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第12話


     ○


 奏が島に来てから一週間が経ち、ここの生活にも慣れてきた。

 朝は早起きしてテイルと一緒に縄張りを散歩し、帰ると黒瀬の朝食作りを手伝った。

 ピアノばかりで料理なんてほとんどやったことのない奏だが野菜の皮をピーラーで剥くくらいはできる。野菜は全て裏の畑で作った物だ。

「でももったいないわよね」奏はにんじんの皮を剥きながらぼやいた。「今の畑なんてロボットが種まきから収穫までやってくれるんでしょ? だから戦争に巻き込まれても食料価格はそこまで上がらなかったわけだし。ここは無農薬で全部手作業なんだからブランド品として売ってもいいのに食べるだけなんて。これじゃ路上菜園と変わらないわ」

 ゆっくりとした奏の隣で黒瀬は手際よく野菜を刻み、調理していく。

「うちの場合は先生が仕事がなくても食べていけるようにって始めただけだからね。あとは楽しいみたい」

「楽しいって畑が?」

「そうそう。野菜を作るのって結構大変なんだ。季節によってできるのも違うし、土とか肥料とかも学ばないとおいしいのができない。うちの野菜も最初は小さかったけど今じゃ立派でしょ? まあちょっと不格好だけど」

 奏の剥いていたにんじんは二股に分かれていた。だが切ってしまえば同じだ。本土では売り物にならないがここでは貴重な栄養源だった。

 黒瀬は味噌汁に味噌を溶かしながら愛おしそうに目を細める。

「ちょっとずつちょっとずつ。ゆっくりのんびりやっていく。寄り添って合わさって生きていく。先生はそれがしたくて東京からここに来たんだ。だから楽しいんだよ」

「ふうん」

 奏は気のない返事をしたが内心では共感できた。ここは時間の流れがゆっくりしている。そのおかげで立ち止まることができる。それは都会で忙しく学んだり働いたりしていては難しい。土日の休みだけで切り替えができるほど人生は短くないのだから。

 奏もここに来て自分の今までを振り返ってみた。

 思い返せばピアノ以外何もない人生だった。友達も多くないし、いてもピアノで繋がった仲だからライバルでもある。世界を股に掛けるピアニストになるのだからと英語は勉強したが、それ以外は平均かそれ以下だ。彼氏もいない。好きな人ができたことはあったが、それは全て自分よりピアノを弾くのが上手い人だった。憧れを抜いたら恋なんてしてこなかったのかもしれない。だから同年代の女子の中では少し浮いていた。

 でもそれでよかった。奏にはピアノがあったから。ピアノが友達で恋人だった。

 その恋人とは毎日会っていた。データ収集を兼ねて練習のために海に囲まれたフェリー乗り場で演奏する。時折島民や観光客がやってきて奏が作り出す音を聴いていた。

 周りはうっとりとしているが、奏は納得していなかった。

 こんなのは全く自分の音じゃない。機械が出した価値のない音だ。

 今では演奏より打ち込みの方が多くなった音楽だが、奏も聞く分には気にしなかった。だが演奏するとなれば別だ。演奏とは自己表現でもある。それを機械に任せては奏の存在価値がないのと同義だ。

 ライバル達がどんどん前に進んでいるのも気になる。ピアノではよく一日休むと取り戻すのに三日かかると言われている。それが本当なら奏の持っていたリードなど既になくなり、追い抜かされているだろう。

 焦りは手元を狂わせる。特に生身とAIではそれが顕著だ。生身なら迷いが生じれば左も右も同時に狂うが、電脳義手だとAIが勝手に補正してしまう。そのせいでかえって音がバラバラになってしまった。

 不快。苛立ち。焦り。そういったものが奏の中で生まれ、益々音を狂わしていく。

 そしてなによりも身の上に降りかかった不幸を呪ってしまう。そんなことをしても意味がないと分かっているのに。

(わたし、なにやってんだろ……)

 不安は不安を呼び、膨らんでいく。それでも奏はピアノを弾いた。

 どれだけ苦しくても奏を支えてくれるのはピアノしかなかった。


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