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第43話

 新しい腕はやはり重く感じた。

 数字にすると二百グラム弱だが、違和感がすごい。だがこうでもしないと甲斐に勝てないことを芽衣は知っていた。現状維持でむざむざ負けるくらいなら自分から変わった方がマシだ。その考えが義手の交換という選択をさせた。

「要望通り出力が上がってます。でもその分重くもなってます。普通の電脳義手ならちょっと出力を上げるくらい簡単ですけど、それはAIあってのことですからね。スポーツ用のAIのまま出力を上げるならどうしても重くなります」

「はい。分かってます」

 スポーツ用の義肢に搭載されているAIには厳格な制限が掛けられている。

 電脳義肢が出始めた時、高性能のAIが搭載されたモデルが記録を塗り替え続けた。

 メーカー同士のAI競争が加熱した結果、もはやスポーツではなくAI同士の戦いとなってしまう。それを見た各スポーツの団体がAIの規制を決定した。

 その規制は義肢が本来持つ出力ベースで制定されているため、規制直後はより大きな義肢が好まれた。だが大きくて重い義肢には副作用がある。

 義肢を支えるバイオジョイントが支えきれなくなるのだ。

 元々はそういったことが起こらないようにAIでバランスを取っていた。だががAIが制限されたせいで無理に大きな義肢を付ければバイオジョイントだけでなく、健康な肉体までもがダメージを受けるようになってしまった。

 特に骨や神経系の怪我が多く、競技人生を縮めてしまうことも多々見受けられた。

 なので今の障害者スポーツの風潮としてはプレイヤーの健康を第一に考え、個人個人に適したものを使用するようになっている。

 今回芽衣に付けられた義手はそういった流れに逆らうようなものだった。

 自分の肉体が耐えきれないような義肢は一種のドーピングだと言う人もいる。しかし今のところそこに制限はない。

 そもそも障害には色々な種類があり、同じ義肢は存在しないとさえ言われているからだ。

大きめだろうと小さめだろうと使用者が自分にとってベストだと思えるなら正解である。

 実際バランスが取りやすいからとわざわざ義足を短くしているプレイヤーもいるくらいだ。いくらか重くなったところでさほど問題ではない。

 だがそれは競技としてであり、ファンの目線はまた違う。

 潔癖症のファンはそういった行為を好ましく思わない。スポンサーが付いているなら尚更そういったファンの目線は意識しないといけない。

 だから芽衣はわざわざこんな辺境の島までやってきた。ここなら芽衣のことを知っている人はほとんどいないだろうし、変な噂が立つこともない。

「テニスのことは知りませんけど、正直博打ですよ。使い慣れない手で大会に出るわけですから」

 空野の言うことは尤もだった。付け替えてみて芽衣の不安が大きくなる。

「分かってます。でも基本の構造は同じですし、なんとか間に合わせますこれを付ける前から同じだけ重りを付けてやってましたし」

「なるほど。それなら重さはすぐに慣れるかもしれませんね」

 空野の口ぶりから一番の問題は重さではなく出力、つまりは強さなのだというのが分かる。強くなるということはそれだけ負担も大きくなるからだ。

「意識すれば力が出るようになってます。平均で十五%くらいは上がってますね。だけどその分体には衝撃が伝わります。痛みが出たらすぐにやめてください。下手すればバイオジョイントの再手術です。そうなればどうなるか分かりますね? 一番分かりやすいのは初めて電脳義手を付けた時のことを思い出してください。最適化の時間も合わせると同じように使えるほどになるにはそれなりの時間がかかります。もちろん制限の緩い普段使い用ならそんなこともないですけど」

 既にベテランの域に達している芽衣がまた一から競技を始めるとなれば当然引退しなければならない。芽衣は緊張しながらも「分かってます」と頷いた。

「ラケットを振ってみてもいいですか?」

「もちろん」

 芽衣は持ってきたラケットを取り出し、外に出て振ってみた。

 一振りで違いが分かった。力が増している。

 筋トレも随分やったが、それで得た力よりもこちらの方が遙かに強くなっていた。腕自体が強化されているのだから当たり前ではあるが、これほどとは思わなかった。

 努力もなしに力が手に入る。この不条理を他人が手にすれば不平等だと抗議するが、自分が手にした時に逆らうことができる人間が一体どれだけいるだろうか。

 芽衣は思わず苦笑する。

「……選手生命を削ってでも変える人の気持ちが分かった気がします。ドーピングとかもきっとそうなんでしょうね」

「聞かなかったことにしておきます」

 空野は肩をすくめ、黒瀬はテイルの耳を塞いだ。空野が芽衣に尋ねる。

「たしか大会だとAIのチェックを厳密にされても義手のチェックは軽くで済むんですよね? このことを他に知ってる人は?」

「コーチだけです。覚悟があるなら仕方がないと認めてくれてます」

「それはよかった。結構あるみたいですからね。周りに知らせず重症化してしまうことが。バレるのが怖くて医者にさせ診せないなんてことも。はっきり言いますけどやめてください。俺はただでさえ装具士の間での評判が悪いんです。これ以上評判が悪くなると客も減るし、メンテナンスのために提携してくれてる人達にも迷惑がかかる」

「……分かってます」

「頼みますよ」

 ぎこちない返事をする芽衣を見て空野は嘆息した。すると黒瀬が念を押す。

「本当にお願いします。最近家計がピンチなんです。ここのローンとか機材のレンタル費とかあたしの奨学金とか色々あって。だからお願いしますよ?」

「わ、分かってますよ。誰にも言いません……」

「ならいいですけど。ほら。テイルも痩せてきちゃってますから。最近はもっぱらネズミが主食ですからね。畑を守ってくれるし一石二鳥なんですけど、これ以上いくと野生化しそうで怖いんです。目がギラついてるでしょ?」

 テイルの目は確かにキリッとしていた。だが人に抱かれている時点でまだまだ家猫だ。

 芽衣は苦笑して誰にも口外しないことを約束した。そもそも言えるわけがない。

 だが友人や練習相手からバレるケースもある。悪いことをしているわけではないので捕まりはしないが、やはり白い目で見られることはたしかだ。

 そろそろハード面の規定もできそうな雰囲気だった。だができるとしてもパラリンピック後だろう。そういう意味でも今回が芽衣にとってのラストチャンスだ。

 今回のパラリンピックに出られなければ芽衣はなんのために義手テニスを始めたのか分からない。出場のためにはたとえそれがグレーゾーンであってもやるべきだ。

 正々堂々や武士道などというのは勝てる人間が選ぶ道で、勝てない人間が選べば天才達に轢き殺されるだけである。

 芽衣はそのことを十二分に知っていた。それこそこの十年身をもって理解してきた。

 最後ぐらい欲を出さなければ後悔する。芽衣がかけてほしい言葉は『がんばった』ではなく『よくやった』なのだ。

 芽衣はもう一度ラケットを振ってみた。風を裂く音が違う。

 これを使えば勝てる。そんな高揚感は筋肉の張りから生じる違和感を掻き消した。

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