昼休憩になり皆が食堂へ向かう中、アレッタは教室に残っていた。食堂は人が多くて視線がどうしても気になる。リュックから茶袋を取り出し、ツナサンドとバナナとミックスジュースを机の上に置いた。
広げたのはいいが、今日は一層食欲が湧かなかった。朝から天使の死体を見るわ、天使が転入してくるわ、不思議なことばかり起こっている。この状況で悠々とランチする強者などいるのだろうか。アレッタはマスクをこそこそを外し、ミックスジュースの銀袋にストローを突き刺した。
<次は天使に殺されそうになるとかないわよね>
アレッタがミックスジュースをちびちび飲みながら悪い冗談を考えていると、クラスの中心グループのセリーナがロイに話しかける。クラスの女子生徒は皆、彼に夢中だった。
「ねぇ、ロイ。ランチは私たちと食べましょうよ」
ロイは爽やかな笑顔を彼女たちに振り撒いた。
「悪いね。僕は彼女と食べようと思ってるんだ」
皆の視線はアレッタの方に向き、それを聞いていたアレッタは思わずミックスジュースを吹いてしまった。
「わ、私?」
「そうさ。君の名前はたしか、アレッタだよね? 君、どこかで会ってないかな? はじめてな気がしないんだよね」
ナンパにしてはあまりにも古い文句だ。アレッタはいかにも不快な顔を彼に見せつけた後、傷を隠すように髪を触る。
「悪いけどあなたと会ったことないし、あなたに話すことなんて何もないわ。あなたを待ってる女の子たちと仲良くお喋りするほうがよっぽど楽しいと思うけど」
女の子たちの痛い視線を浴びるのはもう懲り懲りだ。セリーナはロイの腕に手を回した。
「ほらロイ。彼女は話したくないんだって」
それから小声で
「彼女のこと教えてあげるから、関わらない方がいいわよ」
と言った。アレッタは彼女が何を言ったのかわかり、顔を赤くさせる。
ロイはわかったという風に頷き、女子生徒たちと教室から出ていく。どっと疲れが押し寄せてきたのか、アレッタはサンドイッチを一口だけ食べて茶袋に戻した。
<天使が何の用だっていうのよ!>
なんとなく察しはついていた。あの事件の時に天使に会っているのだ。理由もなく会いにきてキスをして帰ったわけじゃないはず。わずかに覚えているのは雪と天使に流し込まれた不思議な液体だった。
<何か伝えようとしているのかしら。それならわざわざ転入なんかしなくてもいいはずよ。彼はなぜここへやってきたの?>
アレッタはセリーナの言葉にショックを受けていた。思ったよりも邪険にされていることを思い知らされる。
<ロイは私の頬の傷を見ても、驚きもしなかった。天使はそう簡単には驚かないのかしら>
動揺しているせいか、アレッタは椅子から立ち上がり、窓辺に向かって歩くと、窓に額をくっつけて吐息を漏らした。
「あぁ、飛び下りたい」
†
「飛び下りてごらん。気持ちがいいから」「飛べる。君は飛べるんだよ!」「飛んでごらん? さぁ、人の目なんか気にしないで、この窓から飛ぶんだ! せーの!」
ジリリリリリリリ。
終わりを告げるチャイムが鳴る。ホームルームを終えてすぐにアレッタは荷物を掴むと、屋上まで一気に駆け上がった。クラスメイトたちは急いで立ち去る彼女を気味悪そうに見つめていた。
屋上に着くと、リュックを塔屋のそばに投げ置き、マスクを外してポケットにいれた。そして町全体が見渡せるところまでゆらゆらと歩き、フェンスを掴む。恋い焦がれるように頭をフェンスにつけて、グラウンドを見下ろした。
「あぁ。なんていい眺めなの。こんなところから飛んだらきっと最高なんだろうな」
だが、アレッタの心の中のフェンスがそうさせない。アレッタの心では飛ぶ飛ばないの鬩ぎ合いが行われていた。あまりに激しい葛藤のせいか頭痛に襲われて彼女は頭を抱える。
「どうなってるのよ。私の体に何が起こってるの?」
飛べ! 飛べ! 飛べ!
頭の中でサイレンのように鳴り響く。
その時、塔屋の上からアレッタを呼ぶ声が聞こえた。
「そこの君。ここから飛び下りたいのかい?」
アレッタはまた天使かと悪態をついた。
古代ギリシャ時代のキトンを纏い、白くて大きな翼を広げた金髪碧眼の天使が、塔屋の上に片膝を立てて座っている。見たところ男性の天使だろうか、転入生のロイと同様に端正な顔立ちだ。
「あなた天使よね。それなら、今日転入してきたロイって天使のこと知ってるの?」
天使はアレッタの言うことを無視した。顔は微笑んでいるが、目の奥は笑っていない。それどころかどこか殺意的なものをアレッタは感じていた。
「僕の話を聞いてなかったの? ここから飛び下りたいのかい?」
「飛び下りたいっていったらどうするわけ? 止めてくれるの? 天使なら人間の過ちを止めて、導いてくれるものよね」
天使はその言葉を聞くと、フフッとせせら笑った。
「
天使は翼を使ってゆっくりと塔屋から降りると、アレッタに近づく。殺意を読み取ったアレッタは後退りをするが、フェンスによって邪魔されてしまった。天使は構うことなくさらに近づき、アレッタと目線を合わせた。
「卑しきエンジェルノイドめ」
何て言ったか聞き返そうとしたが、天使がいきなりアレッタの首をぐっと掴んだ。アレッタは驚いて天使の腕を掴み返したが、天使はさらに手に力を入れてアレッタと共に上空に舞い上がる。
「どうだい? ここから落ちたらさぞ気持ちいいだろう?」
息苦しさの恐怖と、飛び下りたいという衝動が混ざり合い、アレッタの頭はパニックになっていた。首を締められてるせいか魚のように口をパクパクと動かすことしかできない。にこやかに微笑んでいた天使はいつの間にか真顔になり、アレッタに言い放つ。
「君は生まれてはいけない存在だった。君には悪いが、ここで死んでもらおう。それが正義だ」
天使はパッとアレッタの首から手を離す。アレッタはそれに抗うこともできないまま、そのまま下へ下へと落ちていった。