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第47話 お互い今は我慢の時ですね。

「雄也さん? 先程は電話頂いたのに突然切ってしまい申し訳ございませんでした⋯⋯」

「こちらこそ、急に電話を掛けて驚きましたよね」


 雄也さんは謝ってくるが、突然私が林太郎に拉致されたから心配して電話を掛けてくれたのだと分かっていた。GPSで追跡されていたのも他の人だと嫌だけど、彼だと嬉しいと感じてしまう。忙しい彼が常に私を気に掛けてくれた。そんな風に思える時点で私は既に雄也さんに恋に落ちている自覚があった。


「いえ、嬉しかったです」

 私は電話をしながらリビングに移動する。

 広い部屋には引っ越しのダンボールが、いまだ積み上がっている。

 結局、引っ越してきてから林太郎の部屋で過ごしたりしていてこの部屋で生活していない。


「きらりさん、良かったら今度一緒に食事にでも行きませんか? 11ヶ月も会えないのは寂しいです」

 優しい低い声に私は思わず誘いに乗りそうになる。「寂しい」なんて言われてキュンとしてしまった。


「そういう訳にはいかないんです。『フルーティーズ』のことがありますし⋯⋯」

 解決しないといけない問題が山積みだ。

友永社長の危うさを考えると事務所を独立した方が良い。


 でも、もしかしたらどこの芸能事務所も似たり寄ったりかもしれない。

(芸能界なんてヤクザな仕事なのかもな⋯⋯)


 かといって、『フルーティーズ』のメンバーにアイドルを諦めろとは言えない。純粋に目標に向かって頑張る気持ちを応援したい。


「あれ? そういえば、林太郎が私を社長にして会社作ったって言ってなかったっけ?」

 ふと林太郎との会話を思い出した。

(確か『果物屋』とかいうとんでもないダサい名前の会社⋯⋯)


「林太郎?」

 電話の向こうにいる雄也さんが訝しげに呟く。

 林太郎が年下のせいか、人懐こいからか気を抜くとつい呼び捨てにしてしまう。

 これからはビジネス的な距離を保つ意味でも、「為末社長」呼びを意識した方が良いだろう。


「すみません。為末社長が私を社長にして芸能事務所を設立したという話をしていたのを思い出していました。私も来年の9月9日の武道館ライブが終わったら完全に裏方に回ります。その時には、お食事とかご一緒したいです」


 自分からデートに誘っているようで声が震える。今まで軽く見られる外見のせいか誘われるのを断るので精一杯。自分から男を誘う事などした事がない。私はそれを非常に不幸な事だと認識していた。モテてて羨ましいと言われても、軽い見た目に寄ってくる男は軽い。そして、誘いを断れば逆ギレ。私はその度に誰も興味を抱かない自分の中身を憂いて来た。


「きらりさんはストイックですね。貴方に負けないように僕も仕事に邁進しないと」


 私が雄也さんを好きだと感じるのは、彼が私の中身を見てくれるところだ。派手顔の私は外見が衰えるのも早い。ぱっちり二重は既に笑うとくっきりと笑い皺。大ぶりの顔の作りは若い時は良いが目に見えて歳をとりやすい。外見ばかりを見られて好意を向けられる事には不安を感じていた。


「お互い今は我慢の時ですね」

 私は雄也さんと話していて、彼とゆくゆくは恋愛したいと思っている自分に気がついた。程よいドキドキ感と、絶対的な安心感。彼のような人の側にいられたら、きっと幸せ。


「きらりさん、あまり頑張り過ぎないでくださいね。今日は10月とは思えないくらい寒いので温かくして寝てください」


「頑張り過ぎないで」という言葉がとても染みた。私は本来あまり目立ちたがり屋ではない。そのせいか、注目される最近の生活にストレスを感じていた。その上、カラオケボックスでの事件があり本当に疲弊している。

 業界を知れば知るほど、3人娘の為に頑張らなきゃと急かされる思いだ。


「は、はい⋯⋯雄也さんも温くして寝てくださいね。おやすみなさい」


 電話を切った後、心が温かいもので満たされていくのが分かる。


 そして、私は昼から何も食べていない事に気がついて冷蔵庫を開けた。完全に新品の冷蔵庫。中は空っぽ。せめて水でも入ってれば生き延びられた。


「な、何も入ってないだと?」


 当然だ。


 何も買っていないから、何も入っていない。

「もう、外に行く気力がない。水道水で飢えを凌ぐか⋯⋯」


 私が蛇口を捻ろうとした時にインターフォンが鳴った。


「は、はーい」


 インターフォンの液晶画面を見ると、液晶画面には林太郎が映っていた。

(な、何か持ってる! そして、相変わらず綺麗な顔)


 彼は私の冷蔵庫の状態を知っている。恐らく食べ物を持っている。しかし、雄也さんへの恋心を自覚した今、この扉を開けて良いのか私は自問自答していた。私はそんな迷いを抱く時点で、林太郎を男として意識し始めている事にこの時は気がついていなかった。


 扉を少し開けて隙間から少しだけ顔を出す。


「鍋?」

「部屋に入れてくれるなら、食べさせてあげる」


 自信満々の林太郎の表情。そして、女慣れしたような駆け引きのような言葉。友達でいてくれるなんて嘘。彼はアラサーの私ごときを落とせない自分に納得がいかないだけ。私を落としたらあっという間に飽きて去っていくだろう。そんな気まぐれな超モテ男のお遊びには付き合っていられない。モテ男の落としたら終わりのゲーム。私もそれなりに今まで巻き込まれて来た。


「部屋には入れない」


 私がお腹をグルルと鳴らしながら冷たく言い放つと、林太郎は子供のように可愛く笑った。


「はいどーぞ。じゃあ一人で食べてね」

 扉の隙間から鍋を渡そうとしてくる。私は思わず扉を全開して鍋を受け取った。


(食べたい! 食べたい! すごく食べたい)


「えっ? いいの?」

「俺の事、意識して部屋に入れられないのが分かったからいい」


 私は林太郎に心を読まれてしまい動揺した。しかし、食欲には贖えずそっと鍋を受け取った。鍋に入っていたのは濃くがあり程よく辛い花椒の効いた担々麺。その味にうっとりしながらも、餌付けされそうになっている自分を振り払うように首を振った。


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