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第70話

 白凪館の門前に、一台の高級車が停まっていた。

 といっても、凪が普段移動に使っている九奈白家所有の車両ではない。リーナが白凪館までの移動に使用している、エルヴァスティ家所有のものだ。運転席にはルーカスの姿があり、織羽おりはに向かって小さく手を上げていた。どこか照れくさそうにしているあたり、先のダンジョン実習に端を発した一連のやりとりが、未だに尾を引いているのだろう。織羽おりはの虚乳を揉んだことを、今なお反省しているのかもしれない。


「それじゃあ凪さん、織羽おりはさん。行ってきまーす!」


「お土産、たくさん買ってきます」


 後部座席の窓から顔を見せるのは、莉子と火恋の特待生コンビだ。普段の制服姿ではなく、いかにも『これから遊びに行きます』といったカジュアルな装いである。そして当然ながら、車の前にはリーナが立っている。白く爽やかなワンピースに身を包み、麦わら帽までかぶって。隣には日傘をさしたマリカを従え、まさにお手本のようなバカンススタイルであった。リーナはニコニコと笑顔を咲かせながら、呆れ顔の凪を見つめていた。


「……どうしてわざわざウチに寄ったのかしら?」


「羨ましいかな、と思いましてっ! こうすれば、次は一緒に来てくれるかなと思いましてっ!」


 そう。彼女たちは本日より、九奈白家所有の別荘にてバカンスの予定であった。それも七泊八日という、あまりにも偉そうな日程で。

 行き先が九奈白の別荘ということからも分かるように、宿泊先を提供したのはもちろん凪である。初めての日本、そして訪れた夏休み。折角だから皆でどこかへ遊びに行きたいと、リーナが言い出したのは一週間ほど前のこと。そうして凪が提案したのが、今回の旅行であった。


 当然ながら、凪も一緒に行こうと誘われた。というより提案したのは凪なのだから、当然一緒に行くものだとリーナは思っていた。しかし凪は『Le Calmeル・カルム』の代表として、また九奈白の娘として、探協総会に参加しなければならない。そもそもそれ以前に、人付き合いの苦手な凪はあまり気乗りしていなかったのだが――ともかく凪はリーナの誘いを断り、その代わりに宿泊先を提供したというわけだ。誰かを招待しても構わないと付け加えて。そうして招待されたのが、仲良くなったばかりの莉子と火恋だった。事のあらましとしては、大凡こんなところである。


「要するに、私を煽りに来たワケね。いい根性してるわ……」


「大事なお仕事なのは分かりますけど、やっぱり凪さんとも遊びたいんですっ! だから次は絶対に行きましょうね! 総会が終わっても、まだ夏休みは続きますからっ!」


「はいはい。考えておいてあげるから」


「絶対ですよ! 言質取りましたからねっ!」


 そう言ってリーナは嬉しそうに笑い、次いで後ろで控えていた織羽おりはへと向かう。


織羽おりはさん! 今から凪さんのスケジュール抑えておいて下さいっ!」


「は……いえ、その……」


 他家のお嬢様とはいえ――既に親しい間柄ではあるものの――、一介のメイドに口答えが許される相手ではない。

 しかし織羽おりはは言い淀む。何故なら織羽おりはも凪と同様、バカンスの参加には消極的だったからだ。織羽おりはの場合は、人付き合いが苦手というわけではない。だがこの時期に旅行となれば、行き先はほぼ間違いなく海になるだろう。今回がまさにそうであるように。それはつまり、男バレのリスクが高いということである。


 如何に高性能なスライムパッドを装備しているとはいえ、さすがに水着はマズい。仮に常時メイド服で乗り切ったとして、しかし水場というだけで至るところにリスクは潜んでいるのだ。更に凪やルーカスには、織羽おりはの高い戦闘能力がバレつつある。警戒というわけではないが、普段よりも意識を向けられやすい状況と言えるだろう。そうした状況を鑑みればこそ、出来るだけ参加したくないというのが織羽おりはの正直な気持ちであった。それ以前に、凪のスケジュールを決める権利など織羽おりはにはないのだが。もしそんな権利があるとすれば、総会への参加を早々に止めている。


 そんな織羽おりはの考えが伝わったのか、なぎの救いが齎された。


「ああもう……ほら、さっさと行きなさい」


「むぅっ! 仕方ありませんね……それじゃあ行ってきます! お土産話を楽しみにしていて下さいねっ!」


 まるで厄介払いでもするかのように、宙を手で払いのける凪。それを受けたリーナが、マリカを伴って車へと乗り込んでゆく。

 既に車は動き出しているというのに、窓から顔を出し、やいのやいのと喚いているリーナ。あの様子を見るに、どうやら次の旅行からは逃げられそうもなかった。


「前から思っていましたが、愉快な方ですよね。いいトコのお嬢様とは思えません」


「あれでも地元では大層な人気者だそうよ?」


「さもありなんですね。容姿も良いですし」


 リーナは、凪とは逆のタイプの美少女だ。

 垂れ気味で優しい印象を受ける大きな眼。柔らかに輝く金色の髪。全体的にほんわかとした少女でありながら運動神経が良く、思いの外機敏に動く。先の襲撃事件の際も、見事な逃げ足であった。加えて性格は外交的で、誰とでもすぐに仲良くなれる。孤高を地で行く凪と友人関係を築けているのが良い証拠だ。スタイルは普通だが、その人懐こい笑顔は確かに魅力的だ。祖国では人気があるというのも、頷ける話であった。


 織羽おりはがそんなことを考えていた時、ふと隣から邪気を感じた。

 よく見なければ分からない程度にだが、凪の頬がむすりと膨らんでいる気がする。心做しか、口も少し尖っているような。


「ふぅん……」


「……如何がなさいましたか、お嬢様?」


「別に」


 凪はそう言うと、さっさと館内へ向かって歩き出してしまう。どう見ても機嫌が下降していた。

 何かマズいことでも言っただろうかと考えつつ、織羽おりはは黙ってその後に続いた。


「そういえばお嬢様」


「何よ」


「今朝ケーキを焼いたんですけど、いい出来なんです。後で部屋までお持ちしますね」


「……頂くわ」


 特に何かの考えがあって発した言葉ではなかったが、しかしその織羽おりはの一言は、凪の機嫌を回復させるのに十分な威力を持っていた。


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