ぐちゃり。
粘ついた音を伴って、巨大な戦鎚がくるりと回る。直後、苛立ちを隠そうともしないクロアの声が、地下通路内に反響した。
「オイテメェ、マジでモンスター出すしか能が無ぇンかよ!?」
普段は間延びした、所謂
「大体なんなンだよ、そのチンケな得物はよォ!? テメェはゲームの
対峙したアールをじろりと睨み、次いでその手にあるナイフを胡乱げに眺める。もちろん、市販のナイフではないだろう。恐らくはダンジョン産の希少な素材が使われた、アールにとっての愛剣とも言うべき武器の筈だ。武器を選ぶ基準など人それぞれ、自分にとって使いやすい武器を選ぶのが重要だ。アールにとってはそれがナイフだったというだけのこと。だがクロアにはそれが気に入らない。クロアの元相方もそうであったが――――それはつまり、敵と正面からぶつかる事を前提としていない武器選びだからだ。
一方のクロアが肩に担いているのは戦鎚だ。
クロアにとっては長剣、戦斧に続く三つ目の武器。長さはクロアの身長をゆうに超え、二メートルにも届こうかという大きさである。
通常の戦鎚であれば、取り回しやすい長さの柄と
成程確かに、そんな馬鹿みたいな武器と比べれば、アールのナイフは
「チッ……クソガキが、図に乗りやがって」
忌々しそうに毒づくアールだが、手も足も出ていないのは事実であった。
戦鎚片手に迫るクロアに対し、アールは直接戦闘を避けた。直接顔を合わせた事など数える程度にしかないが、しかしクロアの戦闘能力はアールも重々承知している。故に小型の魔物が入った収納袋をバラ撒き、その混乱に乗じてクロアを削る方針へと舵を切ったのだ。
それがどうだ。
蓋を開けてみれば、小型の魔物などなんの役にも立ちはしなかった。クロアが戦鎚を振るう度、まるで挽肉のように魔物がすり潰されてゆく。そればかりか乱戦中に都合三度ほど、アールは背筋に冷たい何かが奔るのを感じていた。それは恐らく――――。
「気に入らねェンなら真面目にやれよ。耄碌してても分かンだろうけどよォ……テメェ、もう三回死んでるぜ?」
「……」
「
貧乏ゆすりでもするかのように、戦鎚で床を小刻みに鳴らすクロア。戦闘狂の彼女に言わせれば、アールとの戦いは酷くつまらなかった。
無論、ふた回り程も歳の離れた少女にここまで言われて、腹の立たないアールではない。今すぐにでも殺してやりたいと思っているが、しかし悲しいかな、それが叶わない。戦場で好き放題暴れてきた者と、裏から部下を使っていただけの者。そうして生まれた実力の差は、怒りや気合程度で埋まるほど浅いものではなかった。
事此処に至り、アールは腹を括る。
既に予定は押していたし、何よりも、そうしなければここで終わってしまうとアールは考えた。小娘のいいようにされているようで業腹ではあったが、背に腹は代えられない。故に本来であれば総会会場に放り込む予定であった『とっておき』を、ここで使うことに決めた。
「お望み通り後悔させてやるぜ」
そう小さく呟き、アールはポケットの中から収納袋を取り出した。これまでに使用していたものより大きなサイズの、大型収納袋だ。それをクロアの目の前へと、気持ち強めに袋を放り投げる。アールが持ち運んでいる魔物はただ収納しているだけで、使役しているわけではない。自身の目の前で取り出せば、アール自身に襲いかかってくる恐れがあるのだ。つまり今投げた収納袋には、自滅を恐れなければならないほどの魔物を収納しているということ。
中から現れたのは、全身に防殻を纏う魔物だった。
馬と猪をかけ合わせたかのような外見をしており、少しずんぐりとしている。牙は鋭く、爪は分厚い。最も目を引く漆黒の皮膚は、まるで鎧のように光を反射していた。大きさは
「
「ひゃはは! どうだよ裏切りモンのクソガキが! これが俺の切り札――――」
そうしてアールが得意げに気を吐いた、次の瞬間だった。
「……あ?」
ゆっくりと振り返れば、そこには潰れたトマト――――もとい、
「あはは! 少しはいい夢、見られたぁ?」
くすくすと笑うクロアは、いつの間にか普段通りに戻っていた。
クロアの口調が変わる時、それはつまり彼女の機嫌が悪い時だ。機嫌がよい時の彼女は、たとえ戦闘中であってもへらへらと笑っている。
「な……ん……?」
「
「は……? いや、だから――――」
「逆を言えば、火力が足りてる場合はそれほど脅威じゃないんだよねぇ。言ってる意味、分かるかな?」
つまりクロアはこう言っているのだ。『この程度の硬さでは障害にならない』と。実際、クロアでなくとも
裏でコソコソと動くばかりだったアールは、クロアの実力を見誤っていた。組織で上り詰めることにばかり目が眩み、自身の手駒ではないからとクロアを軽く見ていた。精々が『歳の割に勢いのあるヤツがいる』といった程度の認識だった。同組織に所属していながら、クロアの火力を正確に把握していなかったのだ。それ故の誤算、判断ミス。
所詮小物は小物。
どれだけ組織内で高い地位を得ていようとも、生来持ち合わせた器は変えられなかったらしい。クロアが最初に言ったとおり、結局はこの一言に終始する。こと戦場に於いて、アールは『魔物を出すしか能が無かった』のだ。或いは、だからこそ
アールは地面を睨みつけながら、必死に頭を回転させていた。
切り札を失った今、どうにかしてこの窮地を逃れるために。そうして次に足を動かそうとして、しかしピクリとも動かないことに気づく。
まるで地面に縫い付けられたかのように、足が重い。
みしりと、足の骨が軋んだ。よくよく見てみれば、地面にも少しひびが入っていた。
藻掻くように身体を捻るアールの顔へ、ふと影が落ちる。
「――――あ?」
非常灯に照らされて、血濡れの戦鎚が迫っていた。
その陰に隠れ、酷くつまらなそうな表情をしたクロアが見える。
「キミ程度じゃあ、濡れないんだよ」