──試合が始まる。俺たちの一回戦は練習試合でも戦った高校だった。この二か月で稽古を積んできたかもしれないが、俺たちは確実にそれ以上の稽古を積んできた。
「さぁ、行くぞ。オーダーは先鋒・獅子堂、中堅・雅坂、大将・水瀬だ。まずは獅子堂でチームに勢いをもたらす。雅坂は難しく考えなくていい。水瀬は大黒柱として支えてやれ」
三人がハッキリと返事をする。目に怯えや不安はなさそうだ。
「よし、行ってこい!」
三人の背中をそれぞれ叩いて見送ると、
「霧崎先生、こんにちは。試合に間に合いましたか?」
背後から声を掛けられた。振り向くとそこにはいつものスーツを着た狐島教頭がいた。
「おお、お疲れ様です狐島教頭、来てくれたんですか。これから第一回戦ですよ」
良かった、と胸を撫で下ろし、
「お客様を迎えに行っていたんです」
狐島教頭が手で示した先には、見覚えのある柔らかい髪の女性が。獅子堂の母だ。
「あっ……これはこれは。どうも、お越しになられてたんですね」
「はい。こんにちは。娘がいつもお世話になっております」
深々と頭を下げる獅子堂母。白のワンピースに茶色のベルト。相変わらず綺麗な人だ。
「お聞きしました。その……娘とあなたが、クビになるかもしれないと」
「ああ……いらぬ心労を掛けて申し訳ございません」
「謝らないでください。むしろこちらが謝らなければならない立場なのです。それに私は……霧崎先生に感謝してもし切れないんですから」
何かを思い出したのか、獅子堂母が鼻を啜りながら目元を擦る。
「……また、娘の剣道をしている姿が見られるとは思いませんでした」
「僕は何もしていません。ただ、愛奈さんが自分で立ち上がっただけだ」
「ご謙遜を。ある日から娘が嬉々として学校でのことを話すようになりました。内容は主にあなたのことです。ヒゲの先生が世話を焼いてくる、と。口はぶっきらぼうでしたが、私には分かります。あの子は心の底から喜んでいました」
「ははは、素直じゃないですね、アイツは」
先鋒の獅子堂を残し、雅坂と水瀬が戻ってくる。水瀬は獅子堂の母と面識があるのか、背の低い柵で仕切られた観客席の獅子堂母を見つけて驚いていた。
獅子堂が試合場に入る。礼をし、竹刀を抜いて蹲踞。
「愛奈が……剣道を」
「はい。しかし、まだ……始まってすらいないんです。今日という試練を乗り越えて、初めて獅子堂 愛奈の剣道の、新しい章が始まるんです」
だから、俺は。
「見ていてください。彼女の剣道はここから始まる。絶対に──終わらせない」
おまえを、おまえたちを優勝へ導く。
審判が息を吸う。
「さぁ、試合が始まりますよ」
始め、と審判の声。獅子堂が気を充実させながら上段を取った。
跳び込む。女子にしては規格外の間合いからの一撃。
相手の防御が間に合うはずもない。
俺たちの戦いの狼煙は、獅子堂の堂々たる打突によって上げられた。
行くぞ、決勝まで。そして柊を倒し、過去の清算を果たす。
そして、俺たちの新しい剣道の第一歩を踏み出すんだ。
獅子堂の作り出した勢いをそのままに、破竹の勢いでトーナメントを勝ち上がる。やはり背負っているものが違うからか、他の高校よりも高いモチベーションを保つことができているらしい。雅坂が負けることもあったが、獅子堂と水瀬が取り返すため不安もなく勝ち進んだ。
柊のいる桜井高校も同じのようだ。全て二本勝ち、無傷で駆け上がってくる。
「センセ、準決のオーダー、どうするんだよ」
「ああ、そうだな」
横にいた獅子堂から膝蹴りを受けながら、俺は自分のするべきことに意識を向けた。
試合ごとにオーダー……つまり、試合順を提出する。
一試合目は今日初の試合ということで勢いをもたらすために獅子堂を先鋒にした。それ以降は雅坂を先鋒にし、負けても獅子堂と水瀬が取り返す形で勝ち上がってきた。
……今回もそれで行くか。ただし、雅坂が負け、水瀬が引き分けだとしても取り返せるように、獅子堂を大将にしよう。
「そういやぁおまえ、お母さんに挨拶したのか?」
「あー……いやほら。家族なんだし、いつでも挨拶できるっていうか」
「照れてんじゃねぇよ思春期か」
「思春期ド真ん中だわバカタレェ」
ケツに膝蹴りを入れられる。ったく、家族は大事にしろよ。
「おまえが剣道している姿がまた見れて嬉しい、って感激してたぞ」
「……ああ、そうだろうな。アタシがまた剣道やるって言ったら、泣いてたから」
「そうか」
「お母さんに散々迷惑をかけた。ずっと心配かけた。だから、ここで優勝して、もう大丈夫だって姿を見せて安心させたい」
そうやって胸に手を当てる獅子堂の横顔は、これまでに見た度の顔よりも美しくて。
「だからさぁ、それも負けられねぇ理由なんだよな……って何見てんだよ」
しかし、俺の視線に気づいたとたんにいつもの睨み顔に変わってしまう。もったいない。
「いやぁ、おまえ普段からそんな風に素直なら可愛いのによ」
「可愛っ……は、はぁ!? 何言ってんだ、ぶんなぐんぞ!」
顔を真っ赤にして例のごとく胸倉を掴んでくる獅子堂。
「どした? いつもの啖呵に覇気がねぇな」
「う、うるせぇ! うるせぇうるせぇ! 前から思ってたけどセンセやっぱムカつく!」
「あれ、今気付いたけどおっさんじゃなくていつの間にかセンセになってね」
「あ、う……うううるせぇおっさん! ヒゲ剃ってから出直して来やがれ!」
あ、おっさんに戻った。
「いやぁ……意外と生徒ウケがいいからこのままにしようかなって」
「アタシは剃ってほしいね! だって邪魔じゃん!」
「は? 何の?」
「何って、そりゃキ──……」
き? なんだ? しかし、獅子堂は顔を爆発寸前の爆弾のように真っ赤にし、「あ」だの「が」だの一人で悶えている。
「おいどうした」
「……んんんんるせぇええええええええええええ!」
なんで殴んだよ! ってか学校ならまだしもここ他の学校の目もあるから! やめて!