この世界の隣には、『狭間』と呼ばれる世界がある。
狭間には、『狭魔』と呼ばれるモンスターが出る。
狭魔を倒す、『魔狩』と呼ばれる人間がいる。
◇
オレは、遠見 勇斗。十四歳の中学生で、冴えないメガネ男子である。普段着のTシャツジーパンで、腰に廉価品の長剣をさげる、一応、駆け出しの魔狩である。
「どうして! いるかも分からない『禍』に! こんなにコストをかけなきゃいけないのよ!?」
海の迫る砂浜で、水瀬ママがヒステリックに喚いた。
「それが魔狩ギルドの存在理由だろう?」
片桐が、当然と答えた。
「そんなだから、あなたの支部は討伐率が低いのよ! 優秀な魔狩を何人も抱えて、宝の持ち腐れって陰口叩かれるのよ!」
「ってことで、片桐さんに説得をお願いしたっす」
オレは、砂浜に設置された簡易のイスに座って、説明する。
片桐は、黒いスーツ姿の、親よりも年上くらいの渋いオッサンである。背が高く痩せ型で、サングラスと整った髭と左瞼の縦の傷痕が特徴的で、哀愁漂う。
間近の岩場に荒い波が砕けて、潮の香が強い。夏の真昼の日差しと暑さに、水飛沫が心地好い。
「あのママが説得に応じるわけない。いったい、何をしたんだい?」
水色の競泳水着にマーメイドの脚鰭で、七海も簡易のイスに座る。顔には、疑念と理解不能と驚愕が混じる。
水瀬 七海は、片桐の知人の娘である。青みがかった黒のショートカットで、しなやかでスラリとして、女の人って感じのボディラインの、ボーイッシュな女子高生である。
海水浴場の端にいる。遠めに楽しげな歓声も聞こえてくる。
周りでは、魔狩ギルドの職員が天幕を張ったり、機材を調整したり、交通規制したり、慌ただしく行き来する。
「スコーパの生データよ!」
水瀬ママが悪の女幹部みたいな笑みで、オレを指さした。
水瀬ママは、七海の母親である。スカートスーツで、きっちりと容姿を整えた、化粧の濃い、押しの強いオバサンである。ここの支部の支部長でもある。
七海が、若い男に入れ込む母親を見るみたいに、ドン引きの目でオレを見た。
「その目をオレに向けるのは、おかしいっすよね?」
オレは困惑しつつ抗議した。
「狭魔の情報に加工される前の、スコーパによる観察情報を交換条件にしたのよ。狭魔、狭間、魔狩。部外者が閲覧できるようになるまでに削ぎ落とされた、貴重な情報の塊よ」
水瀬ママが、誤解を解くのに十分な補足をしてくれた。助かった。
「そんなことだろうと思った」
七海が呆れ顔で溜め息をついた。
「あれを片桐の支部で独占なんて、ズルいわ。何が狭魔のデータ収集よ。私なら、狭間の解明にだって繋げてみせるのに」
水瀬ママの力説に、片桐もオレも考える。
「それは流石に難しいだろう?」
「そこまでの価値はないと思うっす」
「あたなたちは、分かってないわ。見えるとは、研究できるってことよ。遠見 勇斗、あなたは私の部下になるべきなのよ」
水瀬ママが、完全に悪の女幹部の勧誘で締め括った。
「ママが、こういう人で、ゴメンな」
七海が苦笑いで謝った。
◇
水瀬ママが七海を見る。
「それより七海、本当に大丈夫なの? 場所、時期、時間帯、ランク。どれか一つ外しても、全てが無駄になるのよ?」
「大丈夫だよ、ママ。数年前、この砂浜で夜のトレーニングを日課としていたランクAの魔狩が、溺死体で発見された。不運な事故で処理されてるけど、被害者の一人とボクは考える」
七海が自信の口調で答えた。
七海は凄い。情報収集能力が、情報量が凄い。水生の狭魔に特化して、調査の執念が凄い。
「ランクBの魔狩も、被害者らしき事故があるから、狙われる力量はランクBとランクAの境目前後だろうね」
「ふぅむ。七海も、そのくらいのランクだったわよね?」
場所とランクはいい。時期は、今年の夏、『禍』が出るまで粘る。時間帯は、……夜?
「夜って、じゃあ、どうして、オレたち、真っ昼間っから待機してるっすか?」
疑問は聞く。『禍』討伐は常に命懸け、と胸に刻むべし。
「余裕をかまして、予想を外してたら、悔しいだろ?」
七海がボーイッシュに微笑した。
水瀬ママが、落ち着かない様子で、オレたちの近くをウロウロする。苛立たしげに爪を噛む。
「沢渡はビビって仮病欠勤だし。せめて、共闘できる『マーメイ』がいれば良かったのだけど」
「沢渡さんも、支部に所属する『マーメイ』さ。ランクBで、力量差的に、ボクとは共闘できない」
七海が、オレの疑問に先んじて答えた。
「希少な『マーメイ』が二人もいるんすね?」
「海が近くて水生の狭魔が出るからね。ママが強引にスカウトしてきた、ってのもあるけど」
他の支部への協力要請は、ことごとく断られた。ランクAの『マーメイ』なんて希少も希少、確証が皆無の案件に出張してくれるわけもない。
◇
「水瀬支部長! 準備整いました!」
作業着姿のギルド職員が駆けてきて、緊張気味に報告する。
「海水浴場の一画ですので、多少の野次馬があります。いかが対処いたしましょう?」
「ランクA相当の狭魔なら、ないと思うけど。間違っても七海以外が狭間に引き込まれると困るから、中には入れないように徹底しなさい」
「はい! 立ち入り禁止を徹底します!」
ギルド職員が緊張気味に返答して、駆けていった。
砂浜に張られた立ち入り禁止のテープの方を見る。
テープ越しに、フリル水着の桃花が手を振ってる。その背中に琴音が隠れる。ナンパを諦めた古堂も、ヒョロい体にブーメランパンツでいる。
他にも、幾人かの海水浴客が、こっちを見てる。狭魔討伐がエンタメ的に公開されることもあるから、人目を惹いて不思議ではない。
「それじゃあ、夜まで時間があるから。将来のファンたちにサービスしておこうかな」
七海が、簡易のイスから立ちあがる。見物人の方に笑顔で手を振り、マーメイドの脚鰭で跳ねて、海へと入る。
自身を過信して油断してる、ってわけじゃないだろう。
七海が海面に浮かぶ。脚鰭で器用に泳ぎ、海に潜り、海上高く跳びあがる。夏の日差しが水飛沫にキラキラと反射して、見物人から歓声があがる。
七海は、今を一生懸命に生きているのだ。『禍』と戦う危険性を理解して、何があろうと後悔しないように、いつか夢を叶える日を、前だけを見て進んでいるのだ。
オレは、素直に羨ましく思った。
マカリなのでハザマでキョウマとタタカわされます
第52話 EP8-12 準備は整った/END