オリビアの部屋の扉が開き、灯りがつく。オリビアの母親は部屋を一周回った。カーテンの中に隠れていた2人は息を潜める。
カーテンの近くまで母親が近づいた時、ロイザミエルはアレッタの腰に手を回してお互いの体をさらに密着させた。ロイザミエルの吐息がアレッタの額に当たる。アレッタは心臓の高鳴りがロイザミエルに聞こえませんようにと祈るばかりだった。
「幻聴かしらね。あの子が帰ってきたと思ったんだけど」
オリビアの母親は、はぁと深いため息をつくと部屋を出て階段を下りていった。アレッタは小声でロイザミエルに囁く。
「下りたみたい。用も済んだから、家に帰りましょう」
オリビアの母親が去っても、銀朱の天使はアレッタを離さなかった。それどころか、アレッタの腰をさらに抱き上げては、顔を近づけてくる。アレッタの心臓は爆発寸前だった。
「ロイ……何を」
「本当に覚えてないのか」
「またなの? あなたを覚えてるわけ……」
「よく思い出してくれ。アレッタ」
ロイザミエルがアレッタの前髪を掻き分ける。
「綺麗な金色の髪だったのに」
アレッタはその言葉を聞くと、自然を次の台詞が湧いて出てきた。
「なんて綺麗な……赤色の髪」
彼女の脳内の映写機が急にカラカラと回り出した。病院の窓に見えた綺麗な銀朱色の天使。
「そうよ。あの事件の後、私は病院に運ばれた。その時の夜よ……あなたがやってきた……思い出した」
ロイザミエルの目が金色に光り出し、アレッタの耳元で囁いた。
「衡天使の仕事で君の調査に向かったんだ。そのときだ。君が俺のこの忌まわしき赤色の髪を褒めてくれた。はじめてだったんだ。はじめて誰かに綺麗だって言ってもらえたんだよ。その時、決めたんだ。君を守ろうと」
「どうして? その赤髪の何がいけないの?」
「ここにはいられない。とにかく部屋から出よう」
ロイザミエルはやっとアレッタを解放すると窓を開けて、彼女を抱き抱えて夜空に向かって飛んだ。
「君の学校だって赤色の髪をした生徒なんて歓迎しないだろ? 生まれつきだって言ったって疎まれる。天使界もそれと一緒さ」
「そうだったの」
「衡天使にされたのも左遷みたいなものだった。でも、左遷されて良かったと思ってる。おかげで君に会えたからね」
ロイザミエルはさらに飛行を続ける。
「ちょっと、私の家はあそこよ」
「もう少し。もう少しこのまま飛ぼうぜ。上から町の景色を見たことないだろう?」
アレッタは町を見下ろした。上にも下にも瞬く光に彼女はうわぁと声を漏らした。
「宇宙にいるみたいね」
「綺麗だろう? 俺はこの夜が好きなんだ」
「夜が好きな天使なんて、少し変なの」
アレッタがそういうとロイザミエルは少年ぽく、ははっと笑った。
「この暗がりだと赤色の髪が目立たないからね。他の天使たちに襲われないのさ」
「襲ってくるの?」
「たまにね。お前は堕天使だって言って俺を消そうとするんだよ。髪が赤いだけなのにさ」
「天使界も大変なのね」
「清く神聖で厳格がモットーだからさ。俺のような異端な存在はいらないんだ」
少しばかり町を旋回した後、ロイザミエルとアレッタは自室に戻った。
「アレッタ。研究所へは行くな。あそこは俺だけが行って、オリビアを助けにいく。君を危険な目に遭わせられない」
「いいえ。元はと言えば私が悪いのよ。絶対に助けに行くわ。それに、リディエルは私に研究所に来てほしいと思ってる。白いカラスは私の前でないと現れないと思うの。そうじゃない?」
断固として助けに行くアレッタに、ロイザミエルはがくっと肩を落とし、とうとう折れた。
「わかったよ。まったく頑固だな」
「明日の真夜中に白いカラスが来るんでしょう? それまでに準備しなきゃ」
「あぁ。俺も剣の掃除でもしておこう。では、また明日の真夜中に会おうぜ」
ロイザミエルがアレッタの部屋の窓から出ていこうとすると、アレッタが彼を止めた。
「ロイ」
「なんだ?」
「明日は学校よ。また明日会いましょう」
「あぁ、そうだったな。あのセリーナってやつ、馴れ馴れしくて嫌なんだよな」
「あなたモテモテだものね。女の子たちはあなたに夢中みたい」
「そんなこと言われてもな。俺は、君しか見えないのに」
ロイザミエルはキザな台詞をさらりと溢すと、窓の外へと飛び去った。アレッタはその言葉を頭の中で復唱して顔を赤らめる。
「天使は基本、人間が好きなのよ! だからそんなこと言うんだわ。まったく人たらしね!」
ロイザミエルのぬくもりと甘い香りがまだ残っている。アレッタは彼と密着したことを思い出すと恥ずかしくなり、ベッドにダイブした。
†
学校へ行こうとアレッタが玄関を開けると、リアム刑事が、"よう"と挨拶をして出迎えた。
「リアム刑事!?」
「チャイムを鳴らそうと思ったら……おはよう、アレッタ。オリビア・ウィルソンが行方不明になっちまったのは聞いてるだろう。お前さんが心配でつい来てしまったぜ」
「私はこの通り元気です」
「高校まで同行させてくれ。お前さんがどこかへ連れ去られないようにな」
リアムは片腕を広げて、さぁ歩こうという姿勢をとる。アレッタは、えぇと頷いて一緒に歩いた。刑事は車道側を歩いては、歩幅をアレッタに合わせてくれる。
<大人の余裕ってやつなのかしら。それとも彼が紳士的なだけ?>
アレッタはリアム刑事にどこか安心感をもっていた。アーノルド高校の近くまで着くと、アレッタはそろそろと口を開く。
「ありがとうございました。お仕事中なのに」
「なぁに、これも仕事だからよ。なぁ、アレッタ」
さっきまでアレッタの話を聞いてへらへらと笑っていたリアムが一気に真剣な顔つきになる。それからアレッタの頭にぽんと手を置いて目線を合わせた。
「なんだかな。オリビア・ウィルソンも行方不明になってよ。変な死体まで消えてしまうし。なんだろうな、お前さんまでどっかにいってしまうんじゃないかって思ったら、いてもたってもいられなくてよ」
「私のことが心配なんですか? どうしてそこまで」
「なぜだろうな。お前さんを見てると、ついそこまで考えちまう」
アレッタはリアムの穏やかな灰色の瞳が嫌いではなかった。彼の瞳をじっと見つめていると、刑事が少し照れたような素振りを見せ、アレッタから少し距離をおき、咳き込むように言葉を紡ぐ。
「お前さんに惹かれてるのかもしれないな」
アレッタはその言葉を聞いて最初は驚いたが、少し悲しげな表情を浮かべて目を伏せた。
「その感情は同情です。そんなはずありません。こんな傷物の私なんて」
「同情なんかじゃない。頬の傷なんて気にするなアレッタ。お前さんは、十分魅力的だ」
彼は女性を褒めるのに慣れていないのか、耳で赤くなっていた。アレッタも顔から火がついたように真っ赤になり、2人して沈黙が続く。
「リアム刑事……あの、私は」
「いや、いいんだ。すまねぇ。今のは忘れてくれ」
リアムはトレンチコートの襟を立てると、アレッタと目を合わせることなく、ぶっきらぼうに「またな」と言って立ち去った。アレッタは曲がり角を曲がるまで彼のことをじっと見つめていると、後ろからロイザミエルがわざとらしく咳をした。
「まさか、やつに惚れたか?」