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第44話:天凛高校剣道部

 事のきっかけは夏休みの初めごろのことだった。

 獅子堂が福岡遠征から柊を連れて戻ってきてから一週間が経過していた。


 うだる暑さ。熱中症で騒ぐニュース。より薄着に、より涼しさを求める世間に反し、道着を纏い防具を身に付けて竹刀で打ち合う剣道をしようってのはどう考えても正気じゃねぇ。既に暑さで頭がやられちまってるとしか思えん。


 だが、そんな文句を言っても俺は天凛高校剣道部の顧問。

 二十九のおっさん。彼女ナシ。

 今日も問題児たちに剣道を指導するべく道場へ来た。


「剣一先生~~~~~~~っ! 今日もおヒゲが素敵ですわ~~~~~~~~っ!」


 俺が道着姿で道場に入れば、まず飛んでくるのが問題児その一、『男性教諭にしか興味ありません同級生何それおいしいのガール』の雅坂による熱烈なアピール。


「ああ、先生は体育教師、故に普段はジャージッ! ラフさを感じさせるジャージ姿は生徒と親近感を沸かせるのにベストですが、やはりどこか教師ならではの風格が欲しいところでした……そこでこの道着姿ッ! 荘厳さと気品を同時に醸し出すこの完成度ッッ! 先生のおヒゲも相まって渋スンギッッッ!」


「はいはい。ありがとな。サッサと道着に着替えてこい」


 いつものように適当にあしらいながら、竹刀のささくれをチェックする。


「んもう、いけずですわ」


 丸みを帯びた頬が微かに膨らんだ。綿毛のように柔らかい髪を体ごと左右に揺らしながら、パチパチと数回瞬きを挟んで俺を見つめる。そんな子どもっぽい仕草をしてもどこか大人の色かを感じるのは、ひとえに綺麗に反り返った睫毛と成熟した体つきのせいだろう。


「おまえ、こういう対応されるって分かっててやってるだろ」

「でも、そんなクールで靡かない先生だからこそ、『先生』として百点満点なのですわ……」

「聞けよ」


 トリップしながら腰をくねらせてんじゃねぇ。

 ああ、分かってる。男性教諭なら夢のような瞬間だよな。容姿端麗、スタイル抜群、高嶺の花というべき美人の女子高生にここまで好意を向けられるのは素直に男として嬉しい。


 が、なんというか雅坂のコレはパンチが強すぎる。毎日二郎系ラーメンを食わされているような気分なんだ。


 贅沢言うな? そうかもな。

 だが、俺は教師だから……生徒のこういうのに反応しちゃいけないから……。


「もう雑巾がけは終わったのか」


 じりじりと距離を詰めようとする雅坂から間合いを保ちながら訊ねると、彼女の雰囲気が変わる。背筋を伸ばし、澄んだ声で返事する。


「はい。やはりワタクシが一番下手ですので……その分、努力をしないと」


 先ほどのはしゃいでいたテンションから一転、雅坂は真剣な目つきを見せる。

 本当はみんなでやるはずだった稽古前の雑巾がけだったが、雅坂は夏休みが始まってから俺よりも早く道場に来ては済ませてしまっている。その心意気は嬉しいが、


「あんま無茶すんなよ」

「大丈夫ですわっ! ワタクシ、こう見えて体力には自信がありますので」


「おまえは自分を下手だと言うが、小手打ちは既に経験者と遜色ないレベルまで既に達しているぞ。剣道は満遍なく打突を鍛えることも大事だが、自分だけの得意技を徹底して磨くことも重要だ。格上相手にはそれが刺さる時がある」


 六月のことだ。獅子堂と俺のクビを懸けた大会の決勝で──この春から剣道を始めた初心者の雅坂は、格上の剣士相手に見事な出小手を決め、チームに大きく貢献した。


 とても初心者とは思えないあの切れ味は、今でも鮮明に思い出せる。

 全打突のレベルを上げることはもちろんだが、この先を考えると、


「ありとあらゆるパターンの出小手を身に付けよう。小手打ちに特化してみろ。そうすれば、おまえのことを甘く見た相手に一泡吹かせてやれるぞ」

「それは痛快ですわね」


 だろ、と言って頭に手を置く。

 あ、しまった。面越しによくやっていたが、今は素の頭だ。セクハラかもしれん──、


 と、思いきや。


「逃がしませんわっ!」


 嫌がるどころか、雅坂は俺の手をしっかりホールド。頭なでなでを強制してくる。

 とんでもねぇ握力だ。ホントに女子か?

 ってかコイツ、マジで髪がサラサラでビビる。上質なシルクかと思ったわ。薄紫の髪が俺の手で波打った。


「剣一先生、おはようございます。今日もお早いです、ね……」


 そして、道場の戸が開くと同時に、もう一人部員がやってきた。


「……雅坂さん、剣一先生、これは一体どういうことでしょうか?」


 この清流のように透き通った、落ち着きのある声。間違いない。問題児その二、『先生につけられた傷は愛情の証』こと柊 紗耶香である。

 かつて俺が指導していた生徒であり、左腕に大ケガを負わせてしまった。


 しかし、この子は不屈の精神で歪みながらも再び剣を握り、六月の大会で俺たちの最大の脅威として立ちふさがった。その後、福岡で獅子堂と決着をつけるべく招待し、どうやらそこで敗れたらしい。


 二学期から俺たちの高校に転校してくる予定であり、既に手続きは済ませているという。確か生徒証もすでに発行してもらってるんだったか。


 瞼の上で丁寧に切り揃えられた前髪。高級なシャンプーを使っているのだろうと一目で分かるほど艶やかな黒髪。精巧な日本人形が人間となって歩いているかのように端正な造形をしている。瞳から滲む、どこか仄暗い印象も相まってミステリアスな雰囲気も併せ持つ。


 外面は完璧な大和撫子と言えるほど穏やかで整った顔をしているのだが──、


「待て、柊。これはだな」

「先生」


 あ、ヤバい。声がガチだ。


「どうやらやはり、あなたは他の女子から物理的に距離を取るべきですね。例えばそう。最近はリモートワークというのが浸透しているそうです。先生は私の家からリモートで剣道の指導をすればよいのではないですか? 家から出られないように手足に錠を掛けて──」


 柊の瞳から光が消え、瞳孔が完全に見開かれた。感情を読み取れない平坦な声色が怖すぎる。

 頬がヒクつくでもなく、眉間にシワを寄せるでもなく、無。完全なる無表情。


 下手なホラー映画のワンシーンより怖い光景を目の当たりにし、思わず数歩後ずさる。


「ストップ、ストップだ柊っ! そうだ、おまえが前にくれたチョコ、マジで美味かったから! ありがとう! また欲しいな~っ!」


 雅坂も柊から発せられる危険なオーラを察知し、俺の手を離して一歩距離を取る。

 俺の『チョコありがとう』宣言を聞いた柊の表情から一瞬でドス黒いオーラが消え、無の表情から一転、まるでお日様のような輝きの笑顔に切り替わる。


「本当ですかっ! 嬉しいですっ! またお作りしますね! 今度はもーっと愛情を込めさせていただきます!」


 紅潮する頬を両手で包みながら、何度も小さく跳ねる柊。先ほどまでの危険さを含んだ無の表情はどこへやら、口元は緩み、年相応の笑顔を見せた。


 あ、あぶねぇ……間一髪だったみてぇだ。

 それにしても、もっとを愛情を込める、か……。


 前食ったチョコは、包んであったアルミを齧ってしまったのか、うっすらと鉄のような味がしたんだよな……。あれ、なんだったんだろう。考えない方が良さそうだ。


 そうやってため息を付いていると、


「おいーっす! 今日もクソあちぃなコノヤローッ」


 道場の扉を蹴破って高身長の女子がやってきた。乱暴な言葉遣いから分かるように不良である。ヤンキーである。校内で彼女の名を知らぬ不良はいないほど名の知れた札付きである。


 しかし、『オラオラしてるけど心は乙女』。

 それがこのヤンキー、問題児その三、獅子堂 愛奈である。


 代名詞と言ってもいいほど露骨な犬歯。吊り上がった目尻と、力強く切り開かれた口元から豪胆さと快活さを感じさせる。背中まで伸びる暗めの茶髪は無造作に跳ねまくっている。寝ぐせなども『めんどくせぇからそのまま』と言いそうな様子だった。


 だが、そういうガサツな部分もまとめて魅力と言えてしまえるほどの活発なパワーが獅子堂から放たれている。


 中学時代は柊と県下最強を争うライバルだったが、アキレス腱の断裂で一度は剣を置き、不良と化す。繰り返す停学により、退学の危機に瀕した。しかし、上段による可能性を見出し、再び剣を握って剣道部へ入った。六月の大会で柊に結果敗れるものの──のちに招待された福岡の個人戦で雪辱を果たす。


「おうセンセッ! まーた雅坂と柊がダル絡みしてんのかぁ? 女子高生に挟まれて鼻の下伸ばしてんじゃねぇぞ。まずヒゲを剃れ」


「「先生のおヒゲはカッコいいんですっ!」」


 獅子堂の軽口に本気の表情で返す雅坂と柊。君たちのヒゲに対する熱量はなんなの……。


「分かってねぇなぁ。ヒゲの生えた王子様がいるかよ。やっぱり男でも肌は綺麗じゃないとな」


 犬歯をむき出しにし、ニヤニヤしながら反論する獅子堂だが、今コイツの口から飛び出た単語に俺たちは目を丸くした。額を付き合わせてひそひそと会議を始める。


「獅子堂が王子様って言ったぞ」

「キャラに合ってなさすぎですわ」

「あれですね。男の免疫がなさすぎて、夢見がちな乙女のまま大きくなってしまった──」


「聞こえてんだよテメェらッッ! 誰が男の免疫がないってぇ?」


 靴を脱ぎ捨て、どかどかと拳を固めながら大股で近付いてくる獅子堂。ただでさえ吊り上がっている目尻がもう天井に刺さるんじゃないかってくらい吊り上がっていた。


「だって獅子堂さん、男性にこういうことできないでしょう?」


 言うや否や、どこかコケティッシュな流し目で、雅坂が俺の耳に「ふっ」と吐息を吹きかける。うわっ、めっちゃぞわっとした……。


「んなっ……」


 顎を落とし、目を丸くした獅子堂が固まる。


「そうですね。獅子堂さんは初心うぶですからね」


 言うや否や、今度は柊が俺の腕に絡みついてきた。待て、女子特有の柔らかさがダイレクトで伝わってくる……ッ。


 さっきは教師だどうのこうの言ったが、所詮は男だ。触れ合っている部分に神経が集中してしまう。彼女ナシの独身男性にはちょっと刺激が強すぎる。


「ん、んななななな……」


 俺に絡みつく二人を見て、獅子堂は顔面を真っ赤にしながらプルプルと震えていた。握った拳をどこに向けたらいいのか分からなくなっている。


「お、おまえら、この──は」


 続く言葉は音にならなかった。何故なら、


「あかーんっ! なんしとんねんアンタら────────────────ッッ!」


 いつの間にか道場にやってきていた第四の剣道部員──水瀬 涼花の叫び声によって掻き消されたからだ。


「あかんあかんあかんっ! 雅坂さんも柊さんもあかんっ! ハレンチや! 先生に対して距離近すぎやっ! ちょーっと目を話したらすーぐ引っ付きよる! 節度を持てぇ!」


 キャンキャンと子犬のように喚く水瀬。風紀委員の長であり、学年でもトップクラスの成績を誇る優秀な生徒だ。チャーミングな関西弁とポニーテールが特徴だ。


 丸みを帯びた眉、少し垂れた目尻。いわゆるたぬき顔というヤツだ。日焼けなんて単語は辞書に載っていませんとでも言わんばかりの白い肌。歯が蛍光灯でキラリと輝く。清流を思わせる透き通った声に、爽やかな柑橘類を想起させる雰囲気でみんなに癒しを与えてきた。


 上級生がみんな卒業してしまった剣道部で、ただ一人竹刀を振っていた少女。獅子堂と雅坂が入部し、六月の大会で準優勝という結果を残したおかげで廃部の危機を免れた。


 決勝で柊相手に一本を取り、天凛高校の首の皮をつないでくれた。

 名目的に部長である。


 そう、優秀で思考も真っ当でとても良い子なんだが……。


「嫌ですわ、ハレンチなんて。女性が男性にアピールして何がいけませんの?」

「その通りですね。意中の殿方を射止めるのに、躊躇いなんて邪魔なだけです」

「ぬ、ぬぐぐぐぐ」


 唸る水瀬。まるでチワワのようだ。獅子堂は「負けるな涼花!」と発破をかけている。握った拳は応援を飛ばすために使ったらしい。


 あ、そういえば、獅子堂と水瀬は幼馴染だったか。そんなことを思い出して雅坂、柊の感触から現実逃避していると、不意に雅坂の笑う気配が伝わってくる。


「水瀬さんも、先生のことがお好きなのでしょう?」

「ふぇ?」


 雅坂の言にすっとんきょうな声を上げる水瀬。


「素直になればよいのです。好きという気持ちは止められないのですから」


 反対側でクスクスと小悪魔に笑い、水瀬をからかう柊。


「ふ、ふぎぎぎ……」


 水瀬の頭から湯気が出そうだった。ぐぎぎと歯を食いしばる音が聞こえてくる。こういうどうしようもなくなるとテンパるところとか獅子堂とよく似てるなと思う。幼馴染だからかな。


 未だに引っ付く雅坂、柊の二人に水瀬がずんずんと歩み寄り、


「先生も、いつまでデレデレしとんねんっっ!」


 頭のキャパを超えた水瀬が、拳を振りかぶる。

 オイオイ、暴力はダメだ──って狙いは俺ぇっ!?


「あっぶなぁっっ!?」


 ボッッ、と砲弾が頭の横を掠めるような音を立てて拳が通過する。

 直後、背後で鈍い衝突音がしたと思ったら、一秒後に大きなものが床に倒れるような音が道場内に響いた。


「あぁっ、やってもうた!」


 埴輪みたいな顔をする水瀬を横目に、おそるおそる振り返ると、剣道の打ち込み台に被せてあった面が、面金が、見るも無残に歪んで床に転がっていた。


「……拳、大丈夫なのか」

「ウチは大丈夫です! ごめんなさい先生、面一個壊してもーたっ!」


 いやいやいや……剣道の面って、女子の拳で壊せるものじゃないだろ。ってかなんでおまえの拳は無傷なの? 骨が鉄で出来てるの? 冷や汗が止まりません。


 さすがの柊もちょっと顔を引き攣らせて俺から離れてるし。


「はっはっは! さっすが涼花っ! 喧嘩はアタシより強ぇバイオレンスいいんちょ!」

「や、やめぇその渾名! 委員長やッ!」


 水瀬が獅子堂に食って掛かるが、俺たちはもはやそれどころではなかった。

 さ、さすが問題児その四……『バイオレンスいいんちょ』こと水瀬 涼花。


 普段温厚な子ほど怒らせたら怖いと言うだろ? 水瀬がその代表例だ。一番怒らせてはいけない女子である。


「もう、せっかく楽しく先生とイチャイチャしていましたのに」

「雅坂さん、今後は私の許可を取るように」

「ってか道場でイチャついてんじゃねぇよテメェら……センセもだけどよ」

「う~……面ってなんぼするんやろ……」


 雅坂。

 柊。

 獅子堂。

 水瀬。


 この四人の問題児が、俺たち天凛高校剣道部の全メンバーである。


「はぁ~……ったく、この問題児どもが」


 頭を抱えて悪態を吐くが、それでもコイツらを前にすると、不思議と笑みがこぼれる。


「早く準備しろ! サッサと稽古を始めるぞ!」

「「「「はいっっ!」」」」


 コイツらと歩む未来には、どんな物語が待っているんだろうと、

 年甲斐もなくワクワクする心を抑えきれない。


 俺たちは天凛高校剣道部。

 部員はたった四人だが、無限の可能性を秘めている──最強のチームだ。




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