって駆け出すような、そんな無作法は行わない。

 偉大なる先生の教えを思い出し、ゆっくりと上品な足取りで、織羽おりはは凪達の待つ展示棟へと向かった。



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