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第41話


      ○


 運命というものがあるなら松浦芽衣にとって今年こそがその年だった。

 上位陣の不調や故障、そして芽衣自身の好調もあり、世界ランクは52位まで上昇。このまま行けばパラリンピックにも出られる立ち位置にいる。

 だが安泰と言うには程遠い。少しでも気を抜いて負ければすぐにランクは落ちていくし、ランクを維持できたとしても一カ国から出場できる選手には制限がある。

 同時に出られるのは一カ国で四人まで。芽衣よりランクが高い日本人選手は三人いる。それぞれ三位、十位、十八位とレベルが高い。

 つまりパラリンピックまでに見栄がランクを落とすか一人にでも抜かれれば出場することはできないのだ。

 不安定で微妙な立場だがそれでも芽衣にとってはまたとない好機だった。

 年齢的にもラストチャンス。これを逃せば引退の二文字が見えてくる。芽衣がテニスを続けたいと思っても成果がでなければスポンサーがそれを許さないだろう。

 どこまでもシビアな世界なのは芽衣が一番知っている。だからこそ絶対にパラリンピックに出たかった。

 しかし世の中はいつだって思い通りにならない。

 今義手テニス界で話題なのは世界三位の森越ではなく、世界69位の新星、甲斐光子だ。

 一七歳の甲斐はアイドルのような容姿と国内トップクラスの実力を持つ次世代のスターだった。生まれつき左腕がなく、三歳の頃から義手テニスを始めている。

「目標は二つ。四大大会の制覇。そしてパラリンピックで金メダルを取ることでっす」

 若さの持つ輝きと天才の持つ力強さを兼ね備え、甲斐はインタビューにそう答えた。

 芽衣からすれば言いたくても言えない言葉だ。三一歳にもなって一度も大会で優勝したことがない女がそんなことを言えば笑われるだろう。

 そして芽衣自身もそのことを理解していた。

 芽衣には才能があった。プロになり、続けていけているのだ。才能は間違いなくあった。

 だが頂を見るには足りなかった。それはほとんどの人間がそうだろう。

 一握りの人間だけがプロになり、その中の更に一握りがトッププレイヤーとなる。会社員でも芸術家でもそこは変わらない。

 芽衣にはトップになる実力はない。才能もない。誰よりも努力はしたがそれは明確だ。だがパラリンピックに出るために必要なのはトップになる能力ではなかった。

 ランクを高め、守る能力。必要なのはそれだ。

 そして芽衣にとっての分水嶺が一ヶ月後に予定されていた。

 AIの予想によれば勝ち進むと二回戦で甲斐とぶつかる。

 そこで芽衣が負けて甲斐がベスト4にでも残ればランクは逆転。そこからまた芽衣が甲斐の上に行くことはかなり難しいだろう。

 甲斐に勝たなければプロ人生が終わる。芽衣はそれほどプレッシャーを抱えていた。

 続けたい。プロを続けたい。テニスを続けたい。

 だが、今の実力では甲斐に勝てない。見れば分かるし、手を合わせても分かった。

 一度練習相手としてプレイしたことがあるが、あれほど綺麗で強烈なスピンは初めてだった。サーブも早く、ストロークのコントールも抜群だ。少しでも隙を見せれば早くて重いトップスピンが飛んできて体勢が崩される。バックハンドも強力だった。

 つまりあれだけ若いのに完成されていた。完成度で言えば芽衣はおろか、ランク三位の森越をも越える逸材だ。

 今のままでは勝てる相手ではない。だがだからと言って負けていい訳がない。

 そんな悲壮感を胸に芽衣は最果ての島に向かうフェリーに乗っていた。フェリーからは島の周りを漂う観光用のボートが見えた。カップルが仲睦まじく笑い合っている。

 あまりにも芽衣とはかけ離れている世界だ。そう思いながらも島に上陸した。

 すぐにタクシーを拾おうと思ったが、そんなものはこの島にはなかった。仕方なく配車アプリを起動させるが、今の時間は誰も捕まらない。

「なんなの……。この島……」

 芽衣が頼れるのは空野という義肢職人しかいない。連絡を取ると今は手が離せないから十五分後に迎えに行くと言われた。芽衣はその時間を有効活用しようと歩き始めた。

 偶然見つけた小学校にテニスコートが二面あった。中学生もいるらしく、背丈の違う生徒達が練習している。

 上手くはない。むしろ下手だ。こんな島だと実力を高めるのは難しいのだろう。

 上手くなるには環境が必要だ。練習相手。コーチ。AIやロボットによる指導。ここにはそれがない。

 だが楽しそうだった。女の子達がプレイしながら可愛らしく笑っている。おそらく彼女達はプロを目指そうなどと微塵も思ってない。県大会で勝ちたいとも考えてないかもしれない。ただラケットでボールを打つだけで楽しい。そんな感じだった。

 その様子に芽衣は羨ましく思いながらも今の自分はただ楽しくやるだけではいけないのだとも分かっている。

 いくら楽しくても負ければスポンサーが離れていく。人気を獲得するためには好きでもない動画撮影に協力したり、おいしくないプロテインを飲まないといけないのだ。

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