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第37話

 半年後。一馬はエベレストにいた。

 現在は地七千百メートルのC3。イエローバンドと呼ばれる急激な坂を登っている。ベースキャンプは遙か下にあり、周囲は一面銀世界だ。空が近く、命の気配はない。

 酸素濃度は普段の三分の一ほど。その中で一馬は一人山を登っていた。周囲には三体のロボットのシェルパが荷物を運び、ドローンのガイドが二機飛んでいる。

 一馬の口には酸素マスクが付けられており、ヘルメットのディスプレイには危険な場所が表示されていた。寒さも暑さも着ている服が調整してくれている。気圧による症状も出ない。歩きにくいはずの傾斜や雪も特注の義足が対応する。

 全てはテクノロジーが克服してくれていた。この装備を全て揃えるのに五億円要した。その全てをクラウドファンディングによって賄っている。報酬は一馬のヘルメットやドローン、ロボットに付けられたカメラからリアルタイムに放送される映像だ。

 娘のためにエベレストに登る父親。この計画がネットニュースで流れるとあっという間に人と金が集まり、半年という速度で実現した。一昔前では信じられない早さだ。

 考えられる完璧な装備で身を包んだ一馬だったが、それでも疲れはある。数値の上では順調そのものだったが、精神的な疲れが酷かった。

 自分如きがエベレストを登っている。そんな登山家としての申し訳なさもある。

 ふと近くの斜面を見てみるとなにかが置いてある。ヘルメットのディスプレイをズームするとそれは死体だった。放送されていた映像は別の景色に切り替わるが、一馬はそれを見てしまった。

 凍った死体はここがどこよりも過酷な場所だと理解させる。

(もし機材にトラブルがあったら……)

 一馬はゾッとした。ドローンは主に配信用なので問題ないがロボットには装備が積んである。ヘルメットや酸素マスクになにかあればたちまち高山病になって動けなくなるだろう。そしてなによりも足だ。

 一馬は自分の両膝に触れた。頑丈な足は今のところ問題ない。一馬は小さく息を吐き、そして再び登り始めた。

 その二歩目だった。危険を知らせるアラームが鳴り響き、一馬の体がガクンと傾く。足下の雪が滑り出したのだ。

 その瞬間、一馬の脳裏に再び死が過ぎった。

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