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第24話

 新しい義足ができるのを待つ間、一馬はせっかく取った休暇を無駄にしないため家族サービスに努めた。

 休暇は一週間。最初は休日に来て一泊すれば帰る予定だったが、行き先が南国の島だと言うと妻と娘も行きたがった。それならばと休暇を申請してみると無事処理された。

 一馬の仕事は工事現場の現場監督だ。昔なら現場監督が一週間もいないと進行に支障が出たが、今はAIがロボットに指示を出す時代だ。現場監督の仕事は職人や部下の心理的サポートの役割が大きかった。

 なにかあったら連絡してくれとは言っているが、どうやらそれはなさそうだった。

 砂浜ではしゃぐ娘の未来を妻と並んで見つめながら一馬は久しぶりに穏やかな時間を過ごしていた。妻が一馬に優しく微笑みかける。

「なんだかこんな風なのは久しぶりだね」

「そうだな」

 妻の恵とは大学時代に出会った。IT建築学科を専攻していた一馬がなにか新しいことを始めたいと思って入った登山サークルが出会いの場だ。

 恵は大きな休暇があると日本アルプスに行くような登山好きだった。最初は恵に色々と教えてもらっていた一馬だったが、登山にのめり込むと二人の立場は逆転する。

 一馬は講義をさぼって山に向かった。単位を取るために山小屋でオンライン授業を受けたこともある。

 テクノロジー全盛のこの時代、アナログな登山は生きていることを実感できる唯一の場だった。

 卒業後、一馬は就職。そして結婚。子宝に恵まれながらも一馬は登山をやめなかった。

 休日になれば山に向かう。平日はそのために鍛えていた。妻は忙しそうだが、今は子育ても随分楽になっている。AIが的確な助言をくれるし、相談にものってくれる。なにかあればいつだってスマートデバイス越しに顔が見られた。

 そんな一馬を妻はいつも笑って送り出してくれた。引け目を感じることもあったが、山に来ればそれも消え去る。自然の中を進むのがただただ楽しかった。

 恵が伏せ目がちに一馬の手をそっと握った。

「……やっぱり心配だよ。先生だって危ないって言ってたし」

「……分かってる。でもさ。それでも俺には山が必要なんだよ。今回の件で改めて思った。普通は逆だろ? あんな大怪我したら行きたくなくなる。でも義足を付けた時に思ったんだ。ああ。これでまた山に登れるって」

「じゃあそれで登ればいいじゃない」

 恵は一馬の両足を見つめた。海なので短パンだが義足とは思えない。ただ昔はあったすね毛が義足にはなかった。恵はそっちの方が清潔感があって良いと言っていた。

「これじゃダメなんだ。お前だって分かるだろ? 疲れない登山なんて楽しくもなんともない。散歩と一緒だ」

「そう? 安全が一番だと思うけど。綺麗な景色をゆっくりと眺めるとか、また別の楽しみ方を見つければいいじゃない」

「そんなのないよ。登山は登ってなんぼだ」

 そう言い張る一馬の隣で恵は寂しそうに娘の未来を見つめた。

「もしそれであなたが死んじゃったら、わたし達はどうしたらいいの?」

 一馬はドキリとした。あの事故は運がよかった。一馬は森の方が安全だと思っていたが、もしそちらへ飛んでいたら死亡確率は七割だと後々スマートデバイスのデータから診断された。岩場だから五割の確率で生き延びた。

 生き延びられた確率は二分の一。もし次同じことが起これば死ぬかもしれない。

 そんな危険も電脳義足を使えばかなり減らせる。ゼロにはならないが、それに近くなる。

 しかし登山の醍醐味はそういった危険の回避でもあった。日常生活で感じられることのない危機。テクノロジーの進歩により交通事故は全国で年に五十件を切り、一馬の働く工事現場ですら事故はほとんどなくなった。

 安全で快適な生活。それは生まれてから死ぬまでを温室で管理されているような窮屈感を与えた。昨今の登山ブームはそんな状態から解放されたいと思っている人間が一馬以外にも大勢いることを示していた。

 一馬は恵の問いに答えられなかった。自分が死ねば家族に迷惑がかかることは重々承知している。だが、生きた心地のしない生活を送りたいとも思わない。

 一馬は少し悩み、そして安心させるために笑いかけた。

「大丈夫。俺は死なないよ」

 根拠などなかった。だけど一馬はそう言った。そう言うしかなかった。

 恵は呆れて手を一馬から手を離し、娘の元へと歩いて行く。そして一馬に聞こえるように呟いた。

「わたし達のことを聞いてるのよ」

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