この世界の隣には、『狭間』と呼ばれる世界がある。
狭間には、『狭魔』と呼ばれるモンスターが出る。
狭魔を倒す、『魔狩』と呼ばれる人間がいる。
◇
すっかり暗い夜の浜辺に、波の音が繰り返す。月明かりに薄明るく、海面は黒く揺れる。視界が悪い分、潮の香を昼間より強く感じる。
「観客がいなくなっちゃったなあ」
七海が簡易のイスに座って、海水浴場の方を残念そうに見まわす。
水瀬 七海は、青みがかった黒のショートカットで、しなやかでスラリとして、女の人って感じのボディラインの、ボーイッシュな女子高生である。水色の競泳水着にマーメイドの脚鰭で、銛のアームボウガンと背負った銛で武装する。
昼間の混雑が嘘みたいに、夜には疎らにしか人がいない。誰も泳いでないし、砂浜を歩いたり、海を眺めている。
砂浜に張られた立ち入り禁止のテープの近くに、見物人がいるはずもない。
「桃花たちは、夕飯が済んだらまた来るそうっす。間に合わなかったらゴメン、ってメールがあったっす」
オレも簡易のイスに座って、夜の海を眺めながら答えた。
オレは、遠見 勇斗。十四歳の中学生で、冴えないメガネ男子である。普段着のTシャツジーパンで、腰に廉価品の長剣をさげる、一応、駆け出しの魔狩である。
「環境の数値に変動ありません!」
「小さな変化も見落とさないように! 漏らさず記録しなさい!」
周りでは、水瀬ママも片桐も魔狩ギルドの職員も、慌ただしく行き来する。
静かなこともロマンチックなことも、全然ない。
◇
七海が不意に、オレを見つめた。興味津々に、瞳が輝いていた。
「ねぇ、『スコーパ』って、勇斗クンって。誰かの戦いを見ていて、怖いって思ったことはないのかい?」
唐突に、難しい質問だ。
「えっ? ええっと……」
オレは迷う。
「……運好く、オレがサポートするのは『バイオレンス絢染』と『白銀の炎』、強すぎるくらいに強い魔狩っす。この二人で怖いと思ったことはないっすけど、他の魔狩の戦いを偶然に目撃したときは、怖かったっす」
見知らぬ人がモンスターに襲われてるのに遭遇すれば、怖いに決まってる。だから、七海の質問の意図は、そこじゃない。
「だったら、例えばボクは? キミがサポートしたボクが、『禍』と戦って、殺されるかも知れない。係わって怖いとか、係わって後悔してるとか、ないのかい?」
そうだ。質問の意図は、七海に係わったことを、怖かったり後悔してないか、だ。
オレは、即答する。
「怖いっす。でも、後悔はしてないっす。係わるのを拒んで、それで死なれた方が後悔するに決まってるっす」
あのときアドバイスの一つでもしてれば死なずに済んだかも知れないのに、みたいな後悔の方が嫌だ。係わってないからオレに責任はない、みたいな呵責に一生苦しむのも絶対に嫌だ。
「それなら、よかった」
七海がボーイッシュに笑った。
◇
暗い夜の浜辺に、波の音が繰り返す。岩場に荒い波が砕ける。潮の香が、一際強くなる。
「勇斗クン。やっぱり、ボクとコンビを組もうよ」
「正直、中学生に遠距離は無理っす」
オレは、これも即答する。
「それに、オレには桃」
「ふふっ」
七海が微笑して、人差し指の先をオレの唇に触れた。
オレはドキッとして、思わず黙った。
「今すぐじゃなくても、勇斗クンが高校生、大学生、社会人になって、ボクの近くに住むことになったら。同じ学校や勤務先、放課後や退社後に会えるとかでもいい。返答は、そのときまでに決めてもらえれば、できたらオーケイしてもらえたら、嬉しいかな」
七海がボーイッシュに、少し気恥ずかしげに、はにかんだ。
「えっ? あっ、はい。そういうことなら」
オレの混乱気味の返答に、七海は笑顔で、イスから立ちあがる。マーメイドの脚鰭で跳ねて、夜の海へと向かう。
「やっっっっった! オオアタリ! 約束したからね!」
潮の香がさらに強く、空気が変わった。
凄い!
水生の狭魔に特化した、七海の情報量が、執念が、ついに未発見の狭魔を掴んだのだ。
◇
灰色の水で満たされた狭間に、人間の上半身に魚の下半身で、人魚のシルエットをした狭魔がいる。
でも、全身が暗緑色の鱗に覆われている。顔も鱗に覆われて、大きな目と裂けた口が異様な赤色に光る。マーメイドよりも、海のモンスターめいた風貌である。
それは、白い砂の水底に、突き出た黒い岩に座す。
狭間は暗く、遥か上の水面なんて見えるはずもない。深く、深く、ただ静寂と無が満ちていた。
マカリなのでハザマでキョウマとタタカわされます
第53話 EP8-13 尻尾を掴む/END