曇天だったせいか、珍しく朝起きるのが遅くなった。僕は飛び起きて、居間へと向かうと彼らはまだ熱心にチェスをさしていた。
「まだチェスをしているの?」
リングスがずっと負けているのだろう。真剣な眼差しで、駒の持つ手がふるふると震えている。キャデスはつまらないと言った風に大きくあくびをしていた。リングスはナイトを慎重に動かしたあと、僕に告げた。
「ナタ様。今日は村に行かれない方がよろしいかと」
「なぜ?」
「今日は、人柱の儀が行われるので」
人柱?
僕はざわっと胸が騒いだ。
「なんだよ。その人柱の儀式って」
「ハズレが生まれた時に行われる儀式ですよ。あの村でハズレは悪。ハズレが生きていれば、村全体が不吉と不幸に見舞われる。そう言い伝えられていれのです。だから彼らはその悪を葬り、村の繁栄を祈る儀式を行うのですよ。ほら、太鼓の音が聞こえるでしょう? 儀式が始まっている頃です」
まさか、ビビアン……!
僕は村に向かって一心不乱に駆けた。
そんな儀式があるなんて知らなかった。ハズレが今までいなかったからビビアンもそのことを知らなかったんだ。今日の空はどんよりと曇り、雨がぽつぽつと降り始め、村に着いた頃はどしゃ降りになっていた。
「ビビアン!」
村の人たちが雨をしのぐために黒いローブを纏っている。笑顔が絶えない村人たちの目は冷たく、死人のように思えた。その中では何人かがシャベルを持っている。そのシャベルは何に使うのだろう。
「村長! 何をしているのさ!」
僕がつっかかるところで、村の男たちが行く手を阻んだ。年老いた村長が一礼をして僕に言った。
「これは村の掟。ハズレが生まれたのです。ハズレはこの村を不幸にしてしまう。だから彼女には儀式通りのことをしてもらいました。それだけのこと。今回の儀式についてはあなたには関係のないことだ」
「関係がないだって? 僕がいれば村は安泰だよ。それでいいじゃないか! なんたってビビアンが犠牲にならないといけないんだよ」
あんなに優しい瞳をしていた村長が、今日は凍てついた目をしていた。これが彼の本性なんだと僕は今更ながらに気づいた。
「これは掟です。それにですよ。ハズレの人間が生きていたところでなんの意味があるのです? 魔力のない人間などこの世界ではなんの価値もない。それなら、村の繁栄のために身を捧げるほうがよっぽどためになると思いますがね」
村長がそう言うと、村の人々はそうだそうだと賛同する。
おかしい……そんなのおかしいよ!
「ビビアンはどこ? そんなに言うなら僕がビビアンをもらう。ルイスと約束したんだ。ビビアンを守るって」
「もう儀式は終わりました」
「なんだって……! ビビアンはどこにいるんだ!」
村長と男たちが道を開けると、地面にこんもりと何を埋めた跡が見える。雨音がやけにうるさい。僕は村長の胸ぐらを掴んだ。
「ま、まさかビビアンを生き埋めにしたのか!」
「これが儀式ですから」
「なぜ! 今までビビアンは村のために尽くしてきた! 英雄だって言って皆褒めて称えていたじゃないか。ハズレだとわかったら殺すなんて。そんなのおかしい!」
「おかしい? そうですかね」
村長はほほほと笑い、僕の手をゆっくりと払う。
「先程も申しましたが、ハズレが存在する限り、この村の多くが死に絶えるのですぞ? ハズレに生きる意味などありません。彼は生まれるべきではなかった。死ぬべき人間なのです。そういう運命。ハズレの死で多くの人間が幸せになれる。これのどこが
おかしいのでしょう」
雨足がさらに酷くなっていく。
僕は膝から崩れ落ちた。
「ではナタ様。これからも我々の村の繁栄のために頼みますよ。あと少しで我々の村は町になる。そうすればこの生活ともおさらばできるわけですよ。これも全てナタ様のおかげです」
「ビビ……アン! ビビアン……」
遅かった。僕が早くに目を覚ましていれば。
君を村に返さなければ。
こんなことにはならなかったのに!
村長がよろよろと退散していくと、村の男たちが僕を囲って自分勝手に話しかけてくる。
「ナタ様。あの、最近雨が続いて作物の実りが悪いんです。すみませんが、後でちゃちゃっと天候を操っていただけませんかね。もちろん、後でかまわないのですが」
「うちの牛たちの様子がおかしくてミルクが出ないんです。ナタ様。見てください」
「ナタ様」「ナタ様どうか」
「我々をお救いください」
おかしい……。
こんなのおかしい……。
こんな世界おかしいよ。
「いいよ。わかった」
世界はいつからおかしかった?
いつから?
いや、ずっとおかしかったのだ。
「ありがとうございます! 流石ナタ様だ!」
「ナタ様万歳!」「ナタ様万歳!」
こんな世界……。
壊してやる。
「そんなに言うなら、僕が村を変えてあげる。僕が思う村に、世界に!」
雪原を歩く。
季節は真夏だったはずなのにおかしいな。
おかしい?
この世界はすでにおかしいところがたくさんあるのだ。これくらい些細なことだろう。
僕が家へ戻ると、大木の近くでリングスとキャデスが跪いて待っていた。リングスが喜ばしいと言った表情で僕に言う。
「村を一瞬で全滅させるとは。流石ナタ様です」
「ただ氷漬けにしただけだよ」
「これからどうされますか?」
「リングス。僕は魔王になる。魔王になってこの世界を新しくするんだ」
「私たちがお助け致します! ナタ様!」
イベットバルトスの森で魔王が誕生した。
その噂は全世界に広まり、この世でもっとも邪悪な魔王が現れたと人々は恐怖した。
イベットバルトス地方は極寒の地へと変わり、人々が住まうことさへ困難を極めた。魔王が住む地に誰が住もうと思うだろう。僕は大きな切り株の上に座り、舞い散る雪を眺めた。
ルイス。ごめん、ビビアンを守れなくて。
でも、こんな世界に彼女は似合わない。
ねぇ、ルイス。
君はなんのためにこの世界のために生きてるの?
彼女を殺したこの世界のために、君は剣を握っている。こんなおかしい話はない。
ルイス。勇者よ。
早く。早く僕を倒しにきて。
この世界のために。
この腐りきった世界のために。