「辞令ってこと…?」
「うん…ニューヨークに1年。…調子に乗って、いい仕事しすぎたぜ」
明け方。
半袖で眠っていたら、寒くなって目が覚めた。
ベランダを覗くと、嶽丸は気持ちよさそうに寝ていたから、もう少し放置しようと思ったんだけど。
わずかな物音で目を覚ましたので、話を聞くため中に入れてやった。
もちろん再度の土下座をさせてから。
「…それであんな言い方したんだ…」
「ごめんね。ほんっとに。ちょっとだけ脅かすつもりだったんだよ?…そしたらあんまり可愛い反応するから、加虐心が疼いちゃって…」
プイっと横を向いてやった。
でも…海外に転勤なんて、ショックなことに変わりはない。
「…離れて暮らすの?」
遠恋…ってこと?
「ん…離したくないけどさ…でも向こうに美亜を連れてったら、それはそれで心配で、仕事が手につかないからな」
きっとすごく悩んだんだろうな。
私を連れて行く、行かない。
そもそもニューヨーク行きを受ける、受けない。
「俺なりに今後を考えて。やっぱりKazamiを辞めるのは今じゃないって結論。まずは安定したいし、給料もあげたい。…なんでかわかる?」
「わかるよ…そりゃ…わ、私のため?」
「…違う。俺が遊びたいから!」
…ニカッと笑う嶽丸の頬をもう一度つねったのは言うまでもない。
……………………………………
「…もちろん美亜との結婚のために決まってるじゃん!…多分すぐ子供はできるし、それが双子とか三つ子でもいいように、今のうちに給料爆上げしときたいわけよ」
慌てて真剣な顔で話し始めたけど…
私はぷぅっと膨れたまま。
ふざけてばっかり…
大事な話をしてるのに…
「そもそもプロポーズされたっけ?私、OKしたっけ?」
「いやいやいや…美亜ちゃん何言ってんの?俺のこと大好きなくせに…!」
「…大好きなんて言ったっけ?
だいたい、ニューヨークに1年も行っちゃうの、待ってるなんてひとことも言ってないよ?」
「…っ!」
今度は嶽丸が焦る番ー…。
「惚れた弱みしかない俺をいじめて楽しい?」
「…今日バイトだから」
ツン…として、ソファから立ち上がった私は、シャワーを浴びにバスルームへ向かった。
追いかけてくるかな…と思った嶽丸は、ソファに座ったまま。
なによ…今さら真剣な顔して。
嶽丸がふざけるから…!
……………………………………
「そんな話してたなら、来なくてもよかったのに!」
慎吾先輩と宏樹さんの美容室。
今日は前から約束していたバイトの日だ。
「…いいんです。嶽丸、ふざけてばっかで、私の気持ちもてあそんで…」
「えー…あの彼そんな人じゃないでしょ?」
意外な見方をしていたらしい慎吾先輩を、私はふと…見上げてしまった。
嶽丸を見て、ほとんどの人は「チャラい」とか「遊んでそう」と言う。
お酒の席だったりすると、もっとひどくて「喋っただけで妊娠しそう」なんて言う人もいたっけ。
見た目のカッコよさとダルそうな雰囲気、目つきとか口元のセクシーさでそんなふうに思われることは、私も納得。
「意外と…嶽丸くんの方がずっと寂しくて不安なのかもよ?美亜と離れること」
「えー…」
だったら、一緒に来いって言ってくれたらいいのに。
慎吾先輩は、口を尖らせた私の考えたことなんか、お見通しみたいに言う。
「美亜、せっかくご両親と気持ちが通じたところだろ?嶽丸くん、そういうことも考えてると思うよ」
「え?…」
確かに。
嶽丸のおかげで数年ぶりに3人揃って顔を合わせることができて…それ以来父が、定期的に食事会を開いてくれるようになっていた。
「そう…ですね。
今、私が海外に行くなんて言ったら…お父さんとお母さん2人だけで…会いづらくなっちゃうかな…」
いろんな気持ちのかけ違いがあった両親だから、今はまだ私がいてあげたほうがいい気がする。
いわゆる「子はかすがい」ってやつだ。
「嶽丸くんは、これから美亜と生きていくために、あらゆる方向から物事を考えてるんだと思う。…だから、あんまり意地悪するなよ?」
私の頭をポンと撫でて、慎吾先輩は来店したお客様の対応に行ってしまった。
私もお茶を飲んでお店に行こうと、バックに入れてきた水筒を探した。
先に手が触れたのは、ピンク色のスープジャー。
「スープ…いつの間に作ったんだろ…」
開けて一口飲んでみる。
それはとても美味しいコンソメスープ。
嶽丸、私がシャワーを浴びてる間に、凍らせてストックしてあるスープで作ってくれたんだ。
美容師という仕事柄、決まった時間に食事がとれない私を、嶽丸はいつもとても心配していた。
「パンもおにぎりも食べられないとしても、スープくらい飲めるだろ?」
前回、慎吾先輩のところに手伝いに行くときにも持たせてくれたのを思い出した。
嶽丸…いつも私のこと心配して…。
「それなのに、離れなきゃいけないの…?」
不意に涙があふれて、私は店に出て行けなくなった。
…………………………………
美容室の営業が終わり、宏樹さんが焼いたというミートパイをお土産にもらって外に出た。
「お疲れちゃん」
グレーのパーカーを着て、車に寄りかかってる嶽丸…
「疲れたろ?…電車で帰って来るの大変だろうから、来てやった」
「…もうぅぅ…!」
…やっぱり大好き…
朝、拗ねたまま出かけたのを忘れて、背伸びして抱きついてしまった。
「少しは、機嫌直していただけましたかねぇ?俺の愛する美亜さん?」
コクン…と頷き、目線を上げれば、整った笑顔が近づいてきて、柔らかい唇が私のそれを迎えに来た。
「来週末、予定空けといて」
耳元で低い声で言われてキスを落とされ、くすぐったくて首を傾げれば、唇が首筋に移って…
「やば。止まんねぇわ」
唇を離して抱きしめられて…とっさにその顔を見上げたけど、予定を空ける理由は教えてくれない。
「…返事は?」
「うん…わかった」
「よろしい…!」
再び口づけられ、ようやく車に乗り込んだ。
結局私は、嶽丸の甘い笑顔に弱い…