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第50話

「うわー……」

 翌日。芽衣のアパートにやってきた黒瀬杏は寝室で痛々しい声をあげた。

 芽衣の服を脱がせるとバイオジョイントと肉体の中間が赤く腫れている。

 バイオジョイントはその性質上痛みがほとんどないようにできているが、それと繋がっている肉体は別だ。少しの異常も違和感になる。そのおかげで人は肉体の異変にいち早く気付けるのだが、今はその機能が邪魔に感じた。

「見かけより痛くはないんです。やっぱり強く振りすぎてるのが問題なんでしょうか?」

「多分そうだと思います。簡単に言えば競技用のAIってお馬鹿なんです。だから加減ができないんですよ。ある程度最適化はできてると思うんですけど、それは義手にとっての最適化で肉体にとっての最適じゃない。まあ肉体にまで最適化しちゃったら義手が体を動かしちゃうんだからスポーツにならないんですが」

 AIの進化は目覚ましい。もしリミッターを掛けなければ少しの経験さえあれば初心者がトッププロに勝ってしまう競技も多いくらいだ。

「どうにかならないかしら?」

「出力を下げれば問題は解決します。でもそれじゃあダメなんですよね?」

「……できるなら」

 懇願するような目をする芽衣を見て黒瀬は少し悩み、頷いた。

「分かりました。やってみます。選手データはありますよね? それを貸してください」

 それを聞いて田川は眉をひそめる。

「選手データって。そんなのが流出したらそれこそ選手として終わりだ」

「渡すわ」

「芽衣っ!?」

「分かって。どちらにせよこの問題を解決しないと先はないの」

 芽衣の目には決意が込められていた。こうなるともう言うことは聞かない。それを知っていた田川は大きく嘆息して黒瀬にデータを提出した。

 黒瀬はそれを分析用のAIに読ませる。結果は一秒も掛からず出た。

「出ました。負担が大きいのはサーブとフォアストロークみたいですね。えっとフォアってことは……」

「利き腕の方ね。やっぱり」

「逆にバックハンドは負担が少ないですね。両手で打つからかな? つまりバックハンドならある程度強く打っても大丈夫です。逆にサーブとフォアストロークを打つ時はセーブしましょう」

 合理的な説明だった。だがそれでは勝てないことを芽衣は知っていた。

「……フォアはまだしもサーブはどうにかならない?」

「えっと、でもサーブが一番負担が大きいですよ。特にファーストサーブが」

「でも大事なのよ。テニスにとって一番大切と言ってもいいわ。サーブが弱い選手は世界じゃ勝てない」

「……そう言われても」

 黒瀬は困っていた。助けを求めるように田川を見つめる。

 田川は伏し目がちに肩をすくめた。

「じゃあこうしよう。一試合に三度までだ。つまり一セットに付き一本」

「それじゃあ少なすぎるわ」

 芽衣は抗議するが田川は退かない。

「速いサーブの使い方はポイントを取るためだけじゃない。相手からすれば選択肢が多いほど対応が遅れる。それを利用して試合を組み立てろ。君ならそれができるだろ?」

 それは芽衣が今までしてきたテニスだった。芽衣は不服そうだが、渋々と頷いた。

「……分かったわ。それで調整してちょうだい」

「了解です」

 芽衣はスマートデバイスを操作してAIのアルゴリズムを組み替える。本来ならオンラインでできることだが、競技用義手はドーピング禁止のためにオフラインでしかアップデートできない。その昔、試合中にいきなり強くして試合後に元に戻す選手がいたためだ。

 アップデートは全てログに残り、試合前に提出する。出力を上げる場面を限定すること自体はあまり珍しいことではないため、そこから義手の改造がバレることはないだろう。

 アップデートはすぐに終わり、芽衣の腕の調整は終わった。芽衣は自分の手を見つめ、握ったり開いたりしてみる。当たり前だがなにも変わらない。

「悪いけどもう少しこっちにいられない? もしまた調整が必要になったら呼びたいの。お金なら払うわ」

「あ。それなら大丈夫です。せっかくアメリカに来たんだし、旅費もそっち持ちなんでついでに観光するつもりで来ましたから」

「……そう」

「はい。でっかいハンバーガー食べてきます。あと夢の国とか行きたいです。普段島から出ないんで遊べる時に遊んどかないと」

 黒瀬は気合いを入れて両手の拳を握る。アメリカにいるならすぐに呼べるだろう。そう思った芽衣は少し気が楽になった。

 そして再び自分の腕を見つめる。一体いつまでこの腕に振り回されるのだろうか。そのことを煩わしく思いながらも、長く続くほど幸せでもあった。

 だが、終わりは確実に近づいてきている。その実感が芽衣にはあった。

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