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第70話

 新設された部署は本当に少数精鋭で、その結果本職以外の業務もこなさなければならなくなった。

 営業はともかくマーケティングはAIが得意とする統計学の領域なのだが、如何せん元となるデータがなかった。なので提携している病院とコンタクトを取り、電脳義肢が必要だが手に入らない人達にアンケートを実施した。

 そのおかげで求めている価格帯や性能などの中央値が弾き出されたが、空野はこれでは本当のニーズを掘り起こせないと提言し、自ら病院へと向かう許可を得る。

 あまり積極的な行動を見せなかった空野だが、この部署に異動してからは別人のように仕事をこなし、AIに指摘されるほど残業を続けていた。

 空野が向かったのは会社の近くにある総合病院だ。前もってアポイントを取っておいた人達から要望を聞き取っていく。右の手首のない老人はう~んと唸った。

「値段がやっぱり高いからねえ。七百万だっけ? そんなに払えないよ」

「いくらなら買おうと思いますか?」

「そうだねえ。三百万くらいかなあ。それか低金利のローンを組めるようにしてよ」

「一応そういうプランがあるんですけどね」

「そうなの? 知らなかったなあ。でもこの歳でしょ? 今からローン組んでも長すぎると払えないよ。やっぱり元本減らしてもらわないと」

 金額を告げる人もいれば性能に不満がある人もいる。糖尿病で片足を失った中年の女性はムッとしていた。

「極端なのよねえ。いいなと思ったら高すぎるし、一番安いのでも高いのに機能が限定されたりしてて。あとAI。あれが怖いわよね」

「怖いと言うと?」

「ハッキングされたり、誤作動を起こしたり、そういうこともあるわけでしょ?」

「ないとは言い切れませんが、おそらく装着しても一度あるかどうかだと思います。それこそ過去に起きた誤作動はサーバーに送られて共有化されますから」

「難しいことはよく分からないけど、やっぱりAIになんでもかんでも任せるのはねえ」

 値段や機能、プライバシーの問題はこの後の企業間競争や戦争関連以外の保険適応により解決されていくが、この頃の電脳義肢はまだ不完全なものだった。だからこそそんなものを体に装着するのはイヤだという層が一定数いる。

「ありがとうございました」

 空野は礼を言い、その場を後にした。やはり実際に会って話を聞くのとAIが導き出したデータを読むのでは感じるものがまるで違う。全ての意見を取り入れられるわけではないが、今回の聞き取りは今後に活かせるだろう。

 空野は喜びながら病院の廊下を曲がり、そして戻ってきた。

 一人の少女が見えた気がした。電脳車いすに乗った少女だ。少なくとも足がなかったように思える。

 空野はスマートデバイスを取り出してデータを精査した。だが今回のアンケートにあんな子は参加していない。

 本来ならどうでもいいかと切り捨てられる存在だった。だが空野の中の何かがそれを許さなかった。

 今彼女を追わないと自分は一生この道を選んだ理由を知り得ない。

 直感だったが空野はそう思った。気付いた時には足が動き、先ほどの少女を探していた。

 廊下には見つからず、空野は近くを動く古い円筒型のロボットに尋ねてみた。

「車いすの少女を見なかったか? 足がない子だ」

「面会デスカ? ソウデナイ場合ハプライバシーノ関係カラ申シ上ゲラレマセン」

「面会だよ」

「照会ガ終ワリマシタ。残念ナガラ彼女ニ面会予定ハアリマセン」

「ああ、えっと。面会と言うか調査だ。電脳義肢についての聞き取りをしている。彼女にも聞く予定だったけどこちらの事情でキャンセルしていた。だけど時間が空いたのでまた聞きたいと思ってる」

「病院ノログニソノヨウナ記載ハアリマセンガ?」

「今決まったからな。いいから教えろよ」

「…………分カリマシタ。アナタガ電脳義肢装具士トイウノハ確カナヨウナノデ、ソコカラ推察シタ結果、信憑性ガ高イト判断シマシタ。コチラヘドウゾ」

「お前ら旧式は本当に面倒くさいな」

「ヨク言ワレマス。デスガ最新ノAIハナニブン高価デスカラ入レ替エガデキマセン。予算ガナイセイデ不便ガ生マレマスガ、同時ニ私達ハ廃棄サレズニ済ミマス」

「なるほど。不便さも悪くないってことか」

「私ヲ好キナ人々ニトッテハデスガ。コノ部屋デス。アナタガ嘘ヲツイテ患者ヲ襲オウトシタ場合ハセンサーガ反応スルノデオ気ヲツケクダサイ」

「するかよ」

 そんなやりとりを終えて空野は病室へと入って行った。

 部屋の中は白を基調とした簡素なものだ。そこを少し進むと窓際に車いすの少女が静かに存在していた。空野に背を向け、空を見つめ続ける。

 その目はどこまでも空虚で景色からなにも読み取ってなかった。

 空野はこの少女からなにも感じられなかった。ただ悲しさだけが佇んでいる。

「……こんにちは」

 沈黙を破り、空野が少女の背中越しに挨拶をする。だが少女からの反応はない。

 空野はベッドの近くに掛かっていた名札から少女の名前を知り、ゆっくりと隣に並んだ。

「黒瀬杏さん。自分は義肢装具士をしてる空野と言います。今ちょうどモニタリングをしていて、君の意見が聞きたいと思ってるんだ。いいかな?」

 優しく語りかける空野だが、黒瀬は答えない。まるで中身のない器のように静かだ。目の前にいるのに本当はいないのではないかとすら思える存在感の薄さだった。

 黒瀬には目に映る景色以外なにも見えてなかった。今も未来もそこにはない。その姿を見て空野は真の絶望とは先がないことなのだと思った気がした。

 沈黙の中、空野は静かに息を吐き、そしてまた微笑んだ。

「また来るよ。よければその時に話を聞かせてほしい。俺は君の味方だから」

 空野はそう言うと部屋から出て行った。

 外に出ると先ほどのロボットが待機していた。それを見て空野は眉をひそめる。

「疑い深い奴だな」

「患者サンノ安全ヲ確保スルコトモ私ノ使命デスカラ」

「ならあの子のために教えてくれ。なんであの子はこうなった?」

「プライバシーノ関係上、ソレハ教エラレマセン」

「だろうな」と空野は嘆息し、廊下を行こうとした。

「……デスガ、彼女ガ望ンデイルコトハ分カリマス」

 空野は足を止め、「望んでいること?」と尋ねた。ロボットは頭を前に揺らして頷くような仕草を取り、そして言った。

「彼女ハコノ世界カラアンインストールサレタイト望ンデイマス」

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