この世界の隣には、『狭間』と呼ばれる世界がある。
狭間には、『狭魔』と呼ばれるモンスターが出る。
狭魔を倒す、『魔狩』と呼ばれる人間がいる。
◇
オレは、遠見 勇斗。十四歳の中学生で、冴えないメガネ男子である。腰に廉価品の長剣をさげる、一応、駆け出しの魔狩である。
レジャープールの閉園時間が近い。ほとんどの客は帰って、閑散としている。
オレたちも、そろそろ帰る。家が近いとギリギリまで遊べて素晴らしい。
オレは先に着替えて、普段着のTシャツジーパンスニーカーである。一人で深いプールのプールサイドに佇む。
古堂は、金髪を逆立てるのに時間がかかるそうだ。桃花と琴音は、女子だから、何かと時間がかかるのだろう。
気になることがあって、ここにいる。もう誰も泳いでいないプールは、不気味に映る。溺れかけたってのもある。
今でも不可解だ。全く泳げないわけでもないし、オレが簡単に溺れるはずがない。自身の名誉のために何度でも繰り返そう、オレが簡単に溺れるはずがない。
「潮の香がする、か……」
ボーイッシュな少女の言葉を思い出す。海が近いから鼻のいい人は分かるのかな、と思う。
「懲りないね、キミ? このプールには、近づかない方がいいよ」
ボーイッシュな少女の声がした。
「あっ! あの時は助けていただいて、ありがとうございましたっす」
オレは改めて、感謝に頭をさげた。
溺れたオレを助けてくれた、青みがかった黒のショートカットの、ボーイッシュな少女である。水色の競泳水着の上に白いTシャツを着て、銛を背負う。
全身が、しなやかでスラリとしてる。胸は大きすぎず小さすぎず、女の人って感じのボディラインである。
◇
「いや~。お恥ずかしい限りっす。普通なら、あの程度で溺れるはずないんすけど」
オレは、さり気なく弁明した。何度でも、何度でも繰り返そう、オレが簡単に溺れるはずがない。
「ふふっ。例えば、ここが普通ではなかったとしたら……?」
ボーイッシュな少女が、訳知り顔で、意味深に、どこか楽しげに笑った。
不意に、気のせいか、潮の香がした気がした。
「やった! アタリ! 来た!」
ボーイッシュな少女が歓喜して、Tシャツを脱ぎ捨てた。
前触れもなく、空気が変わった。
……いや、たぶん、前触れは、あった。
◇
灰色の狭間に、ボーイッシュな少女がいる。
オレは、この世界から狭間が見える特殊能力持ちだから、見える。
おかしい。いつもとは、明らかに違う。
少女は浮いて、立ち泳ぎみたいに足を動かす。口の端から、白い泡をのぼらせる。
対峙する狭魔は、鱗の逆立った魚みたいな見た目をして、同じく浮いている。
数秒の混乱。……完全に理解した!
ヤバい! 水中だ! 水中の狭間だ!
水中に引き込む狭魔には、『禍』が多い。理由は単純で明快だ。
禍とは、簡単に言うと『人を殺した狭魔』である。
日常から唐突に、水中になったら、ほぼ誰でもパニックになる。
運好くパニックにならずに済んだとしても、まともに動けず呼吸もままならない水中で、心の準備をする間もなく、水中を自由に動ける狭魔が襲ってくる。
勝てるわけない。狭魔の攻撃力、自分の防御力と生命力、狭間の制限時間、などなどの運が悪ければ、アウトだ。
◇
ボーイッシュな少女の状況を、理解はした。理解したとして、オレには見てるしかできない。
こうなる、と予想してる様子ではあった。見た感じ、パニクってもいない。
こうなっては、無事にこっちに戻ってこれるよう、祈るしかない。
灰色の狭間に、ブクブクと白い泡があがる。見えもしない遥か下方から、幾筋も、幾筋もあがる。
魚の狭魔が尾鰭を左右に大きく振った。少女に向けて、加速して、突撃を仕掛けた。
少女の、しなやかでスラリとした肢体が、負けない速度で動いた。身を翻し、迂回するように、ギリギリで、魚狭魔の突撃を躱した。
逆立つ鱗が、日焼けした腕に掠る。赤く切れて、血が赤い糸みたいに水中に棚引く。
少女は構わず、人魚みたいな華麗な泳ぎで、魚狭魔の上に位置取った。振りかぶった銛を、魚狭魔の背へと投げつけた。
水中戦を得意とする『魔狩』がいる。『マーメイ』と呼ばれる。戦闘系では希少とされる。
初めて見た。とっても幻想的で、とってもキレイだ、と思った。
◇
夏空から落ちてくる小石を、ボーイッシュな少女がキャッチする。狭魔を倒すと、消えて小石に変わる。
「残念。ハズレ。雑魚だったか」
ボーイッシュに呟いた。
「あ、あの。腕、血が出てるっす」
オレが戸惑い気味に声をかけると、爽やかな笑みで応える。
「うん? あぁ、平気。心配してくれて、ありがと」
脱ぎ捨てたTシャツを拾って、腕の傷に巻く。
「じゃあね、キミ。お連れさんたちには、狭魔のせいで溺れた、って言うといい。もう、倒したから、大丈夫だけどね」
背を向けて、手を振りながら、閑散とした園内を歩き去った。笑ってるみたいに背中が上機嫌に見えたのは、きっと、魚狭魔だけに雑魚、みたいな自身の発言がツボったのだろう。
マカリなのでハザマでキョウマとタタカわされます
第44話 EP8-4 オレが溺れるはずがない/END