アレッタは叫び声をあげる余裕もなく、下へとまっ逆さまに落ちていく。天使に殺されそうになるのかもと冗談で思っていたことがまさか現実になるとは思ってもみなかった。
<天使が人間を殺すだなんて……>
意識が遠退きそうになったその時、誰かが空中でアレッタを抱き止めた。ふんわりとしたラムネの甘い香り。目をきつく瞑っていたアレッタの目に最初に飛び込んできたのは、色鮮やかな銀朱色の髪だった。
「本当に落とすとは、いい度胸だ」
この顔と声、知っている。だが、会ったときとは髪の毛の色が全く違っていた。プラチナブロンドだった髪は鮮やかな銀朱色の髪に変わっている。そう美貌溢れる彼、ロイ・シーダースが翼を広げてアレッタを助けたのだ。
ロイはアレッタを抱き抱えながら、屋上まで降りる。そして彼女を落とした天使を好戦的な目で見ていた。
「神に指示されたのか? 彼女を殺せと」
アレッタを落とした天使は目を泳がせながら、舌打ちをした。
「
バーミリオンと呼ばれたロイは天使を叱責した。
「それは我々、
天使はロイの言うことに恐れをなしたのか、もう一度舌打ちをすると、空高く舞い上がり飛び去っていった。爽やかな笑顔振り撒く紳士的な転入生のロイとは別人のようだ。アレッタが驚いてロイを見ていると、視線に気づいた彼はニィと笑って彼女を下ろした。
「こっちが本当の姿なんでな」
黒の十字架のネックレスに、胸元をざっくり開けた黒のジャケット。黒のスリムパンツに黒と赤のストライプのベルト。それに何より
「あいつのことは悪かった。代わりに謝ろう。君みたいな存在を嫌ってるんだ」
「人間をってこと?」
「違う。エンジェルノイドをだ」
「さっきからエンジェルノイドって言ってるけど何なのそれ? それになんで天使がこの学校の生徒に?」
ロイはまぁまぁと両手を少し上げてアレッタを落ち着かせた。
「何から話せばいいのやら……よぉし、この際単刀直入に言おうか」
銀朱色の天使は一呼吸おいて口を開く。
「まず君は人間じゃない」
「なんですって?」
「2年前、
アレッタは少し戸惑いながらコクりと頷いた。
「あの天使に組み込まれたんだ。天使の遺伝子、エンジェルコドンをね」
「エンジェルコドン?」
彼は話がまとまったのかフェンスに背中を預けて腕を組むと、アレッタをじっと見るなり説明を始めた。
「正確に言うと天使には人間みたいな遺伝子情報となるヌクレオチドやたんぱく質などは存在しない。人間に天使の力を適応させるためにわざわざ遺伝子のようなものをつくって、それを君の遺伝子に組み込んだわけさ」
「それが私の体に? 勝手に私の遺伝子を組み換えたってこと?」
「そういうこと。君は天使の遺伝子、エンジェルコドンを組み込まれた人間。エンジェルノイドとなったわけだ」
アレッタの頭の中はパンク寸前だった。遺伝子工学を専攻しておけば良かったと今更ながら後悔した。
「わけがわからない。そんなの信じられると思う? 天使が人間に力を与えたって」
「天使や精霊の存在が見えているのに? そりゃないぜ」
「私は人間よ。ただ……霊感が強いだけ! からかうのはやめて」
アレッタはこの場から立ち去ろうとしたが、ロイが腕を掴んで止め、彼女の両肩に手を置いた。彼の黒い瞳の奧で金色の瞳孔がキラリと光った。
「もう一度言う。君は人間じゃないんだ。人間は今の俺の姿は見えないはず。それに、異常なほどの飛び下りたいというその欲。エンジェルノイドの初期症状だ」
「あれは事件の後遺症で……」
「よく聞くんだアレッタ。今天使界は少々やっかいなことになっている。このままだと君は俺に殺されるか、他の天使に殺されるか、最悪は悪魔に狙われるのを待つしかないんだ」
<私が彼に殺される?>
アレッタは怖くなって彼の両手を振りほどいた。
「どういう意味よ」
「エンジェルノイドになった今、君は処罰されるか経過観察となるか、どちらかの選択しかない。それを決めるためにこの俺が配属されたんだ」
「なんでよ。灰青色の天使が勝手にやったことなのに、なぜ私が処罰されるわけ?」
「人間に天使の力を授けることは禁止されている。だが、天使の中には人間最愛主義と言って、人間も天使と同等の力を得るべきだって考えている派閥があるんだよ」
ロイはさらに続けた。
「だからエンジェルノイドを生かすか殺すか、そのどちらかを
「なるほどね。つまり、とある天使の偏った考えによって私は天使の力を得た。けどそれは禁忌で、巻き込まれた私を生かすか殺すか判断するためにあなたがやってきたと」
「そうだ。判断するまでは俺は君を守るパートナーでもあるわけ。だからこの学校の生徒として成り済ましているんだ」
アレッタは呆れたと言うように手をひらひらと上げると、塔屋に置いていたリュックを背中に担いだ。
「パートナーというより乱用したり悪用したりしないか監視するわけね。安心して。私はそんなのどうでもいいから。エンジェルコドンに干渉するつもりはない。普通に暮らしたいの」
「せいぜい俺に処罰されないように気を付けるんだ。言っとくが俺は君を殺したくはない」
「私も殺されるなんてまっぴらごめんよ」
「なぁ、本当に俺のこと覚えてないのか? 俺の本当の名前はロイザミエルだ。銀朱の天使またはバーミリオンと呼ばれてるんだけど……」
アレッタは舌を突き出し、噛みつくように言い捨てた。
「あなたのことなんて知らないわよ!」
ロイザミエルは悲しい声で、
「綺麗な金色の髪だったのにな」
と呟く。
アレッタはそれを無視してマスクをつけると、屋上を後にした。