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第85話

 肩の荷が下りたといわんばかりに、隆臣は大きな息を吐きつつ木に背中を預ける。


「残りの敵は、あの女だけですか?」


「おう……つーかお前、何で来たんだよ。しかも護衛対象まで連れてきやがって」


 隆臣が『織羽おりはが向かっている』と知ったのはつい先程。戦闘の最中、ひそかからの報告を受けたのだ。もちろん隆臣は戦闘中であった為、報告に対して何かを聞き返すような事はしなかった。だが今回の作戦には織羽おりはを組み込んでいなかった為、一体どういう事かと訝しんではいたのだ。


 しかし『既に向かっている』と言われれば、否やはない。

 実際隆臣では分が悪かったこともあり、故に織羽おりはが来ることを前提とした戦い運びを行った。


 そうしていざ現れてみれば、まさかの女連れである。これには流石の隆臣も驚いた。まず、護衛対象を危険な場所へと連れて来る事自体があり得ない。そんなことは織羽おりはも分かっているはずで。そして何より、二人が怪しい紙袋を被っている、その理由がまるで分からなかった。


「まぁまぁ、細かい事はいいじゃないですか。とりあえず追撃してきます」


「あ、オイ――――行っちまった」


 言うが早いか、ロクに説明もせぬまま林の奥へと消えてゆく織羽おりは

 その背中を見送りつつ、隆臣はもう一人の方へと視線を送る。流石は父娘と言うべきだろうか。腕を組んだまま毅然と立つその姿は、彼がよく知る『友人』によく似ていた。隆臣がそんな風に考えていた時、悪役令嬢こと九奈白凪が口を開いた。


「私が頼んだんです。この街を護るために力を貸してほしい、と」


 それは、先ほど隆臣が投げかけた問いへの答えであった。

 この時点で隆臣は大凡の状況を理解する。織羽おりはのメイド採用に始まった今回の護衛依頼。その全容を、既に凪が知ってしまっているということを。


「あー……なんつーか、もう全部知っちまったって感じ?」


「ええ、概ねは。まさかあなたのような大物が関わっているとは、流石に思っていませんでしたが」


 紙袋に空いたふたつの穴から、じろりと睨むような視線が隆臣へと向けられていた。

 『六位』という立場上、隆臣は迷宮情報調査室メンバーの中でも顔が知られている――というより、隆臣以外のメンバーは露出が皆無である――方だ。探索者と密接な関係にある九奈白家の娘、かつ『Le Calmeル・カルム』の代表でもある凪が、有名人である隆臣の顔を知らない筈もない。


「そうか……んで?」


「あの子が『お嬢様の側を離れるわけにはいきません』の一点張りだったので、『なら私も連れていきなさい』と」


「行動力っつーか……根性ありすぎだろ。危ねえってのは理解わかってたんだろ?」


「私にはあの子の力が必要でした。私の存在があの子の枷になっているというのなら、それを解き放つのも私の役目。私の都合であの子を頼るというのに、自分だけが隠れていることなど出来ないわ。それに――――」


 そっと瞳を閉じる凪。

 まるで真意を図るように、ふたつの穴をじっと見つめる隆臣。


「それに?」


「……傷ひとつ付けさせませんと、そう言ってくれたので」


 恐らくは恥ずかしがっているのだろう。紙袋の中身は真っ赤になっているに違いない。

 凪の口から溢れた言葉は、風の音にかき消されてしまいそうなほど、酷く小さなものだった。


「ほーん、あいつがそんなことをねぇ……やっぱ、今回の依頼は受けて正解だったなぁ」


 そう呟いた隆臣の言葉の意味が、凪には分からなかった。

 感心するように、どこか感慨深そうに虚空を見つめる隆臣。厳つい顔に似合わぬ優しい眼差しは、まるで子を見守る親のようで。


 しかし、隆臣がそんな表情を見せたのは一瞬のこと。

 すぐに悪戯っぽい顔へと代わり、意地の悪い笑みを浮かべながら凪を茶化しにかかる。


「しかし……ククッ! 被って真面目な話されてもなぁ」


「――ッッ! こ、これはっ! 会場が少しずつ騒ぎになり始めていて、それで抜け出すために変装を……ッ!」


 指摘を受けた直後、凪が紙袋を脱いで投げ捨てる。

 露わになったその顔は、やはり羞恥で赤く染まっていた。


「だはははは! 揶揄ったときの反応は親父にそっくりだな!」


「っ……やはり、父とは知り合いでしたか」


「まーな。愛しの織羽おりはちゃんが戻るまでの間に、オジサンが答え合わせでもしてやろうか?」


「この――――ッ! 結構よッ!」


「だはははは!」




      * * *




 木々をかき分けながら、林の中を織羽おりはが駆ける。

 先の一撃が大したダメージになっていないことは、織羽おりはが一番良く理解っていた。


(さっきの感覚……目には見えない何かで防がれた。よく分からなかったけど、反発するような不思議な感覚だった)


 何かしらの技能スキルによる防御だという事はすぐに分かった。先の奇襲時、織羽おりはは紛れもなく本気で蹴りを入れたのだ。無論凪を抱えていた為、全力とはいい難い。しかし十分な威力は持たせていた筈だった。それこそ、並の相手なら一撃で沈められる程度には。


 それでも、直撃はしていないという確信があった。

 敵の能力くらいは聞いてから来るべきだったと、今更ながらに織羽おりはは後悔していた。そんな織羽おりはの内心を見て取ったかのように、耳元のイヤホンから声が聞こえてきた。今織羽おりはと通信をつなげる者など一人しかいない。故に、誰何する必要はなかった。


「司令部より『紙袋侍女ノーフェイス』へ。敵の技能スキルは『空気操作』と推測されます。未知の技能スキルですので、十分に注意して下さい」


 ひそかから告げられたその情報は、百戦錬磨の織羽おりはを以てしても聞いたことがないものだった。似たもので言えば『風操作』が存在するが、しかしひそかはわざわざ『未知の技能スキル』と言った。つまりそれらは全くの別物であるということだ。そしてひそかがそれ以上告げないということは、隆臣との戦いでは他に情報を得られなかったということ。全力を引き出す前に、隆臣が劣勢に追いやられたということだ。然しもの織羽おりはといえど、未知の技能スキルを前にしてふざける余裕はなかった。


「情報提供に感謝しま――――ッ!?」


 そう手短に礼を告げようとした織羽おりはが、瞬時に身を屈める。

 次の瞬間、が林の中を通過していった。目に見えないというのに、何故そんなことが分かるのか。答えは簡単、そこあった木々が突然、音を立ててからだ。


「あらぁ、勘がいい子ねぇ」


 織羽おりはが正面を睨みつければ、そこには傘を突き出したドレス姿の女が、織羽おりはを見つめて佇んでいた。

 あれほど強烈に蹴り飛ばしたというのに、やはりその身体には目立った傷がほとんどない。強いて言うなら頬から僅かに血を流しているくらいだが、織羽おりはの攻撃によるものとは考えにくい。


「……あらぁ? アナタ、何処かで会った気がするわねぇ?」


「私は覚えていますよ。貴女のような痴女、一度見れば忘れません」


 淡々と、当たり前のように大嘘を吐く織羽おりは

 実際はブリーフィング時に指摘され、そこで漸く思い出したのだが。


「うぅん……駄目ね、思い出せないわぁ」


「必要ないでしょう。これから仲良くランチ、というわけでもありませんし」


「うふふ。そうねぇ……今の身のこなしといい、さっきの蹴りといい……『六位』よりは楽しめそうかしらぁ? それになんだか、不思議な言葉を聞いた気がするのよねぇ。確か――――『一位』がどうとか、ってぇ」


 にたり、とナインが口角を上げる。

 どこか粘性のある、全身に纏わりつくような表情だった。


 『一位』

 それは誰もが知っていて、誰もが知らない存在。表の世界でも、そして裏の世界でも。

 話題に挙がることは多々あれど、しかし名前も顔も、その実力さえもが闇の中。それはまるで、何か大きな意思によって世界から隠されているかのよう。


 だが『六位』は言った。

 ここから先は一位が相手だ、と。


 無論、ただの時間稼ぎに放った言葉だったのかもしれない。

 しかしナインは考える。誰も知らないのであれば。誰も見たことがないのであれば――――けれど確かに存在するのであれば。或いは眼の前の紙袋メイドがそうである可能性も、ゼロではないと。ふざけた格好こそしているものの、先の身のこなしを見れば、もしかして。


 そんなナインの怪しい眼差しを真っすぐに受け止め、織羽おりはは告げる。


「私はごく普通の――――ただのお嬢様専属メイドですよ」


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