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第39話:【番外編 ① 必要のない時間】

【潤side】 


大学に入ってから、毎日勉強と研究に明け暮れていた。


やりたいことをやれる時間は楽しいし、苦ではない。

しかし、僕は今なぜかイライラしていた。


「……チッ、今回も失敗か」


青いゴム手袋をつけた手で髪をぐしゃっとかきながら、僕は試験管を見つめる。その中の液体は淡い黄色に変わっているはずだったが、濁った灰色にしか見えなかった。


「何がいけなかったんだ……温度管理か、反応速度か……」


僕がつぶやくと、嬉しそうな顔をして近づいてくる男がいる。

すると、隣にいた友人、本郷雅史が声をかけてきた。


「おいおい~今日は一段とイライラしてるんじゃねぇの?」


この男はロン毛の金髪という、僕の大学にはめったいにいないチャラい男で、どこにいっても浮いている存在。


こんなチャラチャラしているクセになぜか頭はよくて、それもムカつくのだけど、人生を渡り歩くのが上手い男だ。


「お、俺の方は成功~!ちゃ~んと生成されてるなぁ~」

「わざわざ聞こえなるように言わないでくれる?」


「だって~イライラしてる潤くんが見たくて~」

「ウザい」


バッサリと言い放つと本郷はにやりと笑った。


「そんで?最近イライラしてる理由はウワサの彼女ちゃんですか?」

「……別に」


もう彼女じゃないし。

なぜなら、最近メールで別れたいと告げられたばかりだったからだ。


メッセージが送られてきた時は、ああやっぱりなと思った。

最近全然連絡もしていなかったし、会う頻度も少なくなっていた。


最初こそしていた電話やメッセージの頻度も減っていて、そのうちに破局。

本当によくある話だ。


「で、どうなの?最近その彼女ちゃんとは」


本郷には当然、彼女がいたことを話したくはなかったけれど、コイツが勝手に僕のスマホを見たことでバレてしまった。


それからは根ほり葉ほり彼女のことを聞いてきて本当にうざかった。


「もう別れたから」

「ええっ!!なんだよ急に~!」


「別れたい言われたから仕方ないかなって。僕も時間作ってあげられないし、まぁ言われるのも当然だって思ったよ」


「ええ~っ!よく言うよ?時間調整どうにか出来ないかってしてたクセに??教授との飲み会に参加しないといけないのも、来ないで彼女優先させてた人が言う?」


「……別に。飲み会は行かなくていいって思っただけだ」


大学に入って知ったことは、色々と理系だというのに付き合いがあるということ。


教授から呼ばれたら手伝いをしないといけないし、飲み会に誘われたら断ってはいけない。


そうしないと、まぁ教授から白い目で見られて人生がハードモードになるってわけ。


前までの僕だったら、人生は最短ルートを行くためにめんどくさくても参加しただろう。


でも、今は彼女を優先すべきだって思って、どうにか美玖との時間を作れないか考えた。


でも……肝心の美玖はそうじゃなかった。

大学の研究仲間から、お前の彼女と男が親し気にあるいていたのを見たと言われた。


そんなわけない。


美玖は男性が苦手だし……。


きっと今だって大学に入ってもビクビクしていることだろう。


女の子の友達が出来たと嬉しそうに言っていることはあったが、男の友達がいるとは言っていなかったし……。


そんな話を当然相手にはしなかったのだけど、ある時この目で見てしまった。

ショッピングモールに男と一緒に入っていく姿を。


すごく楽しそうに笑っていて、僕は久しくその彼女の笑顔を見て無いなと実感した。


そういえば、本来の美玖はあんなふうに笑う人だった。

でも今は遠慮がちに笑って、こちらの様子を伺うように眼差ししか向けてこない。


もう僕が彼女を笑顔にさせることが出来ないんだろう。

だから彼女は、他にいい人を作ったんだろう。


そう思ったら、彼女を解放してあげるべきだと思った。

自分から別れたいと伝えて手放してあげればいい。


しかし、なかなか出来なかった。

恋愛なんてするガラでもないのに、どうでもいいと思っていたはずなのに。


別れようと言ってあげることが出来ない。

言おうとすると、どうしても美玖と過ごしてきた日々が思い出されてしまう。


ああ、なんだ。

昔の自分が聞いてあきれるな。


恋愛なんて非効率的なものだと思っていたのに、僕は思いっきり恋愛してるじゃないか。


そんな風にモヤモヤしていた時に、美玖が僕の大学にやってきた。


こんな風に連絡もせずに大学にやってくるのははじめてだった。


ここまで来るってことは別れを告げに来たのか?


緊張しているみたいで、早口で、それでいてあまり僕の目を見ようとはしない。


気まずいんだろう。


彼女は、息をすいこむと僕にクッキーを差し出した。


『これ……』


そう言ってキレイにラッピングしたクッキーを差し出す。


なんだこれ?

別れるから最後にって?


そんな律儀なことしなくていいのに、美玖らしい。


なんかそういうことしそうだし……。


『あ、あの……昨日ね。クッキー作ってみようと思って買い物して、作ってみたの。潤くん喜んでくれたなって……突然来て申し訳ないんだけど……』


でも受け取ったら言うんだろう?


“別れたいと”


『……いらない』


気づいたらそんな言葉が口をついて出ていた。


受け取ったら関係が終わる。

だったら受け取らないで逃げようとしたわけだ。


『えっ』

『いらないから』


固まっている美玖にさらに追い打ちをかけるように言う。


『用事はそれだけ?僕忙しいから帰る』


そして彼女の横を通り過ぎて、そのまま帰り道を歩き出した。


ああ、みっともない。

こんな風にあらがうなんて……。


何も意味はないのに、ちょっと時間を引き延ばしただけなのに、こんなことしか出来ない自分がむなしい。


分かってる。

もっとしてあげられることはたくさんあったと思う。


でもやっぱり、今日の美玖の表情を見て僕じゃ無理なんだと悟った。


あの男の前では笑顔を見せるのに、僕には見せられない。


ホント、上手くいかないな。


それから数時間が経った時、メッセージが送られてきた。


【別れよう。今までありがとう】


文章はシンプルなものだった。

ほら、あんな風にあらがったって意味がないだろ?


「なに、してんだろーな」


僕はボソっとつぶやいてメッセージを返した。


【分かった】


彼女との関係が終わった。


今まで付き合っていた人との関係が終わっても何も思わなかったのに、なんだかぽっかり心に穴が開いたような気持ちで変な感覚だった。


「これも変えないと」


美玖に設定した待ち受け画面。

昔はこんな浮かれたこと絶対にしたくないと思っていたけれど、離れているのは寂しくて、彼女を待ち受けに変えたら研究も頑張れる気がした。


めちゃくちゃ周りにはいじられたし、やらなきゃよかったと思ったんだけど……。


本当難しいな。

僕は一向に大事なものを大事にすることが出来ない。


上手に出来ないのは、昔の僕が恋愛なんてとバカにしていたからだろう。


勉強だったら、勉強すればその分結果が出るのにな……。


あーあ、無性に甘いものが食べたい。


タピオカとか、クッキーとかそういうもの……。


どこかにあったっけ?

そう思い返して、美玖作ったクッキーを思い出す。


「本当は食べたかったんだけど……」


ポツリとつぶやいて、虚しく消える。


恋愛なんてするもんじゃなかったな。



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