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第31話

 焦りすぎていたのかもしれない。

 一馬はそう思いながらリミットを解除した足でのんびりと島を散歩していた。

 それなりに歩いてきたが疲れがまるでない。普段の設定がどれだけ無茶なものだったのか再確認すると一馬は苦笑した。

 空野が言っていたが、デチューンにはそれ相応の覚悟が必要なのだそうだ。自分にその覚悟がないことを知ると悔しくはあったが、それでも少し安堵していた。

 一馬はプロの登山家になりたいわけではない。あくまでも登山を楽しみたいのだ。

 仕事も生活の安定も全てを捨てて夢に興じられるほど酔狂でないことを一馬自身がよく知っていた。

 島を散策していくと小学校が見えてきた。体の大きい子供もいる。おそらく中学校も兼ねているのだろう。意外と子供が多くてびっくりした。

 今の時代リモートワークは当たり前だし、それは学業でも同様だ。なら日本中どこに住んでいても成功できる。それならばこんな島に住みたくなるのも頷けた。

 一昔前なら田舎に住むと言うことは様々な不利を背負うことでもあったが、今では逆に都会で暮らす方が生活費が高く付く。

 テクノロジーの進歩はこういった最果ての地にこそ最も恩恵を与えるのだなと一馬は感心していた。都会では信じられないほど広い運動場で遊び回る子供達を見るとしみじみそう思う。

 もちろん体験の種類は違うのだろう。本当の都会で暮らすことと、都会で暮らしているのと同じ情報を得られることは違う。遊びやイベントだってVRなどで疑似体験はできるが、いくら解像度が上がったとしても実際に見るとまた感じ方は変わるはずだ。

 それは山もそうだった。見るのと登るのでは全く違う。だから一馬は熱中した。

 あの自然に包まれる感覚は実際に体験してみないと分からないだろう。頂上まで登ると人の存在がちっぽけに思える。

 一方で疑似体験が若者に人気な理由もよく分かる。楽だし、一端には触れられる。専用のデバイスがあれば物の感触や匂いも分かる時代だ。友達との話題にも事欠かない。

 どちらかが正解でどちらかが間違っているなんてことはないんだろう。それらは別のもので、どちらにも良さがある。

 その差を認められる寛容さこそが今の時代に求められることなのかもしれない。

 正解はあるが、間違いはない。おおよそそんなところだろうと一馬は思った。

 探そう。まずは新しい楽しみを探すことが重要だ。

 手探りでいい。探すということは進んでいるということだ。少しずつ、少しずつ進もう。それこそ登山のように。登る山は違えど登山なら一馬の得意分野だった。

 楽しそうに遊ぶ子供達を眺めていると、一馬は早く家に帰って家族と会いたくなった。


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