翌日。その義手を付けた奏はいつものようにフェリー乗り場にやってきた。緊張しながらピアノに向かい、鍵盤の上に指を置く。
まずは簡単な曲から。そう思って右手を動かそうとするが、五本の指が同時に、しかも弾きたい場所ではないところを押さえてしまう。
これでは赤子以下だ。奏は愕然とした。近くにいた黒瀬も心配そうだ。
「えっと、やっぱり」
「大丈夫だから」
奏は黒瀬の言葉を遮った。不安そうだった奏は次の瞬間に強気な笑顔を取り戻す。
「……上等だわ」
弾けないということは弾けるようになれるということ。
初めてピアノを弾いた時もそうだった。積み重ねたものを奪われたなら別のものを積み重ねればいい。失ったものも、新しく得たものも、それは間違いなく自分のものだ。
奏は夢中になって演奏とは言えないようなものを続けた。毎日、日が暮れるまでイメージ通り動かせるように動作を積み重ねる。どれだけ失敗しても諦めなかった。
そして島から出る最後の日。奏はぎこちなくだがきらきらぼしが弾けるようになっていた。それは奏が生まれて初めて弾けた曲だった。
嬉しくて涙がこぼれた。ここからだと奏は思った。
ここから自分の音を作り上げていくのだと。
数年後。客でいっぱいになったコンサートホールに一人のピアニストが登場する。
右手が電脳義手であることをカミングアウトした彼女には敵も多かったが、彼女の奏でる音は誰よりも力強く、世界に新たな音を生み出したと絶賛された。