【美玖side】
「有川くん、こっちこっちー!」
有川くんと駅前で待ち合わせをして、私たちはあるファミレスに向かっていた。
あれから、潤くんは宣言通り、きちんと言葉にしてくれるようになった。
潤くんの口から発せられる“好き”という言葉がすごく新鮮で、新鮮なのに、何度も言ってくれて、今はもう不安になることもない。
会えない日ももちろんあるんだけど、潤くんは側にいてくれるから大丈夫って思えるんだ。
ファミレスの窓際の席。
賢人と莉乃ちゃんが先に席についていて、私たちは少し遅れて到着した。
有川くんが扉を開けてふたりがいるところまで行くと、賢ちゃんは腕を組んで仏頂面で待っていて、莉乃ちゃんは笑顔で手を振っていた。
「よーっ。遅ぇぞ。また喧嘩して遅刻か?」
賢ちゃんが半分冗談、半分皮肉っぽく言う。
すると隣の莉乃ちゃんが、「こら」と賢ちゃんをなだめた。
「ごめん、電車が遅れて……」
有川くんと私が一緒に席につくと、食べたいものを頼んで私たちは向き合うことになった。
ふたりには話があると言って呼び出しているから、私たちの言葉を待っていることだろう。
「えっと、その……わざわざ時間とっちゃってごめんね?ふたりにはちゃんと報告したくて」
「うん、教えて」
莉乃ちゃんがニコニコしている。
有川くんの顔を見ると、彼が小さくうなずくのを確認して、深呼吸してから話を切り出した。
「その……私たち、また付き合うことになりました」
その瞬間、莉乃ちゃんの顔がぱぁっと明るくなった。
「まっ、ここにふたり揃って来た時点で分かってたけど?でもめっちゃ嬉しい……!」
莉乃ちゃんは手を叩いて喜んでくれる。
賢ちゃんも優しい顔を向けてくれた。
「全く、世話が焼けるおふたりさんだな」
「ごめんね……」
「だいたい、いいか?好きだとか会いたいとか言うのはなぁ、口に出さなきゃ伝わんねぇの!分かってくれるだろうじゃ、ダメなの」
賢ちゃんの説教口調に私たちは何も言うことが出来ない。
そして有川くんが静かに口を開いた。
「まぁ……今回は勉強になったよ。僕も言葉が足りないのは自覚したし、お互いにきちんと話せた」
その目には迷いが一切なかった。
「ならいいけどよ」
賢ちゃんは目を細めて頷いた。
「賢人ったら素直じゃないんだから!こう見えてめっちゃ心配してたんだから」
「おい、言うな莉乃」
賢ちゃんたちのやりとりに私たちは笑った。
「美玖ちゃんは、これからしっかり潤に甘えてね?女の子はわがままくらいが可愛いんだから。ね~?」
賢ちゃんに同調を求める莉乃ちゃん。
賢ちゃんは動揺しながらも返事をした。
「お、おう……」
「ありがとう、賢ちゃん、莉乃ちゃん」
そんな和やかな雰囲気の中、潤くんがぶっこんだ。
「まあ、キミらには借りがあるから、キミたちが別れた時は協力するよ」
ニヤリと笑って言うのが潤くんらしい。
「おい、有川!物騒なこと言ってんじゃねぇよ」
みんなが笑っている光景を見て、しみじみ思う。
高校生の頃、私たちが同じ場所で別れを告げることがなかったら、今もこんな関係にはなっていないんだろうな……。
タイミングって本当にすごいと思う。
そしてその関係が今でも続いていることだってキセキだよね。
みんな全然性格が違うのに、同じ話をして笑ってる。
この瞬間がとても幸せに感じるんだ。
それから少し話してご飯を食べてから解散することになった。
莉乃ちゃんはこれから撮影があるみたいで、賢ちゃんが撮影のスタジオまで送っていくらしい。
「じゃあまたね!」
ふたりに別れを告げて、私と潤くんはふたりで帰る道を歩いていた。
「賢ちゃんと莉乃ちゃん、相変わらず仲良しだったね!」
「あいつってあんなに、莉乃にぞっこんだったっけ?」
「分からないけど、賢ちゃんが莉乃ちゃんのこと大好きなんだなってことは伝わるよね」
撮影スタジオまで送りにいったり、莉乃ちゃんが遅くなりと迎えに行ったりもしてるって言ってた。
賢ちゃんらしい守り方だなぁって思う。
「僕はああいうのはごめんだけどね」
潤くんはしなさそうだなぁ……。
そもそも潤くんは彼女に尽くすって感じでもなさそうだし……。
って言ってる私が寂しいんですけど……。
なんて考えていると、潤くんはポケットからあるものを取りだし私に差し出した。
「これ……」
「えっ?」
彼に渡されたものを見てみると、そこには温泉のチケットと書かれていた。
ここから電車で2時間くらいかかる場所にある有名な温泉地だ。
「どうしたの?これ」
「買ったんだ。二人で行かない?」
「ええっ!!」
私と潤くんが温泉に……!?
「でも潤くん、これ泊まりじゃないといけないと思うし……」
「大丈夫。ここの温泉宿予約してるから」
「でも、潤くん忙しいから一泊旅行って難しいんじゃ……っ」
私がたずねると、潤くんは前を向きながら真剣に答えた。
「大学の最寄り駅のところにさ、この温泉宿の広告が大きく載っててさ。それ見るたび美玖と行きたいなって思ってた。でも思ってるだけじゃ、意味ないと思ったから今回思い切って取ったんだ」
「潤くん……」
私のこと、考えていてくれたんだ……。
「時間なんてどうとでも動かせるよ。空いた分はどこかで勉強すればいいわけだし……それにずっとどこか連れていってあげたいって思ってたから」
彼は鼻をかきながら照れくさそうに答えた。
「嬉しい……っ」
そんなこと思ってくれていたんだね。
「潤くんと旅行に行けるなんて楽しみだよ……」
高校生の頃も賢ちゃんと莉乃ちゃんたちと旅行に行こうという話は出ていたんだけど、私の親が厳しくて……男女でのお泊りは大学生になるまでダメだって言われちゃったんだよね。
だから、こうやって遠出できるのは初めてになる。
「私……楽しみにしてる!いっぱい頑張る!」
「キミが頑張るとロクでもないこと起きそうだからやめてくれる?」
「う“……」
私が口を尖らせていると、潤くんは笑って言った。
「冗談。僕も楽しみにしてる」
翌日。
あれから潤くんと分かれ家に帰ったけれど、ずっと潤くんとの旅行のことを考えてしまった。
だって旅行に行くってことはそういうことをするってことでもあるし……。
私、何にも準備出来ないよ!?
準備も何をしたらいいか分からないし……。
だから今日は莉乃ちゃんにそれを相談しようと思ってる。
私は莉乃ちゃんの仕事終わりにカフェに呼び出した。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「ううん。こっちこそごめんね、忙しいのに……」
「全然、美玖ちゃんが私に話したいことがあるなんて言ってきたら、そりゃぁ飛んでくるわよ」
莉乃ちゃん優しいな。
撮影後で疲れてるだろうに……。
「それで、どうしたの?」
「実はね……今度の休日に潤くんと温泉旅行に行くことになって……」
「ええっ!いいじゃん」
莉乃ちゃんは目をキラキラと輝かせていた。
「そう、楽しみなんだけど、お泊りは初めてだから……その、そういうことする雰囲気になるのかなって……」
言葉を詰まらせながら答えると、莉乃ちゃんの目が一瞬大きく見開かれた。
「え!?っていうか、確認だけどふたりってまだシてなかったの?」
「う、うん……」
「ええっ!!」
驚かれるのは分かっていたけど、やっぱり恥ずかしい。
「意外だった……だってもう結構付き合ってるじゃない?」
「そうなんだけど……」
「潤、よく耐えてるわね……」
「やっぱり男の人ってそういうのシたいって思うのかな?」
「そりゃ当然じゃない。好きな人なんて尚更よ」
そうだったんだ……。
「うう“……じゃあやっぱり私、潤くんのこと我慢させてるんだ……」
莉乃ちゃんの言葉にショックを受ける私。
「てか、なんでそんなことになってるの?」
「……実はね、そういう雰囲気になった時に私、思わず怖いって言っちゃったんだ」
「なるほど……」
莉乃ちゃんは手のひらでカフェラテのカップを包みながら、こくこくとうなずく。
「それで、潤くん……私を不安にさせないためにやめてくれたんだけど……それ以降なくなっちゃって」
「よくあるパターンね。潤も案外優しいじゃない。美玖ちゃんのこと怖がらせたくなかったんだろうね」
「でも、その……私だって……勇気をだしたくて」
もじもじと伝えると、莉乃ちゃんはお姉さんのようにしっかりと聞いてくれていた。
「これは温泉大作戦しかないわね……」
「温泉大作戦!?」
「そう。ふたりきりの密室なわけじゃない。美玖ちゃんがいつよりも自分から迫ってみるの♡そしたら、一撃よ」
そ、そんな上手くいくのかな……。
でもいつまで消極的でいたくない。
私だって潤くんと……そういうことしたいって思ってるから。
「じゃあ今度、一緒に下着とか買いに行こうよ」
「えっ」
「美玖ちゃん、女の子は“勝負下着”くらい持っとかないと」
莉乃ちゃんは得意げにウインクしてみせた。
それから次の日、莉乃ちゃんはスケジュールが空いている時間で私を誘い出してくれた。
もちろん今いるのは、ショッピングモールの一角にあるランジェリーショップだ。
壁一面にカラフルでかわいらしい下着が並んでいて、なんだか場違いな気分になってしまう。
しかし、莉乃ちゃんは慣れているようで近くにある可愛い下着をさっそく手にとっていた。
「美玖ちゃん、これなんかどう?」
莉乃ちゃんが持ってきたのは、深紅のレースがあしらわれたブラセット。
黒色という大人っぽい色合いが、明らかに勝負用って感じで私は顔を赤らめた。
「これ……さすがに派手すぎないかな?」
「そんなことないって!男の人って意外と黒好きだから。潤、絶対喜ぶよ」
莉乃ちゃんはニヤリと笑いながらそんなことを囁いてくる。
う、う……。
潤くんってそもそも何色が好きなんだろう。
こんな大人っぽい下着付けてて引かれたりしないかな……。
「気に入らないっていうなら……」
莉乃ちゃんは別のところに視線を向けると、また新しい下着を手に持った。
「ほら、これも可愛い!ピンクのレースなんて、男の子ウケ間違いなしでしょ」
莉乃ちゃん、詳しい……。
やっぱり莉乃ちゃんは大人だなぁ。
私たちよりも一歩進んでる感じがする。
「ピンク……か」
潤くんが喜びそうには思えないけど、下着のことなんて全然分からないし……。
そのとき、ふと目に留まったのは、白で統一されたシンプルだけど上品なデザインのセットだった。
「これなら……まだ大丈夫かも」
小さな声でつぶやくと、莉乃ちゃんがすぐに反応する。
「おお、白もいいねぇ……!美玖ちゃんっぽいし、ちゃんと攻めてる感じもあるわね」
「そ、そうかな?」
白って攻めてるのかな?
「これにしよ!」
莉乃ちゃんの後押しで、私はその白の下着を買うことに決めた。
「お預かりします」
潤くん、喜んでくれるといいな……。
そして約束の日。
私は鏡の前で、慎重にヘアアイロンを巻いていた。
ストレートだった髪にふんわりとカールを入れる。
「……こんな感じで大丈夫かな?」
化粧も、いつもよりほんの少しだけ濃いめにしてみた。
普段の自分よりかわいいって思ってもらいたくて気合が入っちゃった。
私、浮かれてるなぁ……。
だって潤くんと温泉旅行なんて初めてなんだ。
今日は楽しめるといいな。
気に入りのピンクベージュのコートを羽織ると、私はようやく家を出た。
待ち合わせの駅に向かうと、改札の向こうで潤くんが待っていた。
シンプルな大人っぽいコートを着ている潤くんは、とてもカッコイイ。
「潤くん!」
「はやかったね」
「うん、楽しみで目が覚めちゃって……」
私が言うと、潤くんはじっとこっちを見つめた。
「うん?」
「……かわいい」
誰にも聞こえないくらい小さい声でつぶやく潤くんに私の心臓はドキっと音を立てる。
「う、れしい……です」
なぜか敬語になってしまって、私は顔を赤らめた。
そしてそのまま改札を抜けて、私たちは並んで電車のホームへ向かった。
今日は新幹線に乗って移動をする。
最初電車に乗り、それから新幹線のチケットを買った。
私もお金を出すと言ったのだけど、潤くんは「今日は全部任せて」と言ってすべて払ってくれた。
普段教授の補助的な役割をしてお金を貰っているらしい。
「まもなく発車いたします」
新幹線では二人並んで座って、すぐに潤くんがリュックから小さな冊子を取り出した。
旅館のパンフレットだ。
「ほら、これ。料理とか、露天風呂とか……ふたりでゆっくりした時間が過ごせると思う」
そう言いながら指をさす潤くんの顔が、なんだかいつもより無邪気に見える。
「うん!楽しみだね」
私はパンフレットを覗き込みながら、隣にいる潤くんの横顔を見た。
普段はどこか冷静で落ち着いた潤くんが、今日はちょっとだけ子どもみたいに見える。
それがなんだか愛おしくて、自然と笑顔がこぼれた。
「何笑ってんの?」
「潤くん、すごく楽しそうだなって思って」
「そりゃ楽しみだろ。美玖とこんな遠くに行くの初めてだし……」
さらっと言われたその言葉に、胸が温かくなる。
潤くんも楽しみにしてくれてたの、嬉しいな。
車窓の外に広がる景色は、少しずつ都会のビル群から田舎の風景へと変わっていった。
「だいぶ遠くに来たね」
「こういう景色、久しぶりに見る気がする」
電車がゆっくりと駅に到着し、私たちは降り立った。
駅のホームには冷たい風が吹き抜けていて、澄んだ空気に鼻がツンとする。
すると潤くんがそっと手を差し出した。
「おいで」
「うん……」
潤くんはいつも人目があるところで手は繋がないけれど、今日は自分から手を差し出してくれた。
旅行って、こうやっていつもと違ったことが出来るんだもん。
すごくいいよね。
私と手を繋いでそのまま今日泊る温泉宿まで歩いて向かった。
「それでは、ごゆっくりお楽しみくださませ」
チェックインを済ませ、案内された部屋は広縁のある和室だった。窓の外には静かな庭園が広がっている。
「うわぁ~!すごい……素敵な部屋」
「ここ、絶対美玖が喜ぶと思った」
潤くんはふわりと微笑んだ。
本当……好き、だなあ。
ぼーっと潤くんを見つめると、そっとキスが落ちて来る。
「んっ……」
ぱちっと目を開けた時、潤くんと目があって恥ずかしくなった。
今日の夜……。
潤くんとそういうことしちゃうんだ。
そう考えると……なんか顔が赤く……。
「もうのぼせてる?温泉入ってないのに」
潤くんはくすっと笑った。
「温泉、行こうか」
潤くんの提案にうなずき、私たちはそれぞれ浴衣に着替えて別々の温泉へ向かった。
「気持ちよかった……」
温泉は本当に心地が良かった。
温かいお湯に体を浸すと、その瞬間全身がふっと軽くなるようで、露天風呂なんか特に最高だった。
部屋に戻ると、潤くんもタイミングよく戻ってきた。
浴衣姿の彼がタオルを持っている彼は少し色気がある。
「潤くん、浴衣似合ってる……」
「そういう美玖もお似合いだけど?」
「へへっ」
それからしばらくして夕食が部屋に運ばれてきた。
テーブルの上には彩り豊かな小鉢が並び、熱々の陶板焼きからは湯気が立ち上っている。
「すごい豪華……」
「たくさん食べたら」
私、こんなに幸せでいいのかなぁ。
潤くんにたくさんしてもらってる。
ゆっくりふたりの時間があって、美味しいものも食べれて幸せで溢れてる。
これが幸せって言うんだろうな。
私たちは会話を楽しみながら、ゆっくりと食事を進めた。
お腹も心も満たされて、ふたりでテレビを見る。
隣で潤くんが笑っていて、その横顔を見ながら、私はふと思った。
こんなふうにふたりで過ごせる時間が、何よりも特別だなぁって。
それから夜になってテレビを消すと、静かな空気が私たちの間に流れた。
い、いよいよだ。
潤くんと“そういうこと”をする
なんかドキドキしてきた……。
「こっちきたら?」
潤くんが中に潜っていた布団を軽く叩いて呼び寄せる。
私は緊張で胸が高鳴っていた。
「う、うん……」
恐る恐る隣に腰を下ろすと、潤くんはいつものようにふわりと微笑んで私の肩を抱いた。
「なんか緊張してない?」
「そりゃするよ。だってこんなところでふたりきりなんて初めてだし……」
ぎゅっと抱きしめられて思う。
ああ、好きだなぁ。
潤くんの温もり。
もっと、もっと近づけたら潤くんも私もさらに幸せを実感できるのかな。
「……あのね、潤くん!今日は……ちゃんと準備、してきたから」
その言葉を絞り出すように告げた瞬間、潤くんは目を見開いた。
すると彼は優しく言った。
「別に無理しなくていい。美玖は怖がりだし、無理強いはしないよ。時間はどれだけかかってもいいから」
「ううん、ダメなの!だって……私だって潤くんに触れたい、もん」
小さな声で伝えると、潤くんは言った。
「そういうこと言われれると、止められなくなるんだけど」
潤くんがそう言って、私をじっと見つめる。
その瞳の奥に浮かんだ感情が、いつもの優しさだけじゃなくて、どこか熱を帯びているようで、胸がドキンと跳ねた。
「……止めなくて、いいよ」
自分でも信じられないくらい小さな声でそう言うと、潤くんはほんの少し息を呑むのがわかった。
それから、私の髪をそっと撫でるように触れた。
「……美玖」
名前を呼ばれるたびに、その声が心の奥まで響く。
潤くんの手が私の頬を包み込むように触れ、優しく顔を傾ける。
「優しくする……大事に大事にするから」
私は大きく頷いた。
「うん……潤くんとなら、大丈夫だから」
そう伝えると、彼の顔がゆっくりと近づいてきて、私の唇にそっと触れた。
柔らかい感覚に胸がぎゅっと締めつけられる。
そのまま潤くんは、私の肩をそっと押し倒した。
「少しでも怖くなったら言って。ちゃんとやめるから」
「……うん、ありがとう」
潤くん、優しいな。
きっとずっと我慢させちゃってたよね。
それなのに、私を責めるようなことは一度も言わなかった。
潤くんは周りに見せないだけで、本当は優しい人なんだ。
潤くんの手が、私の髪を撫でるように滑り、指先が頬から首筋へと移動する。
「んっ、くすぐったい……」
「かわいい」
その触れ方がとても丁寧で、私を大事にしてくれているんだと感じられる。
「大好きだよ、美玖」
耳元で囁くような潤くんの声に、思わずぎゅっと目を閉じた。
「私も……大好き」
潤くんに委ねようとぎゅっと彼の背中に手をまわすと、彼が言う。
「下着……見たいんだけど」
「えっ!」
「新しいの買ったって」
「ちょっ……それ、誰から聞いたの!?」
「莉乃から行く前にメッセージが来て」
莉乃ちゃんめ……!
「正直、そんなこと言われたらこっちも気が気じゃないっていうか」
潤くんはそういいながら上を見つめた。
は、恥ずかしすぎる……。
「……じゃあ潤くん、気にして……?」
「そりゃ……僕も男だし。好きな子のってなったらそりゃ……」
そっか、やっぱり潤くんでも気になったりするんだ。
まっすぐに私を見る潤くんに、私は静かにたずねる。
「み、みる……?」
すると潤くんは言った。
「美玖って意外と大胆だよね」
「えっ、えっと、何か間違えた?」
「いや、そういうところも可愛いと思うけど」
潤くんに言われ、私は恥ずかしながらもそっと浴衣を脱いだ。
部屋は電気を消したからあんまり見えないはずだ。
そう自分に言い聞かせても、心臓がバクバクと鳴っているのが分かる。
肌に触れる空気がひんやりしていて、それが余計に緊張感を煽った。
「美玖……」
潤くんが静かに名前を呼ぶ。
その声はいつもと違う色気のある声だった。
「……かわいい」
彼の言葉が耳に届いた瞬間、恥ずかしさと嬉しさが入り混じり、私は思わず顔を伏せた。
「そ、そんなに見るのは……」
「電気消してるから、あんまり見えないよ。でも……そろそろ僕も限界、かな?」
そう言って潤くんはゆっくりと私を押し倒すと、首筋にキスを落とし始めた。
「んっ……」
彼の手が頬に触れるたびに、全身がじんわりと熱くなっていく。
「ずっと、一緒にいてね」
「当たり前じゃん。もう放す気ないから」
“大好き”だよ。
そう潤くんにささやかれ、彼の優しさが、本当に心の奥まで届くのが分かる。
こんなに近くにいるのに、恥ずかしさはどこか消えていて、不思議と安心感しかなかった。
ずっと怖かった。
初めてという言葉の重さに、自分がちゃんと受け止められるのか不安でいっぱいだった。でも、潤くんとなら大丈夫だと思えた。
彼の優しさ、温かさ、すべてが私を守ってくれているから。
「美玖……」
「潤く……っ、ん」
彼に全てを委ねて、温かさに包まれる
そんな熱い夜は幸福に満ちていた──。
翌日。
チェックアウトをして、少し駅の周りを観光したらこの日は帰ることになった。
潤くんもまた来週テストがあるらしい。
そんな中、時間を作ってくれたんだもん、感謝しなくちゃ。
帰りの電車は、行きとは違って見えた。
行きはまどの外を見て、ずっとドキドキしていたけれど、今は寂しさを感じる。
遠ざかっていく度に、もう終わってしまうんだなと思った。
次はいつ会えるのかな?
潤くんは忙しいからまた時間が空くかもしれない。
大事な研究やプレゼンの発表日とかがあったら、メッセージのやりとりや電話さえも出来なくなってしまうかもしれない。
そう思うと、やっぱり寂しいな。
「楽しかったね」
潤くんは言う。
私は短く答えた。
「うん」
「またこれるといいな」
「そうだね」
潤くんと二人きりで過ごした時間は、本当に特別な時間だった。
温泉でのんびりしたり、美味しい料理を楽しんだり、普段は言えないようなことも話せて……全部が大切な思い出になった。
「どうしたの?」
私が考え込んでいたのを察したのか、彼は優しく首を傾げながら問いかけてくる。
「えっと……なんでもないよ。ただ、楽しかったなって思って」
「うん……」
すると潤くんは窓を見つめた後、静かに伝えた。
「美玖」
「ん?」
「これからはさ、僕にもっとわがまま言っていいよ」
「わがまま……?」
「そう。不満があったら伝えてほしいし、してほしいことがあったらちゃんと言ってほしい。寄り添うってそういうことだと思うから……」
潤くんの口からそんな言葉が出て来るなんてビックリした。
「今まで自分ひとりで生きてきた。だから、自分を軸に生きていたんだと思う。今回美玖を失って、大事にしたい人、泣かせたくない人が明確になったんだ」
「潤くん……」
潤くんの言葉が胸に深く染み渡る。
その瞳には真剣さがあってすごく嬉しかった。
「あのさ……それでなんだけど」
なんだろう?
そう思っていると、潤くんはコートのポケットから何かを取り出した。
「これ……」
それは小さな箱だった。
手に取ろうとすると潤くんがそれを開けてくれる。
「えっ」
その中にはシンプルな銀の指輪が輝いていた。
装飾は控えめで、小さな石がひとつだけ光を反射している。
「これ……指輪……」
「美玖、結婚してくれる?この先の将来も僕とずっと一緒に歩んで欲しい」
その言葉に、一瞬時間が止まった気がした。
潤くんからのプロ―ポーズ。
潤くんが、こんなアクセサリーなんて買うキャラじゃないのに。
女性が憧れる指輪を見て、バカバカしいなんていいそうなのに……買ってくれたんだ。
私のこと考えて選んでくれた指輪。
それを見て涙が出そうになった。
「もちろん、本当に結婚する時期になったらもっといいものを買うけど、今は予約ってことで……美玖もこういうのあったら安心できるのかなってさ」
うん、そうだね。
私なんかすぐに不安になってしまう。
でも潤くんの覚悟が聞けて、私たちはもう大丈夫だって思った。
離れていたって問題ない。
だってこの人は私と一緒に将来を歩んでいく人だから。
「私も、潤くんと……結婚したいです」
その言葉を聞いた瞬間、潤くんの表情がふっと柔らかくなった。
潤くんは私の左手にそっと指輪をはめてくれた。
指輪はぴったりできらりと光るダイヤがキレイだった。
「似合ってるよ」
「私、こんなに嬉しいの初めて……ありがとう、潤くん」
潤くんの手を握り返すと、彼はそっと私を抱きしめてくれた。
彼の体温が、温かい。
これからもずっと、私はこの人と歩んでいく。
そして──。
「有川潤さん、あなたは病める時も健やかなる時も美玖さんを愛し続けることを誓いますか」
「誓います」
「吉田美玖さん、あなたは病める時も健やかなる時も有川潤さんを愛し続けることを誓いますか」
「はい、誓います」
幸せな未来と共に、私たちは進んでいくんだ──。
END