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第89話 私、好きな人が出来てしまいました。(雄也視点)

 昨年末、きらりさんと出会ってから連絡は控えていた。彼女をメディアで見ない日はなくて忙しいのも理解している。必死に頑張っては彼女を応援したかった。


 9月に入り来週には卒業ライブという時にきらりさんから連絡が来た。卒業ライブ前に会いたいという連絡に一瞬嫌な予感がした。


 りんごさんの計らいで、恋人のような時間を過ごした時とは全く違う強張った声色。引退直前に2人きりで会うなんて危険なんじゃないかと思ったが、会いたい気持ちを抑えられなかった。彼女は病院まで会いに来て、僕は院長室に彼女を通した。確かに、レストランなどで会うより病院が1番安心かもしれない。


 目深に被った帽子を脱ぐと、きらりさんの長いまつげに彩られた美しい瞳と目が合った。

 彼女はなんて分かり易いのだろう。僕は目が合った瞬間、自分は振られるのだと分かってしまった。以前の彼女の視線は熱を帯びていたが、今僕を見る彼女の瞳には温度を感じない。


 病院の広場で歌ってたロングの巻き髪の彼女。アイドル活動を始めた頃のショートカットの彼女。そして、今、僕に別れを告げた肩まで伸びた髪を揺らす彼女。


 髪型だけではなく、目つきも仕草も別人のようだ。色々な変化を見せてくれる万華鏡のような彼女を側で見ていたかった。


 僕は冷静を装って彼女を黒い革張りの応接ソファーに座るよう促した。


「コーヒー、紅茶、どちらにしますか?」

「⋯⋯お水、頂けますか?」

「もちろん」


 水を、彼女に出しながら、こな8ヶ月連絡を取らなかった事を後悔する。画面や雑誌で見た彼女は笑顔で元気。でも、実際に会えば直ぐわかる。今の彼女はストレス過多で、身体がカフェインも受け付けないくらい悲鳴をあげている。そんな彼女の辛い時期に放っておいてしまった自分が憎らしい。


 水をひとくち飲むと、彼女は徐に口を開いた。

「雄也さん、ごめんなさい。私、好きな人が出来てしまいました」

「林太郎君?」

 俺の言葉に彼女がそっと頷く。この8ヶ月彼女と林太郎君は仕事で何度も接して来た。不倫疑惑できらりさんが叩かれた時も、林太郎がルナに声明を出すよう頼んだという。僕は苦しむきらりさんに何も出来なかった。振られて当然かもしれない。


「林太郎君は仕事もできるし、近くにいたら好きになっちゃうよね」

「確かにグッズの販売戦略や、メディアの利用、グループの売り込み方など仕事面で彼の助けを借りてました。でも、それだけじゃなくて⋯⋯」


 きらりさんは意外と残酷な人だ。自分を好きな男の前で他の男の好きなところを語る。


「やっぱり、一緒に住んでたら、いつの間にか好きになってました」

「一緒に住んでた?!」


 思わず大きな声が出てしまった。驚いている僕を見て、きらりさんも目を見開いている。きらりさんは僕がりんごさんと連絡を取っていたから、当然知っていると思っていたのだろう。彼女は色々きらりさんの事を教えてくれたが、林太郎君と同棲していたとは初耳だ。


「私の前のマンションはセキュリティーが甘いらしくて」

 林太郎君はどうせ上手い事いって、彼女を言いくるめ一緒に住むように持ってったのだろう。


「2人はもう恋人関係なんだね」

 自分でも情けないくらいか細い声が出る。きらりさんと一緒になりたいと思い描いてた未来が音を立てて崩れ去っていく。


「違います。林太郎とは友達で、私は卒業コンサートが終わったら彼に気持ちを伝えるつもりです」

「そっか、きっとコンサートも成功するし、2人は恋人同士になれるよ。僕はいつまでもきらりさんを応援しているからね」


 握手しようとして出した手を彼女に握られる。本当は握手じゃなくてキスがしたい。しかし、全く自分に気持ちがない彼女に対してそんな事はできない。


 きらりさんが帰った後、僕は暫くその場を動けなかった。頬を熱いものが伝う。掴んでいたはずの愛する人の心を奪われた。

 なりふり構わない手段で彼女を奪った林太郎君が憎らしい。

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