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第73話 中途半端にやりたくないんです。(りんご視点)

顧問の川島は関東人なのにエセ関西弁を使うお調子者。しかし、アイドルオタであるがために私を優遇していた。私もその立場に胡座をかいていた所がある。部活に出れない事を彼に相談したら、出なくても大会には出すと確約された。


「紗耶がここに運ばれたって聞いて」

「アキレス腱切れたみたいで⋯⋯」

右足首をさすりながら言う葛西沙耶の目には涙の膜が張っていた。


「アキレス腱切れるとブチーンって凄い音なるんやな。先生、一瞬何が起きたか分からんくて救急車呼んじゃったわ。大した事なくて良かったなあ」

「はい⋯⋯大騒ぎしてすみませんでした」


川嶋の言葉に沙耶が作り笑いを浮かべている。大した事だ。中学最後の大会には出られないだろう。葛西沙耶は練習熱心で疲労骨折しても、飛ぶのをやめない子だった。練習嫌いな私も彼女に影響されて、努力して記録を伸ばしてきた。


「そう言う訳だから、斎藤は仕事戻りな。今晩も音楽番組あるやろ。先生も鼻が高いわ。俺の事、恩師として紹介してもええで」

「はぁ?」

 例えようもない怒りが込み上げてくる。優遇されてイイ気になっていた所があった。先に一緒に頑張ってきた仲間を裏切ったのは私の方だ。

「やっぱ、りんごみたいな才能のある子には敵わないね。無駄な足掻きなんてしなければ良かった」

 葛西沙耶が消え入りそうな声で囁く。

「まあまあ。斎藤がアイドルでも、大会でも結果出してくれば葛西も浮かばれるよなあ」

 川嶋の言葉に私の中の何かが切れた。

「川嶋先生、私、部活を辞めさせて頂きます」

「はぁ? 何言って」

「沙耶の怪我。先生に責任は少しもないですか? 準備運動はしっかりさせましたか? 記録を出したくてオーバーワークになり気味の彼女をちゃんと見てましたか?」


 私の言葉に先生の目が泳ぐ。どうせスマホでアイドル動画でも見てたのだろう。部活に全力を掛ける中学生の気持ちを踏み躙るのは許せない。


「沙耶を始めの陸上部の子は毎日命懸けで頑張ってるんです。私もアイドル活動に専念したいと思います」

 アイドルで結果が出なくても、大会で結果を出せれば良い。私はいつからかあんなに頑張っていた部活を保険のように考えていた。一緒にやってた紗耶達が裏切られたと感じるのは当然。


「命懸けって大袈裟な」

ヘラヘラ笑う川嶋先生。


「私達が頑張ってるのそんなにおかしいですか? 私は陸上に命懸けてます。才能がないからこそ誰より努力してきました」


 沙耶が静かに言った言葉に川嶋先生が息を呑む。


「そんな、まじに怒らんでも。もっと、気楽にやろうや。たかが中学の部活やで。斎藤も辞めるなんて言うなや。アイドルのお前が大会だけ出てれば学校の宣伝にもなるし」


 川嶋先生の視野狭窄っぷりにため息をつく。私の存在が学業の妨げになるというクレームが入ったと言う話は聞いても、宣伝になると聞いた事はない。そもそも地域の子供を預かる公立中学で宣伝とか言っているのもお門違いだ。


 結局、川嶋先生がアイドル好きだから私を贔屓していただけ。


「陸上もアイドルもやるなら中途半端にやりたくないんです。たとえ結果が出なくても、本気で取り組まないと絶対後悔するから。失礼します。沙耶、右足お大事にね。また、学校で」


 病院を立ち去ろうとする私の背に紗耶が声を掛けてきた。


「りんご、来てくれてありがとう。それとごめんね」


 手をバタバタ振る私の目に、忙しそうに小走りをしている渋谷ドクターが見えた。


 咄嗟に私は彼の後を追う。


 梨子姉さんを中心とした三角関係。なんだか見過ごせない不公平な闘いになりつつある。どうせならフェアに争って欲しい。このままだと来年9月まで会えない間に不戦敗しそうな渋谷ドクターのお助けマンとして私が動いた事が嵐を呼ぶとはこの時は思いもよらなかった。

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