畑で蝶々を追いかけて遊ぶ娘を横目に一馬は両足の電脳義足を外していた。
心配を掛けたくないということもあるが、やはり娘には足を失った姿を見せたくなかった。この時だけは自分が障害者になったのだと否応なしに分からされる。
シンプルな既製品を組み合わせただけなので、義足は一馬が島に来て四日目には完成していた。取り付けてみると少し重い。足を上げる一馬を見て空野は告げた。
「少し重いと思います。ただ強度は上げといたので登山の時には安心できるでしょう」
「なるほど。そうですよね。登山用なんだし重い方が安定しますね」
「それはまあ、やってみないと分からないですけど」
空野は気の乗らない返事をした。やはり今でも全面的に賛成はしていないらしい。
黒瀬は前もって搭載していたAIの設定を行う。
「一応高度や運動の強度、センサーからの情報で登山が始まったことが分かるようにしてます。でも反応が遅い場合があるかもなので、そんな時は口で言ってあげてください。今らか登るぞとか、登山開始とか。そしたら一歩目から登山モードに入りますから。何度かやったらあとはAIが状況を覚えて考えてくれるので言わなくて大丈夫です」
詳しいことが分からなかった一馬だが、反応がない場合は口で言えばいいらしい。案外アナログだなと一馬は思った。
しかし工事現場のロボットもこれに近い。一馬はプログラマーではないのでプログラムは書けないが、口でこうしてくれと言えばその内容をAIが精査して実行してくれる。
このせいで昔は大勢居たプログラマーがほとんどいなくなり、代わりにAIの開発が栄えた。しかしAIの性能が人を上回った今、AIがAIを開発する時代だ。人の仕事はAIの補助に成り下がっている。
そんな時代に人間の能力より低いAIを搭載するなど珍しいにもほどがあった。
「立っていいですか?」
「どうぞ」
空野に促されて一馬は立ち上がった。新しい靴を履いた時のような変な気分だ。それも何度かその場で足踏みしてみるとAIの調整が入り、馴染むようになる。
「悪くはないです」
「でしょうね。今は日常使いなので五年前の電脳義足と変わりません。問題は登山を開始したらです。まずはリハビリしましょう。慣れるまでは高い山に行かないでください」
すると黒瀬が手を上げた。
「あ。そこは大丈夫です。使用者の力量と合わない山には登れないようロックを掛けておきましたから。地図アプリと同期しておいたので登りたくても登れません」
「え? いや、でもそれは――」
「安全のためですから」
黒瀬はニコリと笑う。一馬はつまらなそうだったが、畑の近くで遊ぶ娘と妻の姿を見て渋々納得した。
そんな一馬に呆れながらも空野は呟いた。
「まあ、すぐにそんなことしようとも思わなくなりますよ」
不思議に思った一馬だが、工房の先にある小さな山をリハビリがてら登り始めると言葉の意味を痛感した。
足が上がらない。残った太ももの筋肉がすぐに張って動かなくなる。それに伴ってバランスを取るために体幹の筋肉である腹筋、背筋などに負担がかかる。
一馬はすぐに息が切れ、その場でへたり込んだ。
「き、きつい…………」
「でしょうね」空野は腕を組んで木にもたれかかる。「でもそれがAIの補助を切るってことです。姿勢維持、筋力補助、それ以外にも人間が無意識的にやっていることをAIが代行するのが電脳義足ですよ。それでも基本的なことができるようにはしています。それできついってことは運動不足ですね」
運動不足などと言われたのは初めてだった一馬は軽くショックを受けた。だが一方でメラメラと燃えるものが出てくる。一馬はなんとか立ち上がった。
「それなら頑張ればこれでも登れるってわけですね?」
「そういう風にできてます。言うなれば登山の疑似体験ですね。体が慣れれば生身でやっているのと同じような負荷になります。それまではつらいと思いますけど鍛えてください」
「鍛えればまた山に登れるわけですね? 分かりました」
一馬の顔が明るくなる。空野は呆れていたが、少し見方が変わっていた。
「まあほどほどに頑張ってください。もし山の途中で動けなくなってもロックが解除されるので下りてくることは可能です。なんなら寝てても運んでくれます。それを登山と言うかは知りませんけどね。機械やAIに頼らないのなら最後は根性でなんとかするしかない」
「はい。分かってます」
一馬は一歩一歩山を登っていく。島では幼稚園の遠足で登るような山だ。それを大の大人が汗を流し、息を切らしながらほんの少しずつ進んでいった。
苦しかった。つらかった。だがこれが登山だとも一馬は思った。
力を振り絞ったが二百メートルほど登ると体力の限界がやってくる。気力ではどうにもできず、一馬は下山を選んだ。AIに補助された帰りは本当に寝てしまうほど楽だった。
風呂に入り、夕食を取ると一馬はすぐに眠りについた。疲れて寝ることなど久しぶりだった。そのおかげか起きると気分が良い。だが全身筋肉痛で体を起こすのも大変だった。そんな苦労も一馬にとっては楽しかった。
一馬は家に帰るまでの間、毎日山に登り、そして最終日に踏破した。
その日は妻と娘も一緒だった。娘の方が早く登ったくらいだ。だが帰りは疲れて駄々をこねるのでおんぶして帰った。
山に登れた。家族とも過ごせた。それだけで一馬はこれまでにないほど幸せだった。