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第10話

 奏の右腕は機械でスキャンされ、それを元に空野が設計図を作る。

 今回はピアノを弾くだけなので特別な機能は付けない。

 ただたくさん練習すると言う奏に合わせて各種間接に使われているインダイレクトジョイントは高精度、高寿命の物を別途で発注した。

 オーダーメイドと言え、全ての部品を一から作るわけではない。既存品で代用可能ならそちらの方が安くつく。なのでオンラインで本土の企業に発注し、それを受け取って組み立てる。どうしても作れない場合は3Dプリンターで作り、それを調整していく。

 制作期間は二週間の予定だ。その間奏は黒瀬と共にAIのチューニング方向を考える。

「やっぱりあれだよね。いざという時はオーバークロックして人間にはできない超絶技巧を披露できるようにしたいよね」

「しないわよ。なるべく元の手みたいに動かしたいの。そうじゃないとあの音が戻ってこないじゃない」

「あの音かぁ。……あれ? あの音ってどの音?」

 根本的な問題にぶち当たる黒瀬に奏は呆れていた。

「前もって映像ファイルは渡しておいたでしょ? わざわざ高音質のを選んだんだから」

「あ。そうだったそうだった。まあそれは夜の間にディープラーニングさせるとして、今できることをしよっか」

「今できることって?」

「そっちの音から借りられるなら借りちゃおう作戦」

 黒瀬は奏の左手を指差した。生身のそちらは奏の言う自分の音を奏でられるはずだ。

 奏は左手を見て「なるほど」と納得した。同時に黒瀬の見方が少し変わる。

「ただの馬鹿じゃないのね」

「えへへ。それほどでも」

 黒瀬は楽しそうに笑う。

 半ば諦めていた奏に少しずつ希望が見えてきた。大手メーカーだと既存の義手に既存のAIを使わないといけない。多少のカスタマイズはできるがほとんど融通は利かない。それは全てが優秀で便利な方向を向いているからだ。

 便利さ優秀さが使い手の幸福と必ずしも結びつくとは言えない。だが大多数にとって求められるのも確かだ。そこから取りこぼされた人達は我慢するしかなかった。

 この島でピアノが弾ける場所は限られている。小中学校。酒場。そしてフェリー降り場にある街ピアノだ。

 空野がハードウェアについての作業をしている間、奏と黒瀬はフェリー乗り場に向かった。電動のスーパーカブに二人乗りで走って行く。奏は怖そうに黒瀬にしがみついていた。

「あんたちゃんと免許持ってんでしょうね?」

「大丈夫だって。それに右手は運転用に切り替えたからね。シュワンツだってドゥーハンだってぶっちぎっちゃうよ!」

「誰よそれ? とにかく安全運転でお願い。……怖いのよ」

 奏は新しい右手で黒瀬のブラウスをぎゅっと掴んだ。今でも古い車を見るとあの事故を思い出す。そのたびに恐ろしさで震えてしまう。

 黒瀬はちらりと後ろを見るとニコリと笑って速度を落とした。

「じゃあ、のんびりいこっか」

 二人を乗せた原付はトコトコと走って行った。

 フェリー乗り場には誰もいなかった。そのことに奏はホッとする。自分の音じゃないものを他人に聞かせるのは抵抗があった。

 奏は椅子に座り、鍵盤を見つめる。その近くで黒瀬はリュックから録音機を取り出し、それとスマートデバイスを繋げて頷いた。

 奏は緊張しながら鍵盤の上空に左手を持って行き、ぴたりと止めて黒瀬に尋ねた。

「伴奏でいい? それとも右手のパートも弾く?」

「できればどっちも。データは多い方がいいから」

「分かった」

 奏は再び鍵盤を見つめ、小さく深呼吸をしてからメロディーを奏でた。ラ・カンパネラの左手パートだけを弾いていくと一瞬右手がぶるっと反応した。搭載されたAIが右手パートを弾こうとするが、奏はそれをよしとしない。

(黙ってて)

 神経による行動の拒絶はすぐに探知され、右手は沈黙した。

 奏の頭の中では昔自分が紡いだ音が再現されていた。

 本来あるはずの音。それを思い浮かべながら弾いていく。

 奏は薄れゆく記憶をなんとか留めようと必死だった。退院から毎日左手の練習を欠かさず、失われた右手パートをイメージし続けてきた。

 いつかまた自分の音を取り戻すために。

 演奏が終わると奏は窓の外に広がる空を見つめて祈った。

(どうかまた心から楽しんでピアノを弾けますように)

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