この世界の隣には、『狭間』と呼ばれる世界がある。
狭間には、『狭魔』と呼ばれるモンスターが出る。
狭魔を倒す、『魔狩』と呼ばれる人間がいる。
◇
黒い空の下、白い狭間に、灰色の雨が土砂降る。灰色の地面には、数センチ、薄く水が溜まる。
琴音の炎の魔法は、雨に弱められる。麗美の氷の魔法は、水の塊みたいな蛭狭魔には効きが悪い。
雨が激しく肌を打つ。雨音が激しく鳴る。薄い水中に潜った蛭狭魔の姿は、見えない。
二人、しばし静かに見つめ合う。現状、勝ち筋が見えない。
「琴音御姉様。少しの間、時間稼ぎをお願いしてよろしいですか?」
「もちろんです、麗美ちゃん。任せてください」
麗美も琴音も、瞳に不安はない。自信に満ちた微笑と、互いの信頼だけがある。
「ありがとうございます、琴音御姉様!」
麗美が小柄な体で力強く、古木の杖を頭上に掲げた。
「世界を覆う静寂よ! 万物を閉じる棺よ!」
「猛り、昇り、立ち、塞ぎ」
二人の詠唱に呼応するように、蛭狭魔が薄い水面に浮かんだ。二人に向かって真っ直ぐに、サメの速度で水面を掻き分けた。
「ファイアウォール!」
琴音の魔法で、蛭狭魔の進路に、薄い水面から炎の壁が噴きあがる。
蛭狭魔は、炎の壁を嫌って大きく迂回する。
迂回した蛭狭魔の進路に、さらに炎の壁が噴きあがる。それも大きく迂回した先に、さらに別の炎の壁が噴きあがる。
蛭狭魔は迂回しながら、それでも徐々に二人に近づく。雨に打たれて太く透明な体に水紋を描き、赤黒い突起の並ぶ口を開け、薄い水面を掻き分け、ついに、間近にまで迫る。
麗美の魔法の詠唱が完成するまでの時間稼ぎが目的だから、問題はない。
「今この全てを包み留めよ! クローズド! セレニティ!」
麗美が、古木の杖を振りおろし、薄い水面に突き立てた。水面が凍った。氷結が、周囲へと瞬発的に広がった。
同時に、蛭狭魔の進路に炎の壁が噴きあがった。
水面を広範囲で凍らせれば、氷魔法の効きが悪かろうが、水っぽい体ろうが、一緒くたに蛭狭魔まで拘束できるはずだ。
バシャンと水音をさせて、蛭狭魔が跳ねた。薄い水面から飛び出て、高く炎の壁をも跳び越した。大きく口を開け、二人に襲いかかった。
凍った水面から、土砂降りの雨を受けて氷の柱が立つ。何本も立つ。
氷の柱から、雨を伝って氷の鎖が伸びる。何本も伸びて、蛭狭魔に絡みつく。
氷の鎖がガチャンと鳴って、蛭狭魔が空中で止まった。二人の手前で、氷の鎖でグルグル巻きにされ、動けなくなった。
氷の柱から、雨を伝って屋根が広がる。神殿のように二人の頭上を広く覆って、雨を遮る。
勝敗は、決した。
◇
蛭狭魔が、拘束する氷の鎖をガチャガチャと鳴らして身を捩る。いつまでも縛っておけるわけではないが、すぐには抜けられない。
琴音が、翼で飾られた片手杖を大きな胸の前に構え、静かに詠唱する。
「白熱、盛り、留まり、包み」
「冷ややかなる壁よ!」
麗美も併せて詠唱を始めた。
「ビャッ!」
気色悪い音で、蛭狭魔の口吻から粘液が、琴音に向けて吐き出された。
「アイスウォール!」
僅かに早く、氷の壁がそそり立った。粘液は氷の壁にブチ撒けられて、ジュワーッと悪寒のする音で氷を溶かした。
魔法の氷壁で琴音を守った麗美が、微笑で勝ち誇る。
「奥の手が毒性の吐瀉物なんて、ベタベタでしてよ。それで氷の鎖の一本でも溶かした方が、まだ先の可能性がありましたのではないかしら?」
氷壁が溶け崩れ、琴音が姿を見せる。
ズブ濡れの髪と衣装から水を滴らせ、微笑して、穏やかに魔法の詠唱を完成させる。
「安らかに尽きよ。ヒート、クレイドル」
ボッ、と空気が弾けて、炎が蛭狭魔を包んだ。
車一台ほどの大きさの炎の中で、蛭狭魔が熱に舞う紙切れのように藻掻く。黒く焼けて、灰となって、崩れて、散る。
◇
昼間の雑踏に、快晴の青空から小石が落ちてくる。
魔法少女スタイルの琴音が、それを華麗にキャッチした。パシンッ、と心地好い音が響いた。
狭魔を倒すと、消えて小石に変わる。
「ブラボー! コォトォネサァマ! ブラァボー!」
「ファンタスティック! ミラコゥ!」
雑踏のモブども……もとい、人々から次々と、拍手喝采があがった。
霧の深い森の奥、ひっそりと美しく咲き誇り、数多の宝石すら霞む白銀の輝きを振り撒く薔薇にも例えられる琴音御姉様の眩しさを前にそこらの雑草が己の凡庸さを恥じ平伏すのは不可抗力で朝露さえも白銀に輝く一滴を薄めて分け合って飲んだ方が、……いけないいけない、思わず早口になってしまった。
麗美も笑顔で琴音に駆け寄る。
「お見事でしたわ、琴音御姉様! わたくし、微力でもお役に立てましたで、きゃっ!?」
琴音の手が優しく頬に触れて、麗美はビックリした。唇を引き寄せられて、赤面した。
「そっ、そんなっ、琴音御姉様!? こっ、こんなところで!? たくさんの人に、見られていますわ」
困惑する麗美に、琴音は凛々しい微笑で答える。
「ふふっ。見せつけてやればいいさ。わたしと麗美の仲で、見られて恥ずかしいことなんて
◇
さすがは琴音の妹弟子だ、と思いながら、オレは報告書をソッと閉じた。
マカリなのでハザマでキョウマとタタカわされます
第70話 EP10-6 閑話 狭魔討伐報告書 後編/END