「目標?」
稽古終了後、防具を片付けているみんなに声を掛ける。水瀬が代表して反応していた。
「ああ。せっかく華の高校生──大事な青春の時間を費やすんだ。ただダラダラ稽古しててももったいない。どうせならみんなで決めた目標を掲げて稽古をしよう」
「確かに~」と水瀬が反応してくれる。こういう時助かるぜいいんちょ。
先生からすると、生徒が反応してくれないと聞いているのか理解しているのか分からなくて、話を進めていいのか悩むからな。やっぱ水瀬良い子だわ。バイオレンスだけど。
うんうん、と頷いていると、
「んなもん、決まってんだろっ! 全国だよ全国!」
扇風機の前を陣取っていた獅子堂がこっちを振り向いて声を上げた。
「アタシと柊は中学で全国経験してっからよ、やっぱあの舞台に返り咲きてぇよな!」
「ふむ、全国か」
豪快に笑い飛ばす獅子堂を見ながら、俺は掲げられた目標を反芻する。
うむ、良い目標だろう。やはり部活を真剣にやるといえば、目標はそこになりがちだ。
俺のいた大学も全国は常連だった。だから大袈裟に目標という感じでもなかったが、全国に出れるかどうかは一つのハードルではあったな。
「そうですね。私も……借りを返さないといけない相手がいるので」
名が挙がったからか、柊も考える様子で低く呟いた。借りを返す相手?
「柊は中学時代、ベスト16だったよな」
「……はい」
話を振られた瞬間、柊の表情が微かに曇った。
柊が全国で誰に負けたのか、その話は実はタブーである。
前の高校で指導している時に軽く聞いたこともあったが、露骨に嫌な顔をしたのだ。今も珍しく眉間にシワを寄せている。美人が台無しだ。
「全国大会……初心者のワタクシには、とても想像が及びませんわ」
「雅坂さん、ピアノとかのコンクールで全国大会出てへんかった?」
「え?」
水瀬から飛び出したとんでもない実績に思わず目を剥いた。
「あら、ご存知でしたのね。お恥ずかしいですわ」
照れ臭そうに小首を傾げながら、頬に手を添える雅坂。
「委員会で、前になぁ。そういう大規模な大会とは慣れてるもんやと思ってたけど」
「ピアノは昔からの習い事でしたので……高校から始めた武道で全国を目指す、というのはイメージが湧きませんの」
「ちょちょちょ、ちょっと待て。華道とか茶道をやっているのはぼんやり覚えているが、おまえピアノまでやってたのか?」
ホントに俺と同じ24時間の中で生きているのか?
「ええ、はい……あまりひけらかすようなことではございませんが」
「とか言うて。勉強やっていつも学年一位やんか。ウチはその下でチョロチョロしとるけど!」
「運が良かっただけですわ」
雅坂がどこかもじもじとしながら、居心地悪そうにしていた。
こんだけの実績を持っといて謙虚なのかよ。どこまでデキた生徒なんだ。
「いやいや……すごいな。文武両道を地でいってるのか」
「そ、そんな褒めないでくださいまし! 先生にそう言われると、もう……どうしたらいいか」
俺が褒めたら、とうとう腕で自分の顔を隠し始めてしまった。
すごいことなのだから堂々としていたらいいと思うんだがな。
「雅坂って実家でっけーんだろ。アタシも一年の時に聞いたことあるわ」
獅子堂がスポドリを飲みながら話に混じってきた。
「育ちのいいお嬢様だよな。ま、そんなの普段の雅坂見てたら分かるけどよ」
普段の、雅坂……。育ちの良さを感じさせる一面と、ぶっ飛んだ発言をしてくる両面を知ってるからどうも複雑な気持ちだ。あれかな。勉強とか習い事で厳しく躾けられた子ほど性癖が歪むというか、変態な趣味を持ちがちになるというか……。
「話を戻そう。どうだおまえら。目標として全国大会を目指すというのは」
「異議なしっ!」
「そこしか興味ねぇよ」
「私も元よりそのつもりでした」
「皆様がおっしゃるのなら……足を引っ張らないよう、頑張りますわ」
全員の意志を確認し、よしと頷く。
しかし、唯一高校から始めた初心者である雅坂がどうも控え目だ。どこか気後れしているように少し俯いているし、目に力を感じない。フォローしておくか。
「大丈夫だ雅坂。俺たちは団体戦で全国を目指す。みんなでカバーし合ってみんなで勝つんだ。全員で戦うことの意義は、この前の大会で感じただろう? おまえがいなければ、俺たちはあそこまで戦えなかったんだから」
「剣一先生……」
みるみるうちに、雅坂の表情に輝きが戻っていく。
六月。獅子堂と俺のクビを懸けた大会。先鋒の獅子堂がまさかの一本負けを喫し、絶体絶命の危機に陥ったが……初心者の雅坂の奮闘で首の皮がつながったのだ。
あの時の興奮と感動を、俺は生涯忘れない。
「そうですよ、雅坂さん」
すると、当時の対戦校の選手だった柊が雅坂の肩に手を置いた。
「あの試合はあなたに一杯喰わされたようなものでした。あの出小手は私の目から見ても天晴な一撃でしたよ。足を引っ張るだなんてとんでもない。自信を持って、胸を張ってください」
まるで聖母のような微笑みを浮かべる柊。
「柊さん……ありがとうございますっ!」
雅坂が柊の手を取って笑顔を弾けさせる。
性格といい、雰囲気といい、この二人は案外良い組み合わせかもしれん。
「となれば、五人目の部員がどうしても必要になるな……」
団体戦は五人一チームで戦う。この前の大会は三人制だったからなんとかなったものの、公式戦となるとそうもいかない。四人でも試合ができないことはないのだが、その場合は一試合捨てるというハンデを背負って戦わなければならない。これは避けたいところだ。
「誰か、心当たりはないか?」
全員を見渡して尋ねるが、誰も反応がない。
獅子堂はそもそも剣道からしばらく離れていたワケだし、雅坂は初心者だ。柊も最近転校してきたばかりで心当たりなどないだろう。可能性としては水瀬だが……一人で剣道部を維持していたのだ。五人目に心当たりがあれば声を掛けているはずだ。
「まぁ……追々探すか」
しかし、今みんなは二年の夏だ。ここから剣士を一から育てるというのは、現実問題、全国を狙うとしたら厳しい話ではある。
雅坂は初心者だがセンスがあるし、特に小手打ちに期待できる。
仮に敗れても水瀬、柊、獅子堂で取り返せる確率は十分にあるという計算だ。
ただ、三人の総合的な実力を見るに、水瀬が若干引けを取ってしまうのは否めない。ならば、水瀬が敗れるという最悪の場合に備えて、柊と獅子堂……もう一人、主軸となる剣士が欲しいところだ。
そうすれば、万が一、雅坂と水瀬が敗れたとしても、残りのメンバーで取り返せる。水瀬も柊と引き分けている以上、女子としては十分強いんだがな……。
全国となると、また話が変わってくるから。
あと一人──柊、獅子堂クラスの剣士が欲しいというのは、さすがに贅沢か。でもせめて、全国を狙うのであれば経験者を入れたいところではある。
うーむ、と悩んでいると、
「……」
雅坂が、どこか深刻そうな顔で何かを考えていた。
「雅坂?」
「ひゃいっ!」
びくりと肩を震わせて反応する雅坂。
「どうした? 誰か心当たりがあるのか?」
「あ、い、いえ……ワタクシも、五人目はどうしようかなと考えていたところでして……」
「そ、そうか」
とはいえ、ここまで狼狽する雅坂も珍しい。
多少気になるが、今は別にいいか。深く掘り下げるのも気が引けるしな。
「よし、じゃあこれで今日は解散だ。道場の戸締りをするからサッサと──」
「待てセンセ、逃げんじゃねぇ」
話をまとめて生徒たちを道場から出そうとしたら、獅子堂に肩を掴まれた。
コイツはいやらしい笑みを浮かべながら下から覗き込んできて、
「勝負、アタシらの勝ちだ。大人しく全員にアイス奢ってもらおうか」
「……チッ、覚えてやがったか」
思わず舌を打つ。勉強の物覚えは悪いクセに、こういう時だけしっかり覚えてやがる。
──今日の最後に行った実戦形式の稽古にて。
あろうことかコイツらは俺に四対一で勝負を挑んできやがったのだ。
俺が四人と連戦して、負けたら全員にアイスを奢る。そして俺に勝ったヤツは一つ何でも俺に命令できるというものだ。あ、もちろん健全なヤツな。
最初は俺にメリットもないし、不利だし、乗り気ではなかった。しかし、「女子相手に逃げんのか」と煽りに煽られた結果、勝負に乗ってしまい──獅子堂、雅坂、水瀬の順に勝ったはいいが、最後の最後で柊に負けてしまったのだ。
「ふふ、より長く満喫するために、買い物デートは明日にとっておきますね、剣一先生♪」
健全な買い物だよな? そう念じながら微笑む柊を見るが、目が
俺、明日何されるの……?