「演奏系のAIを全部切って神経からの反応だけにする?」
奏の提案を受けた黒瀬は驚いていた。奏は力強く頷く。
「うん。それでやってみたいの」
空野は「なるほどな」と納得していたが黒瀬は心配そうだ。
「か、簡単に言うけどものすごく大変だよ? 言ったら手じゃなくて腕で弾くわけだから。思い通りに鍵盤を押すのでさえ難しいと思う。それでもいいの?」
「うん」
今までは脳からの信号を腕を通してAIが探知、それに加えてAIがセンサーから独自に判断し、実行していた。それを腕からの信号のみに切り替えるとなれば自転車から補助輪を外し、その上前輪さえも外すようなものだ。乗るのさえ困難なのは明らかだった。
それでも奏はそう望んだ。困難なら今までも幾つもぶつかった。
だがそのたびに奏はそれを乗り越えてきた。薄い紙を重ね、音という名の城を築く。そんな経験が新しい右手にはない。
根気よく積み重ねてきたものが全くなかった。だから奏でる音に自信が持てない。
奏はそれが問題を引き起こしていたのだと気付いた。
他人からすれば苦労でも、奏からすれば楽しみなのだ。楽しさを享受できないものになんの価値も感じないように、奏はAIが作り出す音を楽しめなかった。
黒瀬は奏の提案に悩んでいた。言うなれば黒瀬の仕事は無意味だったことになる。
だがそれよりもそれが奏のためになるのかが分からなかった。腕でピアノを弾くなんてことがそもそも可能なのだろうかと考える。腕で義手にある五本の指を操らないといけない。イメージすることすら難しいことだった。
悩む黒瀬の頭に空野はぽんと手を乗せた。
「まあまずはやってみよう。お前も言ってただろ? 人間は環境に適応するって。とんでもない努力が必要になるってことはこの子も分かってるんだ。な?」
奏は「はい」と言って頷いた。
「覚悟ならできてます」
「よく言った。それが言えるなら大抵のことはどうにかなるよ」
空野は爽やかに笑った。
二人にそこまで言われては黒瀬だって諦めるしかない。言われた通りに演奏系のAIを排除し、日常動作ができるだけのものにした。