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第44話

 テニス選手の仕事を簡単に説明すれば大会に出ることだ。

 世界中で行われる大会。そこで手に入るポイントを集めてランクを上げる。ランクを上げれば出られる大会がグレードアップする。大会が大きくなればポイントも賞金も増える。

 芽衣はある種の賞金稼ぎのような生活をもう七年も続けていた。

 本場はアメリカとヨーロッパ。最近だとアジアも熱い。それとオーストラリアだろう。

 日本は競技人口は多いが大きな大会が少ないため、選手は大会を求めて海外に出て行く傾向が強い。

 芽衣も日本人選手が多いアメリカのテニス施設を拠点にしていた。ここはレベルが高く、世界を取った選手も多数輩出している。

 日本では考えられないほどたくさんのコートが並んでおり、トレーニングジムやデータ分析のための施設も充実していた。トップクラスのコーチも多い中、芽衣は実業団時代から関係がある田川洋樹を雇っている。

 田川は選手の大型化が進む昨今では小柄な百七十五センチ。男子にしてはあまりパワーがなかった。一時期はプロを目指していたが才能の壁に阻まれて断念。そこで芽衣の誘いを受け、コーチとしての道を歩み出した。

 芽衣の練習相手にもなってくれている田川はボールを受けて驚いていた。

「こんなに変わるんだな……」

 田川は複雑そうな笑みを浮かべる。芽衣も気持ちはよく分かった。

 海外選手のパワーが急に手に入ったようだ。パワーとスピードでゴリゴリと押してくる外国人選手と戦うため、芽衣はコントロールや試合の組み立て、スタミナなど防御面で対抗してきた。

 だが元からこのパワーがあればそんな選択肢は採らなかっただろう。改めて才能というものは残酷なんだと理解させられる。

「痛みはないのか?」

 田川は心配そうに尋ねた。

「今のところはね。多少張りは出るけど大したことないわ」

「だとしてもルールは決めておこう。全部の打球が強くなればさすがに怪しまれる」

「出力を上げるのはサーブとストロークの時だけ。サーブもセカンドサーブだけにするし、ストロークも勝負所に限定するつもり」

「そうだな。そうしてかないと試合に勝ててもトーナメントじゃ保たない。勝てる相手とする時はなるべくパワーを温存しよう」

 芽衣は頷いた。ここ一番の時に使う。最初からそのつもりだ。

 芽衣が田川と話していると一人のアジア人が近づいてきた。ここには日本人もたくさんいる。みんな仲間でありライバルだ。変な噂を立てられないように警戒しないといけない。少なくともパラリンピックまでは。

「松浦さん! 久しぶりです。デ杯以来ですね」

 元気に名前を呼ばれて芽衣は驚いた。そこにいたのは甲斐光子だった。

「どうしたの?」

「次の大会アメリカなんでここで調整中です。いやー。日本人が多くて助かりますよ。ヨーロッパだとスバルちゃんくらいしかいないし。あたし人見知りなんで」

 スバルとは世界ランク十八位に牧田昴のことだ。牧田もまた若くまだ二一歳だった。

 芽衣は内心人見知りがこんな風に声を掛けられるわけがないだろうと思いながらも笑顔を絶やさなかった。

 日本人の世界ランカーでは芽衣が最年長だ。常に大人の対応をしなければならない。

「そう。私もさっき日本から戻ってきたばかりなの」

「あ。そうなんですね。じゃあ同じ便だったかも。早くなったって言ってもカリフォルニアまで五時間もかかるのは疲れました。去年のウィンブルドン見てたから結構早く感じましたけど。いやあ森越さんおしかったなあ」

 世界三位の森越は去年のウィンブルドンの決勝でフルセットの末負けている。

 だがそこから一気にランクが上がり、今では日本のエースだ。そしてその森越が直近で負けているのが目の前の甲斐だった。

「どこで泊まってるの?」

「そこのホテルです。マネージャーが取ってくれて」

 ここらにあるのは割と高めのホテルばかりだ。そんなところに一七歳で泊まっている。

 そもそもマネージャーがいることがすごい。ほとんどのプロはそんな人材を雇う資金がない。なので大会に出る時も自分で申し込んでホテルも自分で確保する。

 芽衣も五年前まで全て自分がやっていた。今でこそ田川が代わりにしてくれるが、雑務のせいでテニスの時間が取れないことは苦痛だった。

 それも全て世界でトップ百になってから変わった。

 芽衣が苦しんでようやく得た世界ランク。それを甲斐はいとも容易く手に入れている。

 芽衣の中に嫉妬の炎がチリチリと燃えていた。だが同時に可愛い後輩でもある。

「そう。じゃあ食事に誘わなくてもいいわね」

「いやいや。全然行きますよ。むしろ嬉しいです。松浦さんはあたしの憧れですから」

「いいわよ。無理に褒めなくても」

「ほんとですって。だって森越さんも向井さんも大きいし、スバルちゃんはハーフだし、みんなすごいけど参考にならないじゃないですか。でも松浦さんはあたしと体型近いですから困った時はよく動画見てたんですよ。バックの打ち合いとかめっちゃ我慢してやってるし、すごいなあって。あたしはすぐに決めようとしてネットかかっちゃうんで」

 芽衣は怪しんでいるが隣の田川は笑っていた。

「よく見てくれてるじゃないか。光栄だな」

「予習でもしてたんじゃないの?」

 甲斐は苦笑して「そんなことないですって」と食い下がる。

 芽衣は肩をすくめて田川に言った。

「今日は三人分必要なみたいね。せっかくアメリカに来たんだしステーキでも焼きましょうか」

 それを聞いて甲斐は顔を明るくした。

「ほんとですか? うわー。嬉しいなー。あたしお肉大好きです!」

 甲斐は本気でそう思ってるし言っている。それが芽衣にはひしひしと伝わった。

 素直で良い子なのは誰もが知っている。若くて才能もあり、人当たりも良い。なにしろ可愛かった。こういう子が時代を変え、世界に受け入れられるのかもしれない。

 だがだからと言って芽衣もみすみす夢を諦めるわけにはいかない。積み上げてきたプライドがそれを許さなかった。

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