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第23話


     ○


 休暇を取った竜見一馬は妻と娘を連れて共に最果ての島へと訪れていた。

 娘は初めて見る海にはしゃぎ、妻もゆったりと流れる島の空気を気に入っていた。

 義肢工房では空野が眉をひそめて一馬の言葉を繰り返す。

「デチューンですか……」

 空野は「流行ってるのか?」と訝しむが一馬はその意味が分からなかった。

 デチューン。つまり能力を落とすことだ。

 普通の客ならば大抵は性能を上げてくれと依頼する。オーダーメイドの場合はデザインを自分好みに変えたいとか、自分の使い方に最適化してほしいと言われることが多い。

 だが登山の時だけ能力を下げたものが使いたいなんていう注文は空野も初めてだ。

 空野は困っていた。ピアノの時とは違う。似ているようだが別問題だ。

「えっとですね。作れるか作れないかで言えば作れます。造作もありません。ですけどおすすめはできません」

「なんでですか? この足は便利すぎるんです」

 一馬は椅子に座ったまま両膝を叩いた

「仕事の時はまあいいです。楽ですから。おかげで家に帰ってもすぐに寝たいとか思わなくなった。家族との時間が取れて、そこは気に入ってます。でも登山となると別です。例えるならエスカレーターに乗りながら歩いてるみたいな感じなんです。バランスを崩すこともないし、転けることもない。五階建てのビルから飛び降りても無事に着地できる性能だそうです。ですけど」一馬は眉をひそめる。「それでは登山の楽しさを全て奪う……」

 落ち込む一馬を見て空野と黒瀬は顔を見合わせた。空野は頭の後ろを掻く。

「えーっとですね。まあ、気持ちは分かります。大変なことが楽しい。そういうお客さんはいました。ですけどやっぱりおすすめはできません」

「なんでですか?」

「危険だからです」空野はピシャリと言った。「登山は危ない。これは言うまでもありませんね。竜見さんも身をもって理解しているはずです」

「それは……そうですが…………」

 一馬は両膝を強く握った。

「俺は登山に詳しいわけじゃないですけどなにかの特集で見たことがあります。プロの登山家はとにかく装備にこだわる。そうしなければ命に関わることを知っているからです。だけどあなたがやろうとしていることは逆だ。装備の質を下げて危険を楽しむ。そんなことを推奨するわけにはいきません。なにかあったらうちの信用問題に関わる」

 空野はきつめ口調で諭した。

 一馬は尤もだと思った。一馬の仕事である工事現場でもとにかく安全にこだわる。

 ロボットとAIの活用で事故はほとんどなくなったが、それでも年に数度は誰かがケガをする。そのたびに会社は対策を取った。そうでなければ人手が集まらないからだ。

 ロボットやAIは便利だが、使用制限がある。人の仕事を奪わないためだ。

 AIが社会に浸透し始めた頃、アメリカで失業率が四割を越えた。

 車が自動運転になりタクシー運転手が失業し、レジや品だしをロボットがするようになり小売店で人が減った。完全自動化された工場からは人が消え、事務処理も自動化されたのでオフィス街では六割の人員削減が進んだ。

 失業者はデモを起こし、政権が交代。その結果できたのが人員保証法である。AIやロボットを導入するとその規模に応じて雇用しなければ法人税が加算される仕組みだ。

 人員保証法は世界中の政府が採用し、今では国際法になっている。

 等々、AIやロボットは人を補助、または保護する役割で社会的に認められていた。

 なのに人命が関わるシチュエーションで人を助けないなんてことをすればAIを搭載している電脳義足の存在価値に関わるのだ。

 もちろん一馬はそれを知っていた。だがそれでも学生時代から続けている趣味の醍醐味を奪われるのは許せなかった。

「無茶なことを言ってるのは分かってます。だからこそここまで来たんです」

 大手メーカーの場合は一馬のようなオーダーは倫理規定により受け付けられない。一馬も一度頼んでみたが断られた。ならここのようなオーダーメイドの店に来るしかない。

 一馬は頭を下げた。それを見て空野と黒瀬は再び顔を見合わせる。

 黒瀬は空野に耳打ちした。

「いいじゃないですか。受けちゃいましょうよ。今月仕事ないんだし」

「そんなこと言って作ったのが欠陥品なんて噂を立てられたら今月どころかずっと仕事がなくなるぞ」

「セーフティー面だけ充実させれば問題ないですよ。そこはあたしがどうにかします」

「AIを過信しすぎだ。登山だぞ? 日常使いじゃない。想定しきれない場面が必ずある。ハード面で故障があればAIなんてなにもできない」

 黒瀬はムッとする。

「ハードが故障する前にブースト掛けて危機を回避することぐらいできますよ」

「真夏の場合は麓で三十度を超えてるのに山頂だと雪が残ってるんだぞ? 温度差は素材を変形させる。ブースト掛けたって排熱できなきゃCPUの温度を下げられないから制限がかかるよ。どれだけ天才的な頭脳があったって考えられなきゃ無意味だ。どこかの誰かみたいにな。いいからお前は黙ってろ」

 黒瀬はムムッとしたが、渋々引き下がった。

 一方で黒瀬の言っていることも事実だ。今月は仕事がない。予約はあったが事情があって来月に延期された。この工房を作る際に組んだローンを毎月支払わなければならない。一月くらい乗り越えられる蓄えはあるが、仕事を断るような余裕があるわけではなかった。

 なにより黒瀬に給料を払わないといけない。本来高給取りであるAIチューナーに畑の野菜で我慢しろとは言いにくかった。

 色々考えた挙げ句、空野は嘆息した。

「……分かりました。ですが高度や気温、季節などを細かく制限さえてもらいます。それと登山する際は必ず山岳保険に入ってください。いいですね」

 一馬は嬉しそうに顔を上げた。

「ありがとうございます!」

 喜ぶ一馬を見て空野はまた嘆息した。

 打ち合わせの結果、義足はなるべく安く済む方向で進むことになった。

 普段使いの電脳義足は保険でどうにかなったが、登山のためにだけ使う義足に竜見家は何百万も払えない。それでも昔で言えば軽自動車一台分だ。安い買い物ではなかった。

 登山の際は長ズボンを履くので外装がリアルに見える必要はない。その分温度差から中の機械を守る素材を用いた。あとは比較的安価なパーツを組み合わせる。強度だけは気にしたので重くはなったが、どうにか予算内に収まった。

 あとは空野がパーツを注文、制作して組み立てるのを待つだけだ。

 AIに関してはやることがほとんどない。通常は日常生活でも便利なように姿勢制御や筋肉補助などが働くが、今回はそれらを緊急時にだけ起動するように制限する。

 それでも普通の義足よりはかなり便利で疲れないが、電脳義足としては低機能だ。性能としてはちょうど最初期のものと同等だった。だがAI内蔵のスマートデバイスを使う現代人がスマートフォンを使うようなもので、扱うとなれば煩わしさが大きい。

 空野は先を見据えて義足やAIに幾らか細工を施すことにしたが、一馬には言わなかった。そしてそのせいで利益が二割も目減りしたことを黒瀬には黙っていた。


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