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第48話 格好なんてどうでも良いよ。

 朝、起きて林太郎が作った担々麺の残った汁を飲む。胃袋を掴まれるとはこういう事を言うのかというくらい美味しくてほっぺが落ちそうだ。


 インターホンが鳴り、スクリーンを見ると微笑んだ林太郎が映っていた。まだ、朝の7時だというのにスーツでビシッと決めている。


「今、部屋着で⋯⋯」

「格好なんてどうでも良いよ。事務所まで送るから開けて」


 扉のロックを外して、林太郎を招き入れる。

「朝ごはんまだだよね。クラブサンド作って来たけど」


 彼の手元には籠に乗せたナプキンの上に美味しそうなサンドイッチが並んでいた。シャキシャキのレタスにトマト。卵サンドにお腹に溜まりそうなカツサンドまである。


「もう、食べた。担々麺、美味しかったよ。今、鍋返すね」

 私は淡いピンク色の某ブランドの鍋を抱えながら思った。1人暮らしの男の持つ鍋ではない。


 扉を開けて鍋を差し出す。なぜか、キラキラ笑顔の林太郎を直視できない。


「この鍋ってさ。元カノが置いていったもの? 随分可愛い色だし」

「今まで彼女いた事ないって言ったでしょ。この鍋はきらり用に買った鍋だけど?」


目の前の淡いピンク色の鍋を見て固まる。めちゃくちゃフワフワな可愛い女の子をイメージしたような鍋。私とは似ても似つかない。


「ハハッ、こんな可愛い色が私用? どうせ他の女が置いていったものでしょ。友達でいるって約束したのに、軽口で口説いてくるってどうなの?」

 私の言葉を聞くなり、林太郎は鍋を受け取り見せてきた。


「別に口説いてないよ。自意識過剰なんじゃない? サーモンピンク、色言葉は『優しさ』。きらりにぴったりじゃん。『フルーティーズ』の子たちが心配だから、苦手なアイドルも頑張ってる」

「苦手⋯⋯確かに適性はないかな」


 彼の言葉は私にストレートに届いた。自意識過剰と言われ少し恥ずかしい。口説いたりしないで友達でいると約束した。彼はセレブだし、友人に気軽にものを買ってあげるタイプなのかもしれない。


 私は怖い思いもしたくないし、別に目立ちたくもない。『フルーティーズ』を含めアイドルを目指す子は承認欲求が強い。私は「みんなに認められたい」という感情を持ったことはない。私はいつもたった1人の人に本当の私を知って欲しいと思っていた。想い合ってささやかな幸せを分かち合える誰がを求めている。派手で何を考えているか分からない林太郎が、その相手ではない事だけは分かった。



「適正ね。そんなの考える必要なくね。きらりは求められているよ。自分が望むとか望まないとか関係なくね。世の中ってそんなものだよ。完全にやりたい事やっている人間なんていないんじゃないかな」


 自由に振る舞っているように見える林太郎から意外な言葉。確かにららら製薬での仕事もお金の為にしていた。私は自分がやりたい事が何かさえ分からない。でも、3人娘は私の半分しか生きていないのに「アイドルがやりたい」と堂々と言っている。


「私、今は『フルーティーズ』に全力を注ぐよ」


 乗り掛かった船を降りるのは大人のやる事じゃない。林太郎は私の言葉に微笑むと、ずかずかと部屋に入って来た。


「ちょっと!」

「サンドイッチ食べよー。絶対、朝食食べてないでしょ」

「汁を飲んだよ」


私の言葉に爆笑している彼。

「とにかく、私の部屋に入るのはダメ!」

 彼を引き摺り出そうとすると体を押すと、手首を掴まれる。

「じゃあ、俺の部屋においで! スープやスムージーも出すから」


 林太郎が強引過ぎて私は戸惑っていた。自分の部屋に引き入れるのと、彼の部屋に行くのどちらが問題があるのか分からない。友達なのだから、どちらも気にする必要はないのかもしれない。しかし、私は男の友達がいた試しが今まで一度ものない。男女の友情は成立するのかという、古来から議論のテーマになっている問題が私の背にのしかかっている。



「林太郎は友達として、親切にしてくれてるの? それとも管理しなければならない会社のイメージキャラクターとして?」


 掴まれた手首を振り解きながら、真剣に彼の目を見つめる。本当に美しい瞳をしていて吸い込まれそうになる。年下は恋愛対象外だと思っていたけれど、彼程イケメンだと意識せざる得ない。少しでも意識してしまったら、男女の友情は成立しなそうだ。


 林太郎は斜め上を眺めながら、何か考えたそぶりをすると徐に口を開いた。


「管理しなければいけないイメージキャラクターとしてかな。きらりって、年の割に精神不安定だったり考え方とか幼い気がする。体でも崩されたら、会社の利益に関わるから」


 予想外に冷たい言葉を浴びせられ、驚く。さっきは私を「優しい」と褒めていたのに、今度は私を幼いと貶してくる。私が彼の何気ない一言にどれだけ一喜一憂しているかなんて分からないだろう。以前、林太郎が人の気持ちが分からないと言っていた意味がここに来て分かった。確かに彼の発言は唐突にナイフのように突き刺さってくる時がある。そして、彼自身が相手を傷つけようとして言葉を発している訳ではなく、思った事をそのまま口にしているのが分かるから余計に傷つく。

 仕事上の関係だけにしておかないと、こんな男と関わったら心をめちゃくちゃにされそうだ。


「それなら為末社長のお部屋にお邪魔します。私、好きな人がいるんです。アイドル活動を9月9日まで全力でやり遂げたら、その人と一緒になります」


 私は意識してお仕事モードになる。急に敬語を使い始めた私に林太郎は顔を顰めた。

「好きな人ね⋯⋯。気持ちなんて変わるものなのに、随分確定的な事を言うんだね。この1年は芸能事務所社長兼アイドル。きらりの全力がどれ程のものか見せて貰うよ」


 明らかに怒気を含んだ声色。人のこと幼いという癖に、彼も相当幼い。私の態度に腹が立った癖に余裕な振りをしている。好きと言ったり、気持ちがなくなったと言ったり、やっぱり好きと言ったと思ったら、友達になってくれるような事を言った。彼が何を考えているか気にするだけで頭が爆発しそうだ。


 私は玄関に向かう林太郎の後を追いながら、彼の気持ちに心を寄せるのをやめる決意をした。

「朝ご飯のスープは何ですか?」


 私の言葉にキラキラの笑顔で林太郎が振り向く。若くてお肌ピチピチで目も透き通っている。朝なのに本当に元気だ。


「豆沢山のミネストローネ! タンパク質たくさんとってね。パフォーマンスする為に筋肉つけなきゃ」


「女の子に筋肉つけろって!」

「女の子? アラサーはもう女の子じゃないでしょ」

 年齢のことを指摘され少し嫌な気分になった。林太郎の事を散々年下扱いしてきた癖に私も大概だ。


「それ、セクハラ発言です!」


 抗議する私の手首を再び、彼が掴む。驚きのあまり抱えていたサンドイッチの入ったカゴを落としそうになってしまった。


「きらりは女の子じゃなくて、立派な女だよ」

 彼の真剣な眼差しに射抜かれ心臓が止まりそうになる。


「⋯⋯それも、セクハラ⋯⋯」


 言い終わらないうちに、私は気がつけば林太郎の部屋に再び来ていた。ビジネス上の関係だけにしようと思っていたのに、以前来た時より私はずっと緊張していた。




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