「──ボクはおまえが大嫌いだよ、志保」
夏の雨が神社に降り注ぐ。夕立という風物詩。生温い雫は涙の温度を連想させた。
土は泥となり、水たまりには波紋が無造作に広がっていく。
視界の端の狛犬は長年の雨で脳天が剥げていた。
この場にいる誰もが傘も差さず、全身で雨を浴びる。
一切不満の声が聞こえなかったのは、俺たちの視線の先にいる二人の涙を、少しでも隠してやろうとする気遣いか。
いいや、きっと違うだろう。
自分たちも涙を流したかったのだ。
だから代わりに、雨で頬を濡らしたかったのだ。
俺たちでは止めることのできないこの喧嘩を、見届けなければならないから。
「ワタクシはあなたのことが大好きですわ」
雅坂が竹刀を抜く。体を守る防具も無しに。
「だからワタクシは、またあなたに剣を握ってほしいのです」
「うるさいんだよ。何もかもを持っているクセに、なんでよりによって選んだのが剣道なんだ」
「あなたの世界を、あなたの見ていた景色を、ワタクシも知りたかったから」
雅坂が構える。初心者なりに懸命に稽古を重ねてきたが、まだ垢抜けていない中段で。
この場において、どちらが強いかは重要ではない。
嫉妬と憎悪。
憧れと尊敬。
ただ、感情をぶつけ合うだけ。
だから、この喧嘩に、俺たちが首を突っ込んではいけないのだ。
とことんまでやればいい。血を流そうが、涙を流そうが、どこまでも。
俺たちに止める権利はない。俺たちは──ただ、見届けることしか、許されない。
頬の内側に奥歯がめり込み、鈍い痛みが走る。
いつ味わっても慣れない、苦々しい鉄臭い味──。
「センセ、分かってるよな」
拳を握り締め、獅子堂が俺の傍に立つ。
震えるくらいに強く握りしめられた拳からは雨とは違う、赤みを帯びた液体が滴っている。
彼女は感情を押し殺すように声を震わせる。
「大人の理論で、大人の都合で、無粋な真似はすんじゃねぇぞ」
「分かってるよ、獅子堂」
「愛奈ちゃんこそ、飛び込んで止めたらあかんで」
「言われなくても」
「獅子堂さん、あなたはなんだかんだ仲間想いですからね……ですが、この勝負だけは」
「だから分かってるっての柊ィ」
水瀬も、柊も、唇を噛み締めてこの二人の決闘を見守る。
瓜二つな顔を持つ二人の決闘を、俺たちは見守る。
「来いよ。どこまでもバカにしやがって。この天才が」
「ワタクシは天才ではございません。剣を握ってから──できないことだらけなのです」
そう。だからこそ。
「だからこそ──あなたと共に歩みたいのです。お姉さま」
「おまえがいるから……ボクはァッッ!」
勉強ができて、習い事に長けていて、綺麗で、才女の妹、雅坂 志保と、
勉強ができず、不器用で、唯一の心の拠り所だった剣道を奪われた姉──雅坂
息を吸う。肚に力を込めた。覚悟を決めた。
この二人の姉妹喧嘩を、俺たちは。
土砂降りの夕立の中、曇天から轟く雷鳴が合図となった。
「「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」」
どちらかが倒れるその時まで、見届ける覚悟を固める。
代償として、俺たちは誰もが心から血涙を流していた。
竹刀の切っ先が雨粒を斬る。
雨に濡れる二人の頬は、どうしても、泣いているようにしか見えなかった。