帰り道。奏は坂の前で自転車に跨がり立ち止まっていた。
初日は五踏みもすれば限界だったが、今日は坂の中腹まで行きたい。そんな風に思っていると近くの草むらがガソゴソと揺れた。
奏がギョッとしてそちらを向くと、少ししてから小さなイノシシ、ウリボーが顔を出した。まん丸でふわふわ。手にも乗りそうだ。そのあまりのかわいさに奏の顔がとろける。
「わー♪ わーわー♪ かわいい~。なによあいつ。気を付けろってこのかわいさに気を付けろってこと?」
奏が手を伸ばしたところ、それに気付いたウリボーは回れ右をして草むらに戻って行った。それを見て奏はガックリとする。だがもし触って病原菌でももらったら大変だ。
「あ。写真撮っとけばよかった……。ま。また会えるか」
奏は気を取り直して坂を見上げた。そして小さく深呼吸をして「よし」と呟き、登った。
三踏みもすると太ももが張ってくる。立ちこぎに変えるとふくらはぎが硬くなった。呼吸が荒くなると汗が噴き出てハンドルを握る左手が滑った。
「こん……のおぉ……っ!」
気合いを振り絞り奏は登った。だが体力の限界は気付かないうちに訪れる。ペダルから足を放して地面に立つと、奏は下を向いて息を整えた。汗が地面に落ちて染みを作る。
それを十秒ほど見つめてから奏は顔を上げた。なんとか坂の真ん中まで来られたみたいだ。目標達成。それが嬉しくて自然とはにかむ。振り向くと昨日より空が低く見えた。
体力を回復させると奏はゆっくり自転車を押して歩き始めた。疲れた体を機械の右手が補佐してくれているのを感じる。複雑な気持ちだったが、それでもある程度は受け入れなければいけない。奏の右手はもうないのだから。