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第74話

 三日間に渡って行われる『総会』、その初日は恙無く全工程を終了した。

 他国の来賓が国内企業の製品にケチをつけるといった、程度の低いトラブルこそはあったものの、それ以外には目立った事件も起きなかった。治安維持部隊ガーデンはもちろんのこと、迷宮情報調査室の面々もまた、特に活躍することもなく。ただただ暑い中を無駄に警戒するという、肩透かしもいいところといった一日であった。しかし彼らにとってはそれが仕事だ。何かあってからでは遅いのだから、肩透かしで済んだのならば上々だろう。


 そうして総会二日目が始まった。

 『探協総会』に於ける主目的、『ダンジョンに係る資源の分配、及び意見交換』は最終日を終日使って行われる。この会議に参加するのは各国代表や協会長のみとなっているため、企業や来賓にとっては、実質的にこの二日目が最終日とも言えるだろう。前回の開催より四年。その間の成果を広く喧伝したい殆どの者にとって、今日は勝負どころであった。


 しかしこの日は、生憎の雨模様であった。

 真夏の日本にしては珍しく、未明からシトシトと降り続ける陰鬱な雨。夏の熱気と相まって酷く居心地の悪い、うんざりするような環境であった。もちろん建物内部は空調が効いているため、展示棟なり劇場棟なり、どこかしらの建物に入れば問題はない。しかしそれらを結ぶ広場などは、海が直ぐ側ということもあってか、薄っすらと霧が発生しているほどだった。


 そんな劣悪な環境下にあって、しかし会場内はしっかりと賑わっていた。

 建物の間には屋根付きの通路があるため、雨が降っているからと言って濡れる心配はない。むわりとした湿気さえ気にしなければ、イベントの運行自体には何の問題もないのだ。加えて前述の通り、参加者達は企業側も見学側もやる気に満ち溢れている。この程度で消沈するようであれば、そもそもイベントに参加したりはしないだろう。


 織羽おりは達もまた、前日と同様にVIPルームで寛いでいた。

 初日に凪へと面通しを願ってきた相手は約五十人程で、実際に部屋まで通されたのは十八人。もちろん一言二言交わして終わりというわけにはいかないため、それぞれの挨拶に対し凪は相応の時間を費やした。そんな前日の気疲れもあってか、この日の凪はすっかり動く気を失くしていた。もちろん見た目の上では、いつものように凛とソファに腰掛けてはいる。ただそれ以上は動くつもりがないらしく、他社のスペースを覗く等といった活動をするようには見えなかった。


「天下の総会とやらは一体どれほどのものなのか――なんて、実は少し期待していたのだけれど……」


「おや、期待外れでしたか?」


「ハズレもハズレ、大ハズレね。少し規模の大きいお祭り、或いは規模の小さい万博といったところかしら?」


「まぁ、メインは三日目だそうですから。初日と二日目はオマケみたいなものなのでしょうね」


 落胆を隠そうともしない凪。

 織羽おりはも一応のフォローは入れるが、実際のところは凪と似たような感想だった。大仰に『探協総会』などと銘打って起きながら、蓋を開ければ別に大したこともない。来場者の身分や出展企業の規模を無視すれば、どこぞの同人イベントとそう変わらないだろう。もちろん織羽おりははどちらにも参加したことがないため、ただの想像でしかなかったが。これならば一般の参加者も募り、それこそ万博のような形にすればよいのでは、と思わずにはいられない。警備の観点からそれが難しいことは分かるが、それにしても期待外れであることは否めなかった。


「ま、それも今日で終わりよ。あと一日くらい我慢するわ」


「では不肖この織羽おりはめが、お嬢様の退屈を取り除くための出し物を――――」


「……却下。なんだか嫌な予感がするから大人しくしておきなさい」


「えー。ホラホラ、デコピンで瓦割ったりするところ見たくないですか? 何でしたら、そこの強化ガラスもデコピンでイケますよ?」


 そう言って、部屋の前面を覆ったガラスを指差す織羽おりは

 無駄に自信があるらしく、デコピンの素振りによって鋭い風切り音を発生させていた。


「一応言っておくけれど……多分それ、人が殺せるわよ」


「あはははは!」


「笑い事ではなく」




       * * *




 その異変に最初に気がついたのは、西側の連絡橋を警備していた治安維持部隊ガーデンの部隊長であった。

 会場への不法侵入者を取り締まるのが、彼の部隊に課された任務だった。しかしこの雨だ。如何に鍛えられた治安維持部隊ガーデンの隊員といえど、身体が濡れれば体力は消耗する。様子を見ながら順に隊員たちを休ませなければ、任務に差し支えが出ようというもの。そうして本日何度目かの休憩指示を隊員達へと出し、部隊長はそれと同時に、治安維持部隊ガーデン本部に設置された司令部へと定時報告を行った。


「西連絡橋、異常なし。これより隊員の入れ替えを行う」


 今日だけで、既に何度も行ったやり取りだ。

 毎度のように『司令部、了解』といった簡潔な答えが返ってくるものだと、部隊長はそう思っていた。


「……司令部? 応答願う」


 返ってきたのはノイズ混じりの耳障りな通信であった。

 しかしここは国内でもトップクラスの技術を誇る街、天下の九奈白市である。どこぞの戦場でもあるまいし、通信不良などはあり得ない。機器の故障を疑った部隊長は、会場入りしている本隊へと連絡を試みた。無論、治安維持部隊ガーデンが使用しているのは最新の通信機材だ。一昔前のものならばともかく、故障もまたあり得ないハズだと思いながら。


「こちら西連絡橋。本隊、応答願う」


 しかし返ってくるのは、やはりノイズだけ。


「……通信妨害ジャミング? いや、まさか……」


 そんなを疑いつつ、部隊長が通信機の再起動を試みた、その時だった。背後から『ぴちゃり』という足音が聞こえた。部隊員の足音かと考えた彼は、振り向きざまに指示を出そうとして――――。


「なっ……はぁ!?」


 突然の出来事に瞠目し、声にならない間抜けな音がこみ上げた。


「何で、こんな――――ッ!?」


 言葉を紡ぐよりも先に、腰に佩いた長剣を咄嗟に振るう。

 しかし僅かに間に合わず、鋭い痛みが右腕に奔った。見れば部隊長の腕には、深い裂傷が刻まれていた。流れ出る鮮血が雨に流され、地面を染める前に消えてゆく。部隊長は苦痛に顔を歪めながら、それでも気力を振り絞って前を向く。そこには地上に居るはずのない、狼型魔物の姿があった。


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