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第52話

 その夜。芽衣は黒瀬をアパートに招いた。

 一日野に放っただけで黒瀬の服装はカウボーイに変わっている。

「あたし、形から入るタイプなんで」

「……そう。入って。カウガールさん」

「イエッサー」

 黒瀬は出迎えた田川に紙袋を渡す。

「これ、お土産のチョコレートです。一個食べたんですけど舌が溶けそうなほど甘いんでよければですけど。甘いチョコの中に更に激甘のチョコが入ってます。いらない場合はテイルが食べます」

「あはは。じゃあ施設の若い子にでもあげるかな」

 田川はチョコを受け取り、テイルの命は守られた。

 田川が作った夕飯を振る舞うと黒瀬はご機嫌になった。とろんとした目にデジャブを感じながら今度は芽衣から尋ねてみた。

「あなたとあの小さな先生ってどんな関係なの?」

 黒瀬は少し恥ずかしそうに前髪を弄くる。

「関係……ですか……」黒瀬は複雑そうに目を瞑った。「う~ん。あたしが思ってるのと先生が思ってるのじゃ違うだろうってのが複雑ですね~」

「あら。てっきりそういう仲だと思ってたわ。あの人ってロリコンじゃないの?」

「ロリコンだったらよかったんですけどね」

 黒瀬が真面目にそう言うので田川は苦笑していた。

「出会うのが早すぎたんですよ。あの時あたしはまだ十歳だったし、先生からすれば親戚の女の子ぐらいの感覚だと思います」

「なるほど。そんなのだと手は出しにくいわね。よっぽどのロリコンじゃない限りは」

「矯正はしたつもりだったんですけどね。残念ながら色気が足りなくて……」

 黒瀬は悔しそうに自分の体を抱いた。たしかにこうして見るとどこもかしこも痩せている。おまけに手足は金属製だ。

 芽衣は共感しながら自分の右手を見つめた。

「難しいわよね。色々と。やっぱりこれは生身に見えても生身じゃないから」

「そうですね。だけど大事なのは関係性の名前じゃないとも思ってます。なんだかんだで幸せですよ。好きな人の側にいるって」

 黒瀬は可愛らしくはにかみ、それを見て芽衣は微笑んだ。

「そうかもね」

 それを聞いて田川が「え?」と声を出す。芽衣は眉をひそめた。

「なによ?」

「いや、お前がそれを言うのかよって言うか。まあ、べつにいいけど……:」

 田川は腕を組んで腑に落ちなさそうにする。芽衣は口を尖らせた。

「女としての話をしてるの。入ってこないで」

「はいはい」

 田川は呆れながらキッチンに戻っていった。

 芽衣はその背中を見送ったあとに頬杖を付いて黒瀬を眺めた。

「でもいいわね。恋をしてるって」

「松浦さんはしてないんですか?」

 黒瀬は小首を傾げる。芽衣は少し照れながら部屋の側にあるラケットを見つめた。

「私の恋は全部テニスに捧げたわ」

「はえー。なるほど。だからここまで強くなれたんですね。あれ? じゃあやめたあとはどうするんですか?」

 芽衣は質問にキョトンとした。しばらく沈黙して自分の中に答えを探す。

 だが結局最後まで見つからなかった。ずっと今だけを見てきた。毎年ツアーを周り、それが終われば翌年のために体を作る。常にテニスを中心に生きてきた。

 しかしどんな名選手でも終わりはやってくる。

(引退したら、どうやって生きればいいのかしら?)

 その考え自体が寂しいものだった。だが避けられないことでもある。

 芽衣はしばらく考え、そして田川の背中を見つけた。顔がほんのり赤くなった。

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