電脳義手の調整は何度も繰り返された。
ハード面では素材の変更。各種パーツの調整。元の手にそっくりな形にしてみたが、奏からすれば形が似ているだけで使いづらかった。
搭載するAIも幾つかの成長ルートを想定して育ててみたが、どれも奏の音を取り戻すことはできなかった。
空野も黒瀬も途方に暮れていた。それを見て奏も悪く思う。
一方で技術者というものは困難なオーダーであればあるほど取り組みたくなるものだ。二人は夕食の時まで調整について話し合っていた。
「だからオザワ製のAIも試してみろって。あそこは音楽関係もやってただろ?」
「音楽関係って言っても作曲系ですよ。演奏とはまた違うんです。こっちはこっちで考えますから先生はハード面でもっと弾きやすくしてあげてください」
「お前……。こっちが提案してやってるのに」
「言われなくても考えましたって。その上でアウグスタ製なんですよ」
大手メーカーの場合、電脳義手とAIはセットで発売するのが慣例になっている。それは義肢製作所であると同時にAIの開発会社でもあるからだ。
だが世界には無数のAIメーカーが存在する。そのどれが客のオーダーが適しているかを考えるのはAIチューナーである黒瀬の仕事だ。
それに口を出している時点で空野はかなり煮詰まっていた。黒瀬も同様だが、まだ色々と模索している。
「あのね。奏ちゃん。一ついいかな?」
「なに?」
「奏ちゃんが昔から教わってきたピアノの先生と連絡が取りたいんだ。もし演奏データが残ってたらそれもほしいな。奏ちゃんのだけじゃなくて先生のも」
「いいけど、先生のもって?」
奏が首を傾げると黒瀬は笑いかけた。
「えっとね。人って無意識的に周りの環境に適応しようとするんだ。例えばスポーツ選手だと高地でトレーニングをすると血中のヘモグロビンが増加して取り込める酸素の量が増えたりするの。だからスタミナが付くって感じ。それと同じで奏ちゃんもある程度環境に影響を受けてると思うんだ。完成された演奏をAIに聞かせた場合、その結果だけを汲み取るけど、途中経過のデータもあればまた変わってくるかなって」
「それで元の音が取り戻せるの?」
「可能性はあると思う」
今は溺れる者は藁をも掴む状態だ。そうならばと奏は了承し、食事のあとでピアノの先生にテキストメッセージを送った。
色々な先生の元で弾いてきた奏だが、やはり一番は今の先生だ。小学生高学年。つまり奏がプロを意識し始めた頃から通っており、厳しいがその分愛情もある人だった。
「分かりました。サーバーにまだ残っているはずです。あとでAIに送らせましょう」
スマートデバイスに映った先生は白髪の小さな初老の女だった。深いしわには重みさえ感じる。鋭い目は何もかも見透かしているようだ。
子供の弾いている姿を見たい、聞きたいと要望する親は多く、奏の通っていたピアノ教室でもその姿を備え付けのスマートデバイスで常に録音、録画していた。
それを知った奏は希望が見えたような気がして喜んだ。だが先生の目は厳しいままだ。
「きちんと毎日弾いてますか?」
「は、はい。フェリー乗り場にピアノがあって、それを。あと酒場とかでもちょっと」
「酒場?」
先生の目がぴくりと動き、奏は慌てて説明する。
「営業時間外にです。そこくらいにしかピアノがなくて……」
「そうですか。良い心がけです。どんなピアニストでも一朝一夕でその音は紡がれません。あなたは私が見てきた誰よりも熱心で忍耐強かった。その気持ちを忘れなければやりようはいくらでもあるでしょう」
「やりよう……ですか?」
「ええ」先生は品良く頷いた。「前時代的だと笑われるかもしれませんが、最後は根性の世界です。当たり前の話ですね。どれだけ才能があろうが、どれだけ効率が良かろうが、やり続けなければ何も身に付きません。あなたが最も優れているのはその根気だと思っています。だから事故に遭ったと聞いてもそれほど心配しませんでした。あなたならなんとかできると思っていましたから」
先生は落ち着いた様子でそう述べた。奏は思わず泣きそうになった。まさかそんな風に信じてくれているとは思わなかった。奏は涙をぐっと堪え、笑顔を作った。
「やってみます」
「ええ」先生はまた品良く頷き、なにかを思い出した。「あ。そちらは南国でしたね?」
「そうですけど?」
「ではお土産はマンゴーにしてください。好物ですので。ではもう遅いので失礼します」
先生はそう言って連絡を切った。奏はポカンとしてから少し笑い、そして自分の中からやる気が出るのを感じた。奏は布団に背中から倒れると両腕を上げた。自然と声が出た。
「よーし。やるぞー」
奏は少しだが、なにかが見えてきた気がした。