この世界の隣には、『狭間』と呼ばれる世界がある。
狭間には、『狭魔』と呼ばれるモンスターが出る。
狭魔を倒す、『魔狩』と呼ばれる人間がいる。
◇
夜の浜辺で、七海が狭間に引き込まれた。
己の実力を示すべく狙いを定めた狭魔を、ついに捉えたのだ。
灰色の水で満たされた狭間に、マーメイドの姿で泳ぐ七海がいる。
オレは遠見 勇斗。この世界から狭間が見える特殊能力持ちだから、見える。
狭魔は、白い砂の水底に、突き出た黒い岩に座す。人間の上半身に魚の下半身、この狭魔も人魚のシルエットをしている。
でも、全身が暗緑色の鱗に覆われる。顔も鱗に覆われて、大きな目と裂けた口が異様な赤色に光る。マーメイドよりも、海のモンスターめいた風貌である。
狭間は灰色の水に満たされる。暗く、遥か上の水面なんて見えるはずもない。深く、深く、ただ静寂と無が満ちる。
「今度こそ! アタリかい?!」
七海が脚鰭を大きく振り泳いで、人魚狭魔との距離を一気に詰めた。
人魚狭魔は、膝を曲げるみたいに魚の下半身を半ばで曲げて、黒い岩に座したまま、動かない。
よし! 初動は、圧倒的に七海が早い。
人魚狭魔が、赤い口を大きく開く。鱗に覆われた顔が、悪意に笑うように歪む。
「……くっ!?」
七海が泳ぎをとめた。頭を手で押さえて、身を捩り、苦しみ始めた。
◇
何が起きたか、オレには分からない。……違う。それを読み解くのが、『スコーパ』の存在意義だ。
灰色の水が、揺れて見える。人魚狭魔を中心に、見える限りが揺れている。
音波攻撃か。大音量でダメージを与えてくる狭魔がいる、と資料で見た記憶がある。その水中版か。
七海は頭を手で押さえ、苦しむ。苦痛に顔を顰め、苦しみ続ける。
音波で相手に苦痛を与えて動けなくする狭魔のようだ。厄介だ。
人魚狭魔が、動けない七海に、何もしない。近づきもしない。黒い岩に座し、赤い口を大きく開け、音波攻撃を続ける。
七海に表面的なダメージはない。出血も傷もなく、苦しみ動けずにいるだけだ。
これなら、音波攻撃が途切れるまで耐えて、途切れたら即反撃で、活路はある。皆殺しの『禍』かも知れないと不安だったが、問題ない。むしろ、いや、でも、簡単すぎないか?
オレは不可解と首を傾げた。……っ?! 完全に理解して、蒼褪めた。
もしも、相手が窒息するまで音波攻撃を続けるヤツだとしたら。動きを封じ続けて、ひたすら窒息死を待つヤツだとしたら。
そんなのズルい。勝てるわけない。引き込まれて生き延びた人間がいなくても、納得がいく。
だったら、七海の息は、どのくらいもつ? マーメイだから一般人よりは長いか? マーメイでも人間だから、水中呼吸はできないはずだ。
あぁ、ダメだ。
オレがここで幾ら分析しても、次にしか活かせない。今まさに苦しむ七海の助けには、なれない。
この戦いの結果は、オレじゃ変えられない。
◇
周囲の大人たちが騒ぎ出す。
この場でオレしか、この世界から狭間は見えない。オレの動揺と不安が、顔に出てしまったのか。
ヤバい。七海は苦しみ続ける。人魚狭魔は音波攻撃を続ける。
オレは、恐怖した。絶望した。目を覆いたかった。
不意に、肩に手を置かれた。
「ハァハァ、ゴメン。夕ご飯が美味しくて、ハァフゥ、遅くなったわ、フゥ」
息を切らせて駆けつけた桃花だった。
桃花が、泣きそうなオレの顔を見て、力強く頷く。
「何だか分かんないけど。七海を信じなさい」
そう、そうだ。七海はオレを信じてくれた。オレは、オレのサポートした七海を信じなくちゃいけない。
恐怖を呑み込み、唇を固く結ぶ。絶望に抗い、狭間を見据える。
苦しむ七海が、口から大きな気泡をはき出した。大きな気泡に、頭を突っ込んだ。
……凄い! 凄い凄い凄い!
それだけなら、慌てて、パニックで、断末魔のムダな足掻きに見える。
七海が苦しむのをやめて、銛のアームボウガンを構える。
水中を伝播する音波攻撃だから、空気中では効力をほぼ失う。
動けなくなるほどの苦痛の中で、七海は状況を分析し、対処法を導き出した。水生の狭魔に特化した、七海の情報量と執念が、皆殺しの『禍』を凌駕したのだ。
撃ち出された銛が、人魚狭魔の肩に突き刺さった。
人魚狭魔が悲鳴のように顔を歪める。鱗の手で銛を抜こうとするが、穂先に返しがあるから抜けない。
音波の消えた灰色の水中を、七海がマーメイドの華麗さで泳ぐ。
人魚狭魔が、弾かれたように上へと飛び出し、泳いで逃げる。
七海が手持ちの銛を振りかぶった。
背中を見せて逃げる程度の狭魔に、オレのサポートした七海が負けるわけがない。
◇
夏の夜空から、小石が落ちてくる。狭魔を倒すと、消えて小石に変わる。
数歩前方に落ちてくる小石をキャッチしようと、七海がマーメイドの脚鰭で砂浜を跳ねる。一本型の尾鰭形状だけあって、地上での機動性は終わってる。
七海が転倒した。ボスッ、と砂浜に胸から倒れた。
「大丈夫っすか?」
オレは、七海の無事に安堵して、声をかけた。
「あははははっ!」
七海が楽しげに笑った。
「あはっ。あははっ」
オレも、気が抜けて、釣られるように笑った。
『ワーッ!』
片桐と水瀬ママとギルド職員たちと、少ないながら見物人たちからも、惜しみない歓声と喝采が贈られた。
「皆! 声援ありがとーっ!」
七海は見事に、未発見だった『禍』を討伐した。自身の夢へと、第一歩を踏み出したのだ。
マカリなのでハザマでキョウマとタタカわされます
第54話 EP8-14 マーメイド/END