隆臣は会場に戻るため、クロアの報告を聞きながら海岸沿いを歩いていた。
「ってなワケで、こう……プチっとヤっちゃった♡」
「やっちゃった、じゃねぇんだよ。捕縛しろっつったろーが!」
曰く、アールの悪巧み自体は問題なく阻止出来たものの、つい勢い余って
「ごめんってー。あいつ、思ってたよりもだいぶウザくってさぁ」
「あー……まぁ、相手は悪名高い指名手配犯だしな。奥の手のひとつやふたつ持っててもおかしくねぇか」
確かに、クロアならば問題なく取り押さえられると判断しての采配だった。最も敵に詳しいのがクロアだったし、アールという男に対処するならクロアが適任であろう、と。しかし同組織にいたからといって、クロアが敵の手の内全てを知っているわけではない。恐らくアールは、クロアですら手加減出来なくなる程の奥の手を用意していたのだろう。それを考えれば、先ずは生きて任務を達成したことを褒めるべきか。隆臣はそう考え直し、クロアの働きを労おうとした。
「スマン、よくやった。お前がウザいっつーくらいだ、よほど悪辣な手でも用意してたんだろ」
「いや顔がムカついてさぁ」
「マジでお前さぁ!」
「あははは! 地下に死体が転がってるから、後処理よろしくー」
けらけらと笑いながら通信を切るクロア。その実力は疑いようもないが、しかし迷宮情報調査室の一員となった自覚は足りないらしい。隆臣は大きな溜息を吐き出しながら、次いで司令部――――
未だ姿を見せない本命、
放っておけば何をしでかすか分からないイカれた相手だ、一刻も早く発見しなければならない。
「どうだ?」
「ダメですね。この雨では『羽虫くん』も役に立ちませんし……」
柵と防波堤の向こうに見える海はすっかり荒れており、とても船で着岸出来るような状況ではない。空に関しても同じことだ。この島には滑走路がないため、空路となるとヘリを使うしかない。だがこの強風では、それが不可能だということは一目瞭然だろう。仮に天候が良かったとしても、そんなもので登場すれば目立つ以前の問題だ。東西の連絡橋には継続して
「……?」
その時ふと、隆臣は違和感を感じた。
(……雨が、止んだ? っつーか……いつの間にか風も無ぇ)
先程まで隆臣の顔を激しく打っていた雨粒が、不意に感じられなくなったのだ。そればかりか、吹き荒ぶ強風すらなくなっていた。不審に思った隆臣が周囲をぐるりと見回せば、近くの木々はやはり、なぎ倒されんばかりに揺れている。横殴りの雨も目視出来るし、もちろん地面も濡れている。
雨は間違いなく降っている。風も間違いなく吹いている。
しかし隆臣だけが雨に打たれず、風も感じない。まるで風雨が隆臣だけを避けているかのよう。つい先程まではこうではなかった。実際、隆臣は現在パンツまでびしょ濡れになってる。唐突に隆臣だけが世界から隔離されたかのような、そんな感覚だった。しかしこの現象を楽しめるほど彼は能天気ではない。明らかな異常事態に眉を潜め、周囲の気配を探り始める隆臣。すると
「うふふ。そこのオジサマ、ごきげんよう。いい天気ね?」
「――――ッ!?」
慌てて空を見上げれば、そこには傘を差した女が一人、まるで
こつり。
地面を叩くヒールの音と共に、女が隆臣の前に舞い降りる。この状況だけを見れば、天使か何かが地上へと降臨したかのような光景だ。だが少なくとも隆臣には、その不敵な笑みを浮かべる女の姿が酷く邪悪なものに見えていた。それこそ吸血鬼か何かのように。それもそのはず、隆臣はこの見た目だけは美しい女の、その本質を知っているのだから。人体実験を始めとするこの女の所業は、アールなどが可愛く思える程である。
こんな輩が所属する組織と手を結んでまで、ダンジョン資源の利権を握ろうとするなど。
依頼主が何処の誰かは知らないが、強毒を自ら体内に入れるようなものだ。隆臣からすれば、およそ正気の沙汰とは思えなかった。
「室長? どうかされましたか?」
イヤホン越しに聞こえる
少しでも気を抜けば、あっという間に
「
「あらぁ? わたくしのことをご存知なのかしら? ふふふ、嬉しいわぁ」
向けられた粘っこい視線にも、隆臣はまるで動じない。ただ
「答えるつもりはねぇってことか?」
「もぅ、せっかちねぇ……折角の男前が台無しよぉ? それにどうやってもなにも、今アナタも見ていたでしょぉ?」
しかしどういうわけか、この場にだけは一滴の雫すらも落ちてこない。あまつさえ、緩やかな風が隆臣の頬を撫でる始末であった。
(もしかしてコイツ、風を操ってんのか……? いや、だが……)
隆臣は
そもそも『風操作』という
もし本島からここまで飛んできたのが、
(……不確定情報で戦い方を決めるのはマズい。ひとまず様子を見るべきか)
そう方針を定めた隆臣が、軽く腰を落として戦闘態勢をとる。
「いい歳こいて随分とメルヘンな登場だなぁオイ。恥ずかしくね?」
「あらぁ? うふふ、綺麗なお姉さんが空から降りてきたら、誰だって嬉しいものでしょぉ?」
「本当に綺麗なお姉さんならな。内面が腐りまくってんだよ、テメェは」
「お褒めに預かり光栄だわぁ」
会話内容だけを切って取れば、ただの雑談のように聞こえなくもない。
だがその実、二人の間にはどうしようもない程剣呑な空気が流れていた。あえて隆臣の前に降り立ったことから分かるように、
「うっし……んじゃまぁ、テメェをぶっ飛ばして一件落着といこうじゃねぇか」
「うふふ。期待しているわよ、『六位』さん?」