この世界の隣には、『狭間』と呼ばれる世界がある。
狭間には、『狭魔』と呼ばれるモンスターが出る。
狭魔を倒す、『魔狩』と呼ばれる人間がいる。
◇
狭聖教団の教主が狭魔と対話するのを、見せてもらうことになった。
今は、それが最重要だ。
狭聖教団の施設に来たとか、門番が暑苦しいマッチョの半裸大男だとか、暗く黒く狭い部屋にいるとか、些細なことだ。
ただ一つ、教主が口にした狭魔の名が『ネジレ様』ってのが、気になった。嫌な予感がした。嫌なことを思い出した。
前触れもなく、空気が変わった。
◇
オレは、遠見 勇斗。この世界から狭間が見える特殊能力持ちである。
黒い狭間に、白い狭魔がいる。人間と大差ないサイズで、人間に似た形で、白い粘土みたいな質感で、黒い空間に片膝を抱えて座る。
オレは、以前に一度、見た。忘れたくて、忘れたことにしていた。
その白い狭魔は、人の形の粘土を捩りに捩ったような見た目をしている。白い表皮に螺旋の凹凸が、頭頂部から足の爪先まで、全身にある。
特殊な狭魔の観察依頼で見た、ヤバいヤツだ。
白い狭魔が、こっちを見た。オレの方を見た。螺旋の凹凸のある人の顔みたいな部位が、なぜだか、笑ってるように見えた。
そこに目も鼻も口も耳もないのに、こっちを見たも笑ったもない。
狭間から、この世界を見るなんて、できるわけがない。
でも、この世界から狭間が見える人間がいるのだから、狭間からこの世界が見える狭魔がいたとして、不思議はない。
冷静に考える時間さえあれば、容易に辿り着く結論である。
背中に、強烈な悪寒が走った。
動揺してはいけない。怯えてはいけない。目を逸らしてはいけない。
白い狭魔に、オレが狭間を見えてると、気付かれてはいけない。
◇
黒い狭間に、白い狭魔の眼前に、教主が跪いた。
「御無沙汰しておりました、ネジレ様。本日も、御対談のほど、よろしく御願いいたします」
教主は、恭しく頭を垂れる。
白い狭魔は、黒い空間に片膝を抱えて座ったまま、人の言葉を発する。
口はない。動きもない。なのに、音を、人語を発する。
教主は、顔をあげ、話す。戦うでもなく、武器を抜きもせず、跪いたまま、ただ語りかける。
異常だ! 予想できてはいたけど、予想以上に異常な光景だ!
オレは、桃花の薄茶色のローブをギュッと握って、平静を装う。パニックになりそうなのを我慢する。
この異常な光景が見えてない桃花は、いつものごとく平然として、頼もしい。お陰で、オレも冷静でいられる。
教主と白い狭魔が、黒い狭間で対話を続ける。
人と狭魔が意思を伝え合えたら、歴史が変わる。対話が成立したら、世界が変わる。
……いや、でも、これは、対話か?
教主は、人とは何か、感情とは何か、の説明をしてる。
白い狭魔は、ハッキリとは分からないけど、情報を伝えてる。
言葉が、全然、噛み合ってない。互いが勝手に喋ってるだけで、会話が成立してない。
おかしい。おかしいというか、むしろ、おかしくないのかも知れない。
人間と狭魔は違うものだ。
互いを知るには、知りたいと思うには、歩み寄りを望むには。一つでもいいから共通の思想が、せめて似た思想が必要だ。人間と狭魔には、そんなものはないのだ。
だから、人間と狭魔の関係が変わることは、ない。歴史も世界も、変わらない。
◇
教主が、暗く黒く狭い部屋に戻った。呼吸が荒く、汗だくで、苦しげに胸を押さえて、しゃがみ込んだ。
桃花が平然と聞く。
「大丈夫? 外の人を呼ぶ?」
さすがに場慣れしてる。
「ネジレ様の御前で、緊張しただけです。いつものことですので、ご心配には及びません」
教主が、苦しさを抑えて、微笑む。
「それよりも、遠見 勇斗さんは、今のをご覧になって、どう思われましたか?」
それが聞きたくて、意見が欲しくて、オレを呼んだ。分かりきったことだ。
オレは、迷う。気遣いなんて意味ない。率直な意見を、敵地ってのが怖いけど、容赦なく叩きつけるしかない。
「あ、あくまで私見っすけど、見間違いってことも痛っ」
日和ろうとしたら桃花に肘で小突かれた。
覚悟を決める。桃花のローブを、さらにギュッと握る。
「……会話にすらなってなかったっす。どっちも一方的に話してただけ。そのネジレ様ってのに至っては、気紛れにゲームのNPCに話しかけてるみたいな、伝える気すらないように見えたっす」
「そうですか……」
教主が、残念そうに微笑した。薄々気付いてはいたけど認めたくなかった、みたいな顔だ。儚げな美青年の、憂いの表情だ。
教主は立ちあがって、息を整える。爽やかに微笑み、オレたちに丁寧に頭をさげる。
「お二人とも、僕の頼みを聞いてくださって、ありがとうございました。家まで車でお送りします」
「お役に立てなかったら、申し訳なかったっす」
オレも、丁寧に頭をさげ返した。考えなくちゃいけないことは多いけど、今はまだ、何ごともなくて助かった、って思った。
マカリなのでハザマでキョウマとタタカわされます
第64話 EP9-9 ネジレ様/END