二週間後。義手は組み上げられ、AIには昔の音や左手で弾いた音を記録させた。
奏のための特注品。特にAIには徹底的に奏の好みを覚えさせた。
寝ることも疲れることもないAIはデータを深くまで読み込み、人間には感知できないほど細部まで分析していく。
人工知能はある時期までほとんどが『弱いAI』であった。『弱いAI』とは一つのことに特化させたものであり、専門分野以外では人間のように思考したりできない。
しかし粒子コンピューターの登場によって演算能力が飛躍的に上がり、安価で使いやすい『強いAI』が誕生する。これは人間と同じかそれ以上の能力で思考、行動できる。
この『強いAI』が搭載されたのが電脳義手だ。
電脳義肢に搭載されたこのAIはリソースを必要な場所に自分で振り分けることができる。その上に人間の生活を各種センサーで分析し、人と同様の動きができた。
だが通常はそのまま使わない。既にサーバーにあるデータと同期してある程度動けるようになってから追加で各人にあった情報を収集する。
奏に付けられていたN4Sは前もってピアニストの情報をサーバーからダウンロードしていたため、すぐに演奏できるようになったが、そのせいで奏の音と違ってしまったのだ。
今回オーダーメイドで作った義手に搭載されたAIは日常生活の動作はほぼそのままに、奏から提出された演奏データや左手で演奏したデータを読み込ませた。それを鍵盤を弾ける程度の動作ができるデータと同期させる。このことによって奏の音は取り戻される。
そのはずだった。
緊張しながらピアノを演奏していた奏は初め、たしかに自分の音だと思った。
だがやはりなにかが違う。力強さは取り戻した。しかしまだなにかを失ったままだった。
それは奏にすら分からない。99%は元の音だ。だが残り1%がなにか分からなかった。
そうとも知らない空野と黒瀬は昼間の酒場で奏の演奏を聞きながら心地よさそうに目を細める。
「生で聞いたことってなかったけどいいもんだな」
「そうですねえ。あたしも義手に覚えさせれば弾けるけど、きっとこの音は出ません」
素人ののほほんとした感想に奏は眉をひそめた。違うとは言い出しにくい。だが大衆車が買えるほどの金を支払っているのだ。言わないわけにはいかなかった。
「……かなり近づいたとは思うわ。……でも、やっぱり違う」
奏にそう言われ、緩んでいた空気が引き締まった。
「弾く感覚に問題はないんだろ? なら俺ができることは素材を変えるくらいだな」
空野は黒瀬をちらりと見る。黒瀬は考えるそぶりを見せた。
「チェックした限りじゃバックプロバゲーションによる重み付けは問題ないはず。ならもっと根本的なところに問題があるんだ。どこだろ? 違和感を言語化できる?」
奏はむき身の右手を見つめて考えた。金属の腕は慣れていても少し怖さを与える。
演奏に特化した義手は小指が広がる時に僅かだがスライドする機構が設けられている。それと指を立てて弾く場合に関節がほんの一瞬固定される。それらは便利だが音の出方とはあまり関係ない。むしろピアニストの手を機械的に再現している分、音が良くなった。
問題はやはりAIにありそうだ。奏はそう結論付けた。
「なんかこう、嘘っぽいっていうか……。ごめん。言葉にするのは難しい」
「そっか……。うーん。どうしよっか」
黒瀬は四つ指の手を手首からぐるぐると回して思案する。考える時の癖だった。
回転していた手首が止まると黒瀬はこくんと頷いた。
「うん。分からない」
空野はガクリと肩を落とし、奏は寂しげに俯いた。黒瀬は悩みながらも笑った。
「えっとね。奏ちゃんの言う通り、昔の音を完全に再現することはできてないと思う。でもそれは人の耳に聞こえないレベルのことで、人が聞く限りは違いが分からないくらいの再現度なんだ。それは音を聞き比べるためのAIが示してる」
奏は頷いた。たしかに自分で聞いてきても同じ音に聞こえる。
だが同じ音であって自分の音ではない。奏にしか分からない直感がそう言っていた。
テクノロジー全盛のこの時代に直感がどうこう言っても笑われるだけだ。だとしてもそれ以外に言い表しようがなかった。
黒瀬は奏に確認を取る。
「だとしても違うんだよね?」
奏は少し間を置き、小さく頷いた。
「悪いけど、そうよ」
黒瀬はかぶりを振る。
「悪くなんてないよ。奏ちゃんが笑顔になれるのが一番だから。うーん。でもどうしましょうか?」
黒瀬は空野に助け船を求めた。空野は頭の後ろを掻いた。空野にとってもこんな依頼は初めての経験だ。
「まあ、まだ付けたばっかりだからな。時間はある。慣らしていけば神経の方もパーセプトロンも最適化されていくだろ。それでも違うって言うなら問題はハードでもソフトでもないのかもな」
空野に見つめられて奏は小さく驚いた。だがなにを言われているのか分からない。
空野は肩をすくめた。
「最悪の場合は最低保証金だけもらって元のナミエ製に戻すことになるけど」
「あ。いや、これはこれでいいんで買わせてもらいます。……でも」
「なにかが違う、か」空野は嘆息した。「こればっかりは本人じゃないと分からないからな。時間がある限りは対応させてもらうよ。少しでも違和感が減るようにしてみよう。だけど付けるのは君だ。どうすればよくなるか自分でも考えないといけない。いいね?」
「は、はい」
奏は緊張しながらも頷き、そして今更ながら理解した。
求めているのはあくまで奏だ。自分が自分の願いを理解しなければそちらへ向かうことすらできない。どこかで客だから願いを叶えてもらうのが当然だと思っていた。
自分の願いはなにか。なにを求めているのか。奏はもう一度それを考え始めた。